#463 安野光雅先生の「絵の教室」を読む。
続きです。
で、安野光雅先生の「絵の教室」からは学ぶべきところは、非常に多かったのですけど、最後に先生が言われているように、何をするにしても、イマジネーションー「想像する」ことが一番大事だということは、本当に納得できます。
自分が普段は普通に生きていて、何か熱狂とかパッションに駆られている時に、急に背後から何者か別の大きなものが出てくるような感じを抱く時があります。
でもその何者かは普段はどこにいるのかわからないような気もします。それを安野先生と対談されたアメリカの数学者のクヌース先生は、
「背後にいるといっているのはミューズだよ」と安野先生に言ったそうです。
確かにそういう言い方ですると、背後にいるのが神だと言っても嘘ではないような気もしますね。
「その赤い靴を履いて、お前は絵を描くのだ、お前が青ざめて冷たくなるまで、目の前のものはなんでも、手当たり次第に描くのだ、そして高慢な、みえぼうの子供達がお前の来たのをこわがるように!さあ描け!休まずに」
という呪文をかけられたというくだりは、恐ろしくも甘美な罠のようであり、ゴッホのことを詳しくも知りもしないのに、あのタッチの奥底にあるものを的確に掴んでいるような気さえして続々したのでした。
モリ(熊谷守一)の映画を観たときも思いましたけど、なにかを感じたら、形にせざる負えないような人生だってあるんですよね。
(樹木希林さんがお亡くなりになって非常に残念ですけど・・)
そして、そのパッションさえあれば、
これも下手な自分に対する言い訳かもしれませんけど、ミスタッチやらミス線があっても、最後に塊として出てくるときに自分のものになってたら、それはそれで下手くそでも正解なんだと思います。だから子供の絵が目を見張るようなことだって多々あるしね。
結局はそれにどのぐらい没頭できるかっていうことなんでしょうね。
そのためには自分を肯定することが大事だと思います。
あはは、なんだか言い訳みたいに聞こえたら、まだまだおれがぬるいってきっとそういうことなんでしょうね。
奥田元宋美術館で買い求めた、マルマンF4スケッチブックに描いた。