だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#656 おかね

American 100 bill

 

 
お金の話です。
金は天下の回りものと言うけど、本当にお金というのはなかったら困るけど、幸いなことに今はあまりお金を事に シビアになることはなくなってきました。
まあ そんなら俺にくれよとか、おごってくれよとか、給料上げてくれよとか思ってる方も居ると思いますけど、まあそんな話じゃないんですよね。
病院を建てるときには、銀行という媒体が我々の事業計画に融資してくださったおかげで、なんとか船出ができたわけです。
でも信じられないほどの借金まみれで、俺がこの借金を返し得ることができるのだろうかとか、 開業医人生えらんだけどこれで良かったのだろうとか、莫大な借金を目の前にして本当に途方に暮れた事が何度もありました。
お金というのは誰が持っていても同じお金なんだけど、その人間の価値とかその人間の存在というものの「前」に存在することができて、そのひとというものがじゃあのりうつってくれるのか ということを考えたりします。
お金は確かに 性格を持っていないので、流れていけば流れ着く先は 分かったものではなく、
寄付をしても 株を買ってもギャンブル使っても結局お金はどんな様にでもなれる、どんなところにも流れていくのだと思います。
どんな話がしたいのかと言うと、 そんなお金であったとしても、その人の手の内にあるのなら、やっぱり その持っっている人の性格とか価値観とか、例えば見ている海の色に染まってほしいなあというはなしです。
自分は自分の色に染まったお金を持ちたいと思います。
欲張りな話ですね。
うまいたとえ話に全然なりませんでしたけど、
お金が象徴するものであったとしても、
自分自身とかそんなものが宿っているいろんなものどもを、例えば子供とか、 例えば周りの人に伝えられたらなあと思うわけです。
だって、われわれold generationは、お金について語るときに、はなんだか必要以上に自分を卑下してしまうことが多いですし、そんな世界観で長いこと生きてきましたからね。
医療は慈善事業じゃないし、資金繰りが回らないと経営も新しい医療機会もスタッフの満足も得られないんですよ。
そんなアタリマエのことを当たり前にもっと語っていいんじゃないかと、やっと自分に言い聞かせられたり、他人の前でも言えるようになったのはここ10年くらいのことですからね。
でも偉そうなこと言って簿記もわからんし、管理とかそういった事務的なことは会計事務所任せではあるのですけどね。
あと自分によく言い聞かせるのは、たとえお金があっても、自分の範疇を決して超えるな、自分の器を知れ、ということですかね。
時にはジャンプしてもいいけど、着地点をみすえた上でってことかな。
つまらなくなってきたのでこのへんで。