だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#603 60歳。

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相棒のバースデイ。家族で祝う。#ルトワルージュ

 

家人が先日誕生日を迎えた。
 
家族で「ルトワルージュ」で贅沢なフレンチ・コースとワインを頂きました。
いつもごちそうさまです。
 
次は自分の番だ。いよいよ六十歳になる。
六十歳といえば今の時代ではまだひよこと言ってもいいけど、やっぱり区切りは区切りだからね。
 
生まれて色々あって18で高校卒業したけどダメでやっと20歳で大学に滑り込んだ。
愛媛大学医学部。
なのにもう23歳で学生結婚して、それからも色々あって、初めはその気もなかったのに大学勤務のときに二転三転して、38歳で家人と開業した。
開業する前の数年ではあるけど、泌尿器科から腎臓内科になって日赤で働いた。これまたつらい日々だった。
 
開業すると、それはそれはお金というものに押しつぶされそうになりもうブルーで本当に、生きているのは嫌んなることも何度もあった。
でも自分で始めたことだからと、 どうにか頑張って53歳で借金を返済した。
それからを自分では勝手に「余生」と呼んでいる。
そのちょっと前、50歳の時には半世紀の男と言うことで、自分の中では非常に焦りがピークに達してたのにね。
だけど53歳で借金を返済したら、次からはさあ青春だという風にけろっと変わるのだから、人間なんて単純なものだ。
 
53歳になってやっと借金フリーになったので、色々今までできなかったことを始めた。
もちろん病院があるので旅行はできなかった。
ナベサダのコンサートのあとで盛り上がって、
サックスを皮切りにバイオリン、ドラム、
そして同じ医師会の先生の突然の死を目の当たりにして、リタイヤーしてからって思ったピアノも始めてしまった(うまくなる気がしませんけど^^;)。
 
やりすぎだと言われるけど、どれも止めることはできない。
 
59歳からは独学ではあるけど、再びギターに取り組み始めた。
lowコードだけ弾ける人間で終わりたくないなと思ったのだ。こちらも進歩はあるものの遅々としてである。
今は、基本的に、野郎4人のバンドで、楽しくギター弾いたり、時には歌う。
 
開業してすぐに母親が死んだ。
2年ほど前に現役医師を最後まで続けた父親も、急逝した。
どちらも死に目に会えなかった。
プラグマティックな彼らは、自分たちの墓を立てて、「無宗教」でその下に鎮座している。
儀式もなにもない。
自分もまぶたを閉じて墓の光景を思い出すくらいのことだ。それでenough。
 
死んだあとにはなにもない。
 
いろんな人が誘ってくださったおかげで、音楽を実際人前でプレイすることも僭越ながらできるようになった。
音楽を通しての人間関係も、やはり人間関係には違いないので紆余曲折ありますけど、
今までの医療関係の付き合いとは全く違って面白い。
医者と言えば同業者とか MR さんとの付き合いしかなかったからね。これはちょっと大げさかな?
でも、自分にとっては本当に視界がパノラマのように開ける瞬間だった。
 
そして 世の中の仕組みが変わってきて、医局制度があまりかつてほどの重要さを持たなくなり、フリーターの医者とかも出来たおかげで、うちの病院にもアルバイトの先生が来てくれたおかげで 一泊二日の家族旅行に行けるような贅沢な気分になれた。
これも素晴らしいことだった。
 
順不同だけど、思いつくままに総括してみました。
(昨今いろんな方がなくなられてますけど)死ぬ前には、こんな景色が走馬灯に流れるのかいな・・いや、そんなことはないな。絶対に。
 
だったら今やっとけよってことでしょうからね。
 
そして この冬で60歳になる。
60歳になった自分はそこからどんな風景を求めるんだろうか。