だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#387 Talk about…2017/07/29 VOL.8. someday my prince will come.

 (牧野植物園、高知、2017/7/9)
 
いつか、いつか暇になったら、いつか時間ができたら、余裕ができたら。
曰く、「オーロラが見たい、マチュピチュ行きたい、リオのカーニバル観たい」
あれがしたい、じっくり取り組みたい。
「もっと絵に取り組みたい、楽器うまくなりたい」
でもそういうヒトに「いつか」の来る可能性は限りなくゼロに近い。
ゼロではないかもしれないけど、100から遠ければそれはゼロなのだと思う。
 
自分もしかりだ。
 
だけど、「やれない・できない」を他人のせいにするのはやめた。
少なくともやめんとイカンと思った。
それでも職業上、2泊以上のバカンスは取れないし、お盆も年末年始も仕事だ。
これを改善するためには、自分が一線を引くしかない。でもそれは今の時点では無理だし、out of rangeだ。
自分が自分で作ってきた「生活スタイル」のくせに、それにたいする愚痴は言うのだからしょうがねえ男だ。
キンタマのちいせえ男だ。
でもそれをヒトは贅沢というのだけど。
「わたしから見たら先生はやりたいことやってますよ」と言われたりもする。
だけどこれは比較じゃないからね。
 
まあ、上を見ても限りないし、下を見ても限りないし、いつだって隣の芝生は青いのだ。
だから、できる範囲で、帳尻を合わせようという努力は人一倍しているつもりだ。
無論それだって、半世紀生きてきて生活が安定してきたっていう経済的な背景が後押ししてくれてこその話ではあるんだけどね。
いつまでこのままいけるのか?
いつまでこの診療スタイルで世の中わたりあって行けるのか?
信じないかもしれないけどそういった恐怖感はいつも胸のうちにある。
この病院が廃れてしまって見向きもされないのではないかという危惧だってあるよ。
 
実は奇妙な夢を見た。
 
タクシーに乗っている。
運転手さんはこちらのことを熟知しているようである。連れてってくれる場所も知ってるみたいだ。
何故かクルマをなくした自分はそこに帰るしかない。
前部シートから喋りかけてくれるのだけど、肝心なところがノイズで聞こえない。その前後の文脈から適当に相槌を打っていると、どんどんわからなくなってゆく。でもなんか自分の身内のこともよくご存知のようなので、会話は途切れることなく続いてゆく。
もしかしておれの聴力が落ちてるってことなんかいな、と、不安ももたげてくる。
あっちにいってそこじゃない、そっちにいってもそこじゃないと、ついたところは、なんか風光明媚な山の酒蔵で、遠くの山は雪化粧で、そちらにワイナリーもあるという。
いや、おれの行きたかったのは確か自宅のはずなんだけどなあ、というと、あんたのお父さんもそんなことゆうてたなあと、古い土蔵のような倉庫から出てきた人懐っこいおばちゃんが言う。
まあとりあえず、風呂にでも入りんさいや。その間にうどんは打っとくからねえ、だって。
 
あの世も近いかもしらん。