だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#643 ジェスチャードローイングはじめました。

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昼からコロナの集団摂取、
それまでに日常ルティーンを補完する。
 
「パルミー」でWeb講座を勉強している。
1w前から、ジェスチャードローイングという手法を始めた。
1wの無料期間が過ぎたので、決意して有料講座に切り替える。
 
youtubeで勉強していたりもした。
一つを見ていると、そこから紹介されて、どんどんどんどんとリンク先に飛んでしまい、そこにまた見入ることになり収集がつかなくなって集中できなくなった。
youtubeは知識の宝庫だけど、自分には宝のそびえ立った山過ぎて崩すこともできないことに気づく。なので一冊の本で勉強するほうが有用だと思っていたが、これまた玉石混交でセレクトが困難だ。
 
で、最近、Web講座にたどり着いたわけだ。
 
PCの画面上とはいえ、動くモデルさんがポーズを撮ってくださるのはありがたい。まさにデッサンだ(ホントのデッサンしたこともないのに偉そうですんません)。
 
今朝は、「ジェスチャードローイング ヌード編」の4日目だ。
全部で30日。
モデルさんの固定ポーズ、1分が5回、2分が4回だ。
ひたすら描いて、あっという間に時間がすぎる。
その後で、下書き無しでできれば一枚絵を万年筆で描いてみるのが自分に課したルーチンだ。
 
講師の砂糖フクロウ先生の名言を、
 
「この世に線というものは実は存在しないんですよね
光と影の境でしかない
でもいいんですよね、
線を描くことによって、脳が補完してくれるんです(!)」
 
かくして人類補完計画のために、今朝も描くのでした。
 
 

#642 久々のマット・スカダー

石を放つとき (マット・スカダー・シリーズ)

 
さぁ、新しいiPadの方にもspeechという音声アプリを入れた。
これは制限時間なしで音声入力をしてくれるアプリで、いろいろ音声入力を試していてこれが1番良いと言うことに落ち着いたのだった。
 
今日は休みだった。
 
久々にカホンも叩いた。
サックスはほとんどいじってないのでしょぼい音だったけど、それなりに吹いた。
帰ってきて久々の紙の本のページを開いた。
ローレンスブロックのハードボイルド「石を放つ時」と言うハードカバーの本だ。
新作といっても、これは過去の短編+石を放つ時という中編のふたつが合わさって1冊の本になっていると言うものだ。
 
マットスカダーシリーズはなんのかんの言って大学時代ずっと側にあった、唯一残っているハードボイルドシリーズかもしれない。
本屋で筒井康隆氏の新しい文庫本を手に取り、Kindle版があったのでやっぱり家でダウンロードして読もうかなと思ったのだけど、アマゾンで買っていたこちらを先に読もうと思ってやっと開いたのだった。
 
感慨深く読み進めた。
 
実はデュカプリオ版のグレート・ギャツビーを映画で見て、
これもずっと前から買い込んでなかなか手がつけれない、村上春樹訳のグレートギャツビーを読もうと思ったんだけど、やっぱり何と言うのか1ページ目で眠ってしまうわけですよね、ベッドで本を読んだりiPadを見ていると。
ホントすぐに寝てしまうわけです。不思議なくらいにね。
 
歳をとると焦る気持ちだけは増えていって、でも自分にできることの限界も10分認知するわけで、まぁいいやとそれでもできることをするだけだと、自分に言い聞かせて生きているだけです。
何が言いたいのかわからないけど、久々に紙の本を手に取ったので書いてみました。
 
そういうわけでブログに何を書いたらいいのかもわからず、目の前のコロナとか目の前の患者さんに対応することがやっとのような日々を送っているわけで、それ以上でもそれ以下でもなく、自分という人間存在は、まぁほんとに日々を粛々と生きていくしかないのだなと思いながら、日々の仕事を粛々とこなし、コツコツと絵の勉強はしているくらいのことであります。
といっても、自分の描く絵はイラストの範疇に入るような絵で、本格的な水彩画でも油絵でもない。
今はWebでジェスチャードローイングのレクチャーを受けています。
ウェブに(それは来週になったら有料課金になってしまうし、多分自分は有料課金するだろうけど。Webにこんな素晴らしいものが眠っていたと言うのはびっくりです!紙の本の方が自分のペースのでできるんだけど、紙の本も今や玉石混合ですからね。Webはいろんなコンテンツがあって自分で取捨選択できるのがメリットではあります。取捨選択がまた余計に混乱の元でもあるんですけどね)
 
そういうわけで生きとります。

#641 つれづれ、しんすけsキッチン

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#2021/05/18
コロナワクチン個別接種初日。
おいらは、closeしてしまった公共施設のために、発表会がなくなり、
今日、島村楽器のピアノルームで独りで演奏する。
「朝日のようにさわやかに」、
pianoをめぐる冒険はまだ始まったばかりだ。もう何年も経つのに。

