#698 中森明夫「TRY48」をほぼ一晩で読んだ。(昭和シリーズ①)
おれは昭和35年生まれの62歳だ。
小学校の時に校庭で、当時の大学生がなんかデモ行進みたいなのをしているのを見たことがある。
教育学部附属小学校だったので教育実習生の方が何人も現れては消えていたが、班の中でちょっとハイソな感じのお姉さんは、やっぱり三島かぶれだったりしていました。
三島が腹を切ったのが1970年で、アポロが月に降りたのがその前の年の1969年だった。
当時何もない小学生の自分が世界とコミットするために必要であり、それが何かわからなかったのを探り当てたのは、おそらく中学生くらいで知った寺山修司がきっかけではなかったのかと思う。
寺山修司の言説はキャッチーでそのままポップでそれでいて歪んでいた。 だから大人にはない価値観を求めていたというか、大人の価値観もわからなかった自分にとっては飛びつきやすい存在だったんだろう。
その寺山修司さんは1983年に47歳で亡くなったそう。
家人が飲み会に出かけた夜に発作的に電子書籍で読み始めて止まらなくなって、すぐ寝なきゃいけないので寝て(この無用な夜更かしをしないところが年配の処世術だろうかな?)、翌日の朝に朝早く来て読み終えた、という、自分としては最近では珍しいスピードの読書体験だった。
寺山修司さんがいたらこうだろうなとか、あー寺山の世界はこんなんだろうなぁとか、本当に楽しませてもらった。
そして思ったことは、 寺山修司は「書割り」の世界だということだ。
書き割りだから裏から見るとぺ板1枚で薄っらいものなのに、表に出てそのかき割りのペンキの匂いとかポップさがやたらに刺激してきて、とにかくテンションを上げてくれるのだ。
でもそこはかき割りなので、風を吹いたらすぐに倒れる。
寺山修司さんの言葉にこういうのがあります。
人間の作る小さな一番小さな海は涙だ・・というあれだ。
それがこの小説にも多分出てきたんだと思うけど、そういうって言葉今でも、何て言うのかな無防備なままに聞いたらうるうる来るでしょう。
というわけでこの小説は寺山修司を体験した人にとっては毒薬のような小説なのです。
そしておれはこの本を皮切りにしばし、 昭和に戻ってゆくのであーる。うんうん。