だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#411 「日出処の天子」山岸凉子(白泉社文庫・全7巻)やっと読み終えました。

日出処の天子 完全版 7 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)

元旦の晩御飯の片付けを終えて。
山岸涼子さんの「日出処の天子」(少女漫画の名作、聖徳太子の話!)を、実はずっと前から読破しようと思って家人から借りていたのを、半年ぶりぐらいに引っ張り出してきて読み始めました。
昨日の二日、仕事を終えてピアノのレッスンを終えて帰ってきて、最後の一冊を読破しました。
この物語では、聖徳太子は同性愛嗜好者でもあり、非常にクレバーで仏教の経典にも深い読解力を有しており、その上超常能力を有しているという、そして権棒術数にも長けて無慈悲に不要なものを切り捨ててゆくという、1万円札からは想像できないキャラとして描かれているのですが、それが日本の歴史とシンクロしているというなんとも摩訶不思議な物語でありました。
自分は2016年の9月に法隆寺を訪れたわけですが(小学校以来?いった?)、その時は9月だと言うのにまだ非常に暑く、足も棒のようで、とにかく広い境内を歩くのがやっとという感じだったと記憶しております。つまり聖徳太子どころではなかったのかな。
宝物館とかではさらにギブアップだったということしか覚えておりません。
そちらに玉虫の厨子の復元モデル(レプリカ)があって、それはそれはこの世のものとは思えぬくらいきれいなものでした。
最近いろんなところで、もとの時代のきらびやかな色彩とかを復元した CG とか、こういったレプリカとかを見るんですけど、そういった形を庶民が崇拝したということはうなづけます。往時の仏教ってど派手だったんだと思いますよ。東大寺の大仏さんだって本当はきんきらだったんだろうからね。金箔だからね。仏像は形でありますが魂を込めた入れ物だったんです。 でも、そのために、一般の人たちがどれくらい犠牲になったかを考えると、宗教とか国家というものはますます信用できなくなってくるんですよね。
この話、聖徳太子と関係有るようでないようで、やっぱりあるんだと思います。
まだ仏教が完全に日本に根付く前の、神道vs仏教、朝廷と豪族の関係、新羅百済、そして隋の国、そういった混沌の中に、日本はその形を作っていったのですから。
この「日出処の天子」の中に、「仏は誰も救けない」というふうに太子がつぶやくシーンがあるのですが、仏はたしかにおわしめすだけ、衆生を見られているだけの存在なのかもしれないなあ、と、宗教心のない自分は妙に納得したのでした。
そしていつの世にも、ヒトの煩悩やら悩みなんて変わることないのだなあという、安堵と諦念も。