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#2021/05/17
 
いただいたそら豆と韓国唐辛子の粉で自家製豆板醤をネットで調べて作ってみる。
生麹を入れたので、もしかしてカビが生えたら嫌だなと、何日か経ってから冷蔵庫に入れる。
今のところは、熟成するまではいってないけど、カビも生えずに、待てずにちょいちょい料理に使っちゃっているけど、なんだかいい感じ。
その自家製豆板醤で、「かき」の辛味噌炒めを。牡蠣は片栗粉コーティングで予め炒めて取り出してまた最後に投入。
合わせ調味料は、味噌と醤油とみりんと醤油に砂糖も入れる。
でもベースには豆板醤で炒めてあるので、そちらの「辛味」も合わさって、
さらに冷蔵庫の中の柑橘系も入れてみたのでなんだかちょっと爽やかな味。
野菜はニラともやしとしめじだったかな。
これと焼きそばパンを合わせるという力業で行ってみました。
 

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#2021/05/16
 
雨がブルーなのではない。心がブルーなのだ。
 
エミフルの特設会場で、バナナのシェイクを買った。
商品にはすべて「恋バナなんちゃら」と入っているわけで、この爺が買うのは照れくさい。
「どれにされますか?」
「砂糖なしのがいいなあ」
「甘いのお嫌いですか」(甘いの嫌いならバナナジュースはのまんやろねー)
「いやいや、そりゃあダイエットに決まっとるでしょう!」
「あらー」
で、手に入れたbanabeeのバナナジュースは十分に甘く、
ネコネコパンのパンとともに、昼の胃袋を堪能させてくれたのでした。
 
ああ、だめだ、こんなん書きたいんか、ほんとに。
おれ?
だめだ。
 
#そうしているとあっという間に日は暮れてゆく。
ホットプレートを出して、いそいそと。
新玉ねぎのピザ風、塩麹4日ほど仕込んでいた豚ブロックを中心に、焼き野菜で攻める。
ワインと焼酎と、切ない気持ちと。
 

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加藤和彦さんのCDにこんなタイトルがあったな。
「優しい夜の過ごし方」、
彼の粋な歌は、どうしてこの世に彼をとどめておけなかったんだろうか?
 
 

#640 A Small,Good Thing. その2 Naomiさんの銅版画をやっと廊下にかけたよ。

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エキセントリックに生きている人は何人か知っている。
そういった人の中ではやっぱり女の方の占める割合が多いような気がする。
男女平等とか男尊女卑とか、まあいろんな言葉があるけど、やっぱり 「男社会」というのは、いい使い方で言うと男中心の社会だけど、逆に言うと男は社会から抜けきれない生き物なのかもしれないとも思う。
Naomiさんはスーパー主婦であり、芸術家であり、まさにエキセントリックな人だった。
「誰かにできるのなら私にできないわけがない」というのが心情だったと聞いた。うん、うん。そうでしょ。
自分より少し歳上の姉御。星新一の本も借りた。石川セリのCDもダビングしてくれた。自分の落書きをエッチングにもしてくれた。 一緒に料理した。とある論客と夜の街で激しい論争を繰り広げた。
彼女が亡くなられてもう何年にもなる。
亡くなられる前数年のことはよくわからないけど、多分自分で自分の色んなことを整理して逝かれたんだと思う。
彼女がエッチングをする偉大なアーティストだというのを知ったのは、付き合い始めてから何年か経った時で、その作品は彼女の感性そのままに鋭く 繊細なエッチングだった。見せてもらって、そのうちの2点を自分は所有させてもらっている。
この一点はずっと院長室に眠っていたもので 病院には似つかわしいなと思っていたのでなかなか表に出なかった。
だけどあらためてこうやってみると、これも決して不気味な存在ではない。
なので廊下にディスプレーさせてもらった。
これから、毎朝、そして 一日のうちに何度か通る廊下で、彼女の「作品」の存在を感じながら生きていくという日々が始まるのが、なんだか嬉しいようで悲しいようで、やっぱり嬉しいんだと思う。
Naomiさん。

#639 音楽発表会中止でとほほ。

ますます楽しくなるジャズピアノ ジャズキッズ Vol.2 CD付

 
コロナのせいで5月の島村楽器の音楽発表会が中止になってしまったそうだ。
 
なんせあれだよ、会場である松前の文化センターがcloseしちゃうんだからね。
自粛で閉まるのは、県の施設じゃなかったんかい?とか思うけど仕方ないご時世だからな。
こうやって仕方ない仕方ないから、大東和戦争にまで行ったんじゃないの日本国は、とかも思うけど、まあ今回の相手はウイルスだ。
ウイルスのくせに色んなものを盗んでいってくれるじゃねえか。
飲み屋を奪って、音楽を奪って、次には何を奪うのか?
「ルパンのやつはいちばん大事なものを奪っていきました、あなたの心です」くらいのことが言えんのか!
 
どんどんボルテージが下がっていく。
滑床渓谷で損傷した右親指も治りきらない。
ピアノを弾くときの指くくりのときは激痛で、風呂桶も親指と人差指だけでは持てない感じだ。
全治4週間目になるというけど、まだなので、全治5週間かなあ。
なので毎日とりつかれたように絵を描く。
左利きだから左でApple pencilもてるもん。
我々のバンドだって、練習集まっていいのか集まらないほうがいいのかとかいじいじしていて、結局現実に移していない。
何でもいいんだ音が出せたらね。その後に美味い酒が飲めればもっといいのにな。
喜びも悲しみも奪っていく。HELPをみんな出している。
 
HELP!HELP!
 
