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だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#235 映画「セッション」を観た!

★封切りも終わったようなので、感想を。っていっても演奏シーンなんかゴロゴロ動画サイトに転がっるし、あんまり関係のない話になっちゃいましたけどね。

 

「セッション」を観た。

 

何でも今年のアカデミーの3部門を制覇したんだと。すごいね。

ドラマーの映画というわけで、それは蛍光灯に吸い寄せられる蛾のような感じで、前情報も殆ど無いまま、1年ぶりくらいの映画館に出かけたのだった。

ドラマー志望の青年と鬼教官の物語?セッション・プレイヤーの物語?チャーリー・パーカーがバードになるために払った代償に関する考察の映画?

 

人間はいくつもの業を抱えている。日本人にはわかりやすい論理だ。そして諸行無常という概念もなんとなく共通項として流れている(若い奴らはどうなのかわからんけど)。日本語では音楽は音を楽しむと書いて音楽だ。でも楽しかったねとか、良かったじゃん、ですまされないのもまた「音楽」の一面だ。音楽もまた「業(カルマ)」であるのだ。そのdeepさを教えられた。

 

おれは50過ぎてから、「音を出す」という行為に自覚的にある程度向かい合うようになった。もちろん果てはない。ある種の修行みたいなもんですかね。でも無自覚で向かい合ってるとホントただでさえない時間が、またまたいたずらに過ぎてくだけなんだよねえ。だから焦りまくりである。ゆとりがないのは果たしていいことなのか、最近、わかんなくなっている。

 

仕事が中心なんでそんなに練習する時間ないんですよね。だからぼちぼちなんですよ。なにめざしてんの?だってとりあえずplayしてたら楽しいじゃない。それでけでいいけどそこかなホントは何かひとつずつでも掴みたいんですよね。自分やら他人に対していろんなエクスキュースを繰り出しながら、練習したり演奏したりしてるけど、ほんとにこれでいいんだろうかと思う日もあれば、心の底から楽しいと思う日もある。語らんでもよしなのに心の中にはまだまだたくさんのいろんな言い訳があるのよね、でも続けてる。

ネッ、まるで人生と一緒なんじゃねえの、毎日毎日自分に言い訳しながら言い聞かせながらもしぶしぶ続けてる(いやあくまでこれは自分の例えで、皆さんのpositive lifeと比較されるようなものでもなんでもありませんからね)。

やはり、お釈迦さんの言うように、人間は「業」を背負って現世をウロウロするものなんである。でも解脱とかせんでもええんよね、おれはね。

 

じゃあオイラの最終到達点はと言われても、答えは風の中に舞ってるんだよ、友よ・・とか、しらばっくれて、また音楽という業にとりつかれた男やら女やらの世界に戻ってゆくこともこれまたいとおかしものくるほしなのである。

 

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