#686 「ドライブ・マイ・カー」(「女のいない男たち」(村上春樹))から再読はじめる。
ふと思いついて村上春樹さんの短編集女のいない男たちを読み始める。
「ドライヴ・マイ・カー」と言う短編をもとに映画が作られ、世界中で注目されているらしい。
そういえば新聞で、スピルバーグ監督が「ウェストサイド・ストーリー」を再映画化したと言うのも見たな。
短編小説集である。
短編は時間のある領域だけを切り取って、そこで終わりまでゆくことなく、ちゅうぶらりんのままで読者に投げ出されることが多い。
だってその後も人生やらストーリーは続いていくんだからね。
我々の凡人の悪い点は、
何にでもすぐに結論を出そうとしちゃうってなんだろうね。
だから話を切ってしまおうとするんだよね、自分のその一声で。
そこで終わらせようとするその癖は治しようもないし、それでうまくいくときだってある。
でももっとその先の、キミの言葉も聞きたかった夜も或るような気がする。
起こってしまった事は起こってしまったことだと、われわれは確かに認識する必要がある
悲しいけれど悲しいこと、悲しいけれどどうしようもないこと、
そして確かに「ドライブ・マイ・カー」の主人公が言うように、
照明を浴び決められたセリフを口にする拍手を受け幕が下りる一旦自己を離れまた自己に戻るしかし戻ったところは正確には前と同じ場所ではない。そういうことなんだろう。
そういうことなんだろう。
村上春樹さんの小説の説明っぽいというかロジカルな手法は、きっと好き嫌いの分かれるところだろうと思う。
自分ももっとシンプルな光景だけで終わらせたいときがある、
というか、口に出さずに自分の中だけの美しくない光景を排した「綺麗なままのstory」でうやむやにして終わらせたいことがたくさんある。
だって世の中は哀しすぎるから。
読んでいて最初は久しぶりの比喩とかメタファーに戸惑っていたが、
だんだん読み進めるにつれ、自分は村上春樹の熱心な読者と言うことを再認識させられた。
再認識と言うよりは、村上春樹さんの世界に「やれやれ 無事に」帰ってこれたよ、というのが正直なところだ。
そういう場所はたくさんあればあるほど良い。落ち着くのだ
だけどそれで終わらせてはいけないこともある。
だから結論を出してしまいがちで、
「次はどうするんだ お前の次の目標はなんだ 休む暇なんかねえよ 死んじまうぞ」とねじまき鳥が騒いでいる。
結論っていうやつはね、そんなに急いでは行けなかったんだよね。
「ドライブ・マイ・カー」を読んでそんなふうに少しだけ思う。