今度「松前文化ホール」開催されるはずだったのは、クラシック系のものであり、多分ピアノの生徒さん多いはずだった。
子供さんメインで、大人は3名。
自分は子供向けのジャズピアノで参戦予定だった。
「朝日のようにさわやかに」
 
今まで人前でいちどたりとも1曲を完遂できたことがないので、そのトラウマを克服しようとエントリーしたのだった。
島村楽器の発表だから、参加費用は12,000円と高く、コロナ下だから1人が招待できる観客もたった4名という、まぁなんかこれも萎えるようなセッティングだけど、それでも演奏会に出ようと言うのだからまぁ音楽に対する情熱は熱いのである。
 
でもなくなってしまってよ。あはは。
 
今朝も一人で弾いてみました。
朝日のようにさわやかなヲヤジじゃないけどね。

#638 A Small,Good Thing. その1 古い万年筆

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ついでに立ち寄った、松山の都会「いよてつ高島屋」7Fの東急ハンズで文房具を眺める。
色とりどりのインクと、pilotの万年筆の入門バージョンがディスプレイされている。
「面白いなあ。こんなに色あると楽しいよなあ。これで絵を描くのもありかなあ。」
そう思い、帰宅して、家探しして、きっと高校の入学とかそんなときにもらった万年筆から以降を探しあてる。
モンブラン、パーカー、古くはセーラーとか出てくる。まとめてとってあった。物持ち良いよ、おいら。
一番古いのは高校入学のときとかのだろうなあ。先端にサビのようなものが浮かんでいる。
これらを活かそうと思うが、モンブランにおいては、現行カートリッジは古いサイズには合わないと書かれているし、今手元にある古いカートリッジは中で固まっている様子。
ネットで調べて、「ペリカンコンバーター」が統一サイズで合うとの記載で、amazonから送ってもらう。1267円。
それを装着して、家人の持っている、おしゃれな「月夜」という名前のインクを充填する。
ワクワクが万年筆にはかつてあった。おいらもおとなになったんだよというあのワクワク。
だから、今更だけど、使いみちのないまま何十年も引き出しの中で眠っていたそれらを、再び使おうと思う。
「A Small,Good Thing.」、ささやかだけど、役に立つこと。
そう村上春樹さんは訳した。
人生は、些細なことを少しずつ器に満たしていくしかないのだと最近よく思う。
古い万年筆が、そうであればいいと思う。
 

 

 

#637 アデュオス、アミーゴ。

 

 

どろろ 手塚治虫文庫全集(2)

 
長く見させて頂いていた患者さんがなくなると、自分の体の一部が引きちぎられるような感じがする。
 
だから研修医のとき、外来を持たされてなかった頃は、
病棟の受け持ち患者さん(だけ)が世界の大半を占めていたので、その人達とホント「共存共生」しているような感じだった、今から思えば。
その頃の患者さんたちのことは時々、昨日のことのように思い出す。
 
開業して、手術もしなくなり、そんなスタンスも少しずつ変わり、
今は外来で見させてもらう患者さんが増えすぎて、全員の詳細なバックボーンを知っているわけではないが、それでも付き合いは長くなった。
だからふとしたきっかけで訃報を聞くと色々想像してしまう。
 
透析患者さんとは2日に1回は顔合わせているので、これまた不思議な関係だと思うし、
自分は慌ただしい回診のあと、外来にへばりついているのでともかく、
自分の親以上の歳の患者さんを相手に、一日中傍らで治療にあたっているうちの透析スタッフはほんとえらいなあと思う。
 
思い出したけど、手塚治虫先生の「どろろ」という漫画がある。
 
主人公の百鬼丸の親である領主が、自分の野望を果たすために、自分の息子の体を妖怪に与えて、それで百鬼丸は自分の体をほとんど持っていないまま生まれてきたのだった。
彼が妖怪を倒すたびに、その妖怪が持っていった体の一部が、百鬼丸の体から生えてくるのだ。
その度に、彼は世の中の終わりのような痛みを感じながらも、自分の臓器を取り戻すのだった。
 
そこには喪失と再生があるんだけど、
患者さんがいなくなる時は喪失の方が大きい。
そんなことをもう何度も何度も繰り返して生きてきたし、その事にある程度は慣れていても、やっぱり最後の最後は、喪失感がすべてをさらってゆき、しばらくはそれを埋めるものなど何もない。
虚しさが残るだけだ。
 
でも考えてみれば、生きとし生けるものの最終は「死」であり、そこにたどり着くことは自明の理なのだだから、
最終到達地点の「死」の意味も大事だけど、どうやってその人(死)にさよならと言えるか、自分とその人との折り合いをつけるか、それに尽きる。
 
だからもういっぺんいうよ、アデュオス、アミーゴ。