#382 Talk about….2017/07/6 VOL.3.納涼会挨拶
本日はお忙しい中参集いただきありがとうございました。
(略)私事ではありますが、2017/4/23、うちのオヤジが86歳でなくなりました。
年齢から言うと申し分ないのかもしれませんが、未だ週3日は現役医師として働いておりましたし、亡くなる前の週も一人で四国お遍路に出かけてたぐらいですから、ちょっとびっくりでした。
「仕事はハードよ」と愚痴る自分に、「優雅にやれよ、伸介」(とか辛い時にも「命取られるわけじゃないんだから」とか言われたなあ・・)とことあるごとに言われましたが、まあそんな言葉を残して、ちょっと出かけてくるよみたいな感じで旅に出た感じです。
その際も、急なことにもかかわらず、スタッフの皆さんのご配慮とバイトの先生の手助けで、無事岡山に帰ってくることもできました。
またスタッフの皆さんからは過分な香典まで頂き深謝です。
この場で再び御礼申し上げます。
自分の母親は、此処を開業した18年前に膵臓がんでなくなり、外来の電話でオヤジの口から訃報を受けたのがつい昨日のことのようです。その時は開業したてで岡山に帰ることもできず、しばらくして「お別れの会」の時にやっと帰ることができました。
二人は無宗教で、自分たちだけの墓を生前に建てており、その墓の、おふくろの隣にオヤジの骨壷を収めてきました。
しかし、両方の親がこの世からいなくなるという喪失感は、なかなか心から今でも離れません。
それでも生きてゆかなければならないのですが、
こうやって生まれてきて、いろんなご縁があって、こうやってこの場所に立っているのも、なにか意味があることなんだろうなと、自分に言い聞かせながら、シコシコと生きていく所存です。
でも、人間の命が有限であるという実感は、最近で言えば、S産婦人科のS先生が51歳でなくなったときから、今も自分の中で連綿と続いており、有限ゆえの、なんていうんですかね、まあがんばらんといかんのよっていうことでしょうか。
自分の人生ももう56年で、現役としてこうやってたっていられるのも、たぶん長いようで短い時間なんだと思いますから。だから、自分としてはかなり飛ばしてる感じなんですよね。(焦燥感と充実感が半端なくあって、まるで二極性人格障害みたいな感じだなあと思ったりもしております。いつ壊れても不思議ない感じです。)
いささか固くなりましたけど、今日はこういうことを皆さんの前で喋っておきたかったので、久々にきちんと喋りました。
まあそんなこんなで、みなさんとこうやってこの場にいるのも一期一会ってこともあり、今年も半分終わったということで、大いに食べて飲んで、歓談いただければと思います。
(2017/07/01の病院の納涼会。62人集まってくれた。もつ鍋・博多屋本店。土曜の街は夜市で賑わっていた。モツ鍋から始まって、夜中になぜか自分はまたホルモン焼肉・吉で、マッコリを大量に飲んでいた。そんな夜の皮切りの挨拶。)