#412 「日出処の天子」から「Devilman crybaby」に。
なんだか遠くまで旅をしてきた気分だ。
そしてもう元の場所にはどうやったって戻れないのだということを今更のように認識する。
たくさんの天空仏が太子の前に現れる。
彼らは何も語らない。人が作った仏の象の形をしてそこにあるのみだ。
ふーんなるほど、自分でも自分を救えぬものの前に現れるというわけか?それにしてはそなた達が何者をも救わぬのをわたしは見てきたぞ。
そう仏は誰も救いなどしないのだ。
天使とか仏とか如来とか、そんな神々しい形をしてそこにあるのみなのだ。
彼らと呼べるのなら、彼らは、我々人間の愚かしい営みなどには興味なんぞ抱いてはいない。
だから、嘲笑いもしないし、無視もしないし、救いの手も差し伸べやしない。
神は天におわしますのみだ。
そんな単純なこともわからずにいたのか?
1話が25分ほどだとすると、250分の超大作だ。
たぶん原作と同じエンディングを用意した作品は、多くのデビルマンの中でもこれが初めてじゃないんだろうか?
エロく、グロく、悲しくて、純粋で、そして切ない物語だった。
牧村美樹ちゃんが惨殺されるシーンもちゃんと描かれていたよ。
わかっていても、結末はわかっていても、目を背けることも許されない。まるで現実みたいに、おれは頭のなかで何度も何度も、10代の頃からそのシーンを再生し続けて57歳になったんだから。
あの頃のおれはペシミストを気取ってた。たしかに人間には救いはなかった。
でも、そんな若造も、そうやって人間界でもう57年も生きてきたんだ。
エクスキューズなんて出来なくなったんだから、ちっとは顔を上げてもいい。
ああ、でも、それはおれの個人の物語。
それを語る舞台ではなかったよ。
そうなんだ、結局、不動明は愛する者を救うことはできない。
そうなのだ、誰も誰かを救うことなんてできやしないのだ。
それに気付いた時、もうヒトは元いたの場所に戻れないことを思い知らされる。
だから Cry Baby 暗い夜に、
Cry Baby、 戻れない。