だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#441 満中陰

 
そういうわけで四十九日が来て、満中陰の法要と納骨式が行われた。
自分の親(母も父も)は無宗教という故人たちの意思だったので、全くそういう儀式めいたものもなく、
親父は死んですぐに彼をお骨にして、その足で墓に入れた。
それだけだった。それで全ては終わり。
 
法要の時、導師が言われていましたけど、
法然上人は死にあたって「自分は墓はいらない」と言ったそうだ。
なぜなら墓という形ができると、そこに行かないといろんなことが始まらないような感じを弟子たちがもつだろうからだそうな。
南無阿弥陀仏と唱えた時に、そこに法然上人はいるという、それでいいのだ、と。
自分もどちらかと言うと常識にも疎く、前述の理由で、死後の儀式とは無縁で生きてきており、
浄土宗に帰依しているわけではまったくなく、
今回の故人の宗教がそうだったということで、松山の浄土宗の寺で法要をしていただいたのだけれど、
やっぱり偉い人はすごいいいことを言うものだと思った。
ホントそのコトバには納得して感動した。
 
だから自分も、自分が思う時に死んだ親やいろんな人はよみがえるのだと、そういう風に勝手に決めているんだけど、それも間違いではない。
こんな世知辛い世の中、それで十分じゃないか、
その上にまだ「カタチ」なんてどうして必要なんだろうね?
カタチが精神を規定するのだという意味もわからないではないけど・・。
 
アーメンでも、南無阿弥陀仏でも、南妙法蓮華経でもいい。
思ったときだけその人はいる。それで十分だ。
市井の人たちは、伝記やら評伝も描かれることなく、ただただ風化していくだけだ。
記憶を有しているヒトが滅したらなにも残らない。
でもそれでいいんだと思う。
誰が砂漠の中の砂の一粒の一生を振り返る必要があろうか?
 
だから、やっぱりね、
「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」のスピリットで生きていこうと、またまた思い直したのでした。
 
*満中陰
 
そもそも中陰とはどういう意味でしょうか。
中陰は中有(ちゅうう)とも呼ばれ、古代インドの仏教では、人が亡くなってから次の生を受けるまでの49日間のことを指します。
中陰は、生と死の間の期間とされ、七日ごとに十王による裁きが行われます。ちなみに、閻魔大王は十王の一人として、五七日に現れます。 
中陰のあと、さらに百か日(100日目)、一周忌、三回忌と、計10回の裁きを受けるとされてきました。
日本の仏教では、七七日にあたる49日を区切りに極楽浄土に行けるかどうかの判決が下されるといわれています。
 
「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」