#406 そこにはただ風が吹いているだけ・・ Music Live,2017/12/03
はしだのりひこさんが亡くなられた。
72歳だった。パーキンソン病を患っていたという。
戦争を知らない子供たちである「フォーク・クルセイダーズ」のメンバーは、これで、精神科医の北山修氏だけになってしまった。
もう何年前になるだろうか。
でもそれも、時が過ぎれば、どんどん薄まって消えていってしまうものなのかもしれないし、実際この自分の中でもいろんなものが忘却の彼方になってきている。
まったくやれやれだ。
でも忘れることもなくては生きてはゆけない。人生は悲しすぎることのほうが少しずつ増えてゆくものだ、歳を経てくれば来るほどに。
「死にたいというより、生きていたくない、生きる場所がない・・」トノバン(加藤和彦氏の愛称)はそう遺書に綴っていた。
あなたの言うとおり世の中は生きていくのに難しすぎるかもしれない。
でも、自分の居場所はきっとどこかにあるはずなんじゃないのかな?
おれは今もそう思っているし、ある程度は自分の居場所を見つけたとさえ思える日だって増えてきている。
去る12月3日は、年に一回の島村楽器エミフルMASAKI店の「MUSIC LIVE」だった。
昼から老舗のlivehouse「Monk」でスタートしたliveは、5時過ぎに終わった。
liveの興奮のあと、知ってるメンバーもよく知らないメンバーも、音楽という「綴り」のなかではひとくくりに違いないので、
集まって、楽しく酒を飲んだ。
おもったよりも多くの、33人のメンバーが集まってくれた。
幹事をやった自分はなんだかうれしかったですよ。もっとみんなとパーソナルに喋りたかったなあ。
20代から60代後半まで幅広いメンバーが音楽というククリではしゃげるのはほんとに素晴らしいことだよな。
当然、若い世代には「戦争を知らない子供たち」さえ知らない「子共たち」もたくさんいた。
そんなわけで、まあまあ共通世代のオヤジ3人で、二次会のカラオケで、肩を組んで「風」を歌ったんだよ。
ねえ、はしださん!
実は、その場には、この年末で島村楽器を去られる先生や、近い将来に自分の人生の新しい船出を選んだ女の子もいる。
だけどその瞬間は湿っぽい空気を自分の中で封印した。
でも、でもね、会場の遠くで笑ってる彼女を眺めると、やっぱり少し切なくなったりもしたんだよ。
おいらが振り返っても振り返っても、あの娘が乗った船は港を出ていくだろう。
何を言っても、何かの間違いでもなんでもなく、船は港を出てゆき、あの娘はその舟の中の暖かい布団にくるまり、明日の夢を見ているんだろう。
残されたオイラは、船の航跡も消えたあとの、ただただ港を吹き抜けてゆく風の気配を感じて続けているだけなのだ。
本当に誰かのためにできることなんてなにもないのかもしれない。
それもこれもあれも含めての一回こっきりの人生だからなあ。
♪人は誰もただ一人 旅に出て人は誰もふるさとを 振りかえるちょっぴりさみしくて 振りかえってもそこにはただ風が 吹いているだけ人は誰も人生に つまづいて人は誰も夢破れ 振りかえる・・・ 「風」
P.S.
自分は欲張りなのでliveに3回も出演したのだけれと、その最後がヴォーカルとしての参戦だった。
おんなじ先生に習ってるドラムの兄弟子のKさんのドラムと、教師陣のプロのミュージシャンのバンド演奏で、ビートルズの「Don’t let me down」のヴォーカルをさせていただいたのだった。
自分にとってはほんとに貴重な体験だった。
この一ヶ月は、ドラムのレッスンには行くのに、ドラムではなく、ただただ、ひたすらヴォーカルの指導を受けてたからなあ。
でもそのおかげで、まあプロの歌手じゃないし、ましてやジョン・レノンでもないので、限界はありありにせよ、自分のボーダーは超えれたと思う。
だからその日は完全燃焼だったんだよ。
そのKさんと最初に会った夜、二人でタクシーに乗っての帰り道、
後部座席で意気投合して、二人で口ずさんだのが、やっぱりフォークル2枚めのシングルの「悲しくてやりきれない」だった・・・というのも何かの因縁だろうね。
そんなことを昨日の夜、ふと思い出したんですよ。
なんかしみじみと、暗い後部座席で酔ったオヤジが二人、歌いましたよねえ。
♪白い雲は 流れ流れて今日も夢はもつれ わびしくゆれる悲しくて 悲しくてとてもやりきれないこの限りない むなしさの救いは ないだろうか「悲しくてやりきれない」