だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#558 開業医の定年。

開業医というのは定年がない。

 

定年がないのは羨ましいとか言われるけど、自分で自分の定年(END)を設定するというのはこれはこれでまた非常に難しいことだ。
周りを見渡すと、 結局医者を止められずにいつのまにか悪性疾患とかその他の疾病でにっちもさっちもゆかず死んでしまった人が何故か周りには多いような気がする。
でも彼らが、医者をやめられなかったのか、自分の意志で続けていたのか、それはわからない。

 

先日基幹病院の勉強会で、
「医者は仕事がなくなるとすぐにボケると言います、 先生達は定年になられたら次はどうされるのですか?」という
何だか意地悪なのか愉快犯なのかわからない質問をした先生がいたけど、
そんなのその人のモチベーションの持ち方次第じゃないのかな?

 

自分が属しているのは松山市医師会という巨大な医師会の隣の群舞の医師会だ。
会員は多分100人ちょっとなんだと思う。
新規開業医は増えない。誰も来ない。
当然病院も建たない。だって隣に大都市・松山市があるんだからね。
そんな中でもレベルを保とうと思って医師会活動頑張ってる先生もいる。
自分はなんとなく加わっているだけで、あまり医師会に対してポリシーというものもないのでごめんなさいですけど。
まあとにかくやっぱり医者は増えない。
増えないと仕事の負担は増していくばかりだ。
そんな中で また医院を閉められる先生がいるという話を聞く。

 

自分が何時まで目利きでいられるのかということはいつも考える。
医療の進歩は めざましく、10年前では考えられなかったようなことが当たり前になっている。
そんな中で、いつまでも昔の方法論でやっている自分達にそんな明るい未来があるとも思えない。
まあ人間という存在が、いくら技術が発達しても中身はそう変わらないものなので、その点では従来ながらの「対面診察」という技術は廃れないのではあるけれど。

 

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これは先日の飲み会の時 「椿倶楽部」で描いた絵。
その日が初日という彼女の絵を描かせてもらったもので、やはり1枚目だけあって、そして酔っ払ってないだけあってタッチが一番まともだ。
ある時期は筆ペンでほとんど描いていたけど、今は筆ペンはちょっと休んでいたわけで、久々に筆ペンで描くと、このなんていうかアナログなタッチは、やっぱり自分の好みだということが今更ながらにわかっちゃった。あはは。

#557 長い長い一日。

昨日の朝は結局 朝の3時半からずっと寝ないで外来をした。
 

 
外来中に何度も睡魔が襲われたけど、何かをしていると何とかなったので、診察やらメールチェックやら、はてには最近膠着状態だったイラストをだいたい10分から15分ぐらいで延々と書き続けた。
描き続けているとハイテンションになってまた描きたくなるというまぁ変な感じで、夜間透析の回診を終えて、なんとかルーチン業務を終えて夜を迎えることができた。まあ昼寝する時間もなかったもんね。休憩なんてそんなもんまとめて病院業務の中で取れることはないからな。だから自分にとってはランチタイムとかいったりするものは羨望でしかない。オンとオフの区別がないんだよね。
でも個人事業主の特権で、10とか分暇があったら小さな音外来診察室でギターの練習をしたりしていることもある。そうやってやりたいことは全部やっておかないと時間なんてあっという間に過ぎて、最後に玉手箱をあげて浦島太郎みたいにお爺さんなって死んじゃうんだからね。
 

 
夜は、愛媛県立中央病院で「第15回医療連携懇話会」があったので雨の中を出かける。
これは毎月開かれている会なのだけど、現在の院長の西村先生を筆頭として、今年で定年になられる錚々たるメンバーが5人勢揃いで語ってくださるという貴重な会であり、初めてではありますが参加しました。
5人のメンバーとが、県病院との関わり・自分の個人史などを交えて話してくださって、聴き応えのある会でした。
1時間半の講演会だったので途中でちょっとだけ寝てしまいましたけどね^^;
会場はほぼ満席でしたよ。
 
最初の先生が、自分の恩師のことを話されている時に、感極まって男泣きされたのはこちらまでぐっときてしまいました。
自分だって一人で医者になったわけではなく、今でこそ自分でなんでもできるような顔をしたりもちょっとはするけど、その自分を今の自分にしてくれるためにはいろんな先生の指導があったわけで、まあ自分だってかなり努力したほうだとは思ってるけど、 この辺があんたは謙虚さが足りないと言われる所以なのかもしれないですね。ははは。
 
最初のオーベン(指導者)の先生・ぺいぺいの自分を一人前扱いしてよく遊んでくれた先生・自分をゴミのように罵った先生(でも今もその先生を尊敬している)・大学時代も嫌味を言いながらもちゃんと指導してくれた先生・脳出血で半身麻痺になりながらも学生の講義を続けた初代教授の T 先生、いろんな先生が今の自分を作ってくださった。
それを考えると自分だって涙ぐむわけだよね。
 

 
まあそんな会が終わって、雨の中晩飯をゲットして帰り、
犬の餌をやって、娘とちょっとしたたわいもない話をして、風呂に入って、食卓に食材を並べて、やっと焼酎を飲み始めるわけであります。
いやー長い一日だった。
 
それでも朝はやはり早く目が覚めてしまって、いつものようにギターの練習しましたねえ。

#556 スカパラのコンサートと患者さんと音楽と。

 
まだ暗い 病院の朝だ。
この時間だとやはりまだ眠気があるね。
 
スカパラのデビュー30周年のライブに行った。松山コミセン。
スカパラがデビューしたとき自分は大学生だった。
あの頃は 色んな店でスカパラのファースト CD が流れていたのを思い出す。 そんなふうに思うのは大学浪人時代の、あの RC サクセションの「よぉこそ」という曲と、スカパラの二つぐらいだ。なので1枚目の CD は今も家のどこかにあるはずだ。
1枚目の CD から昨日は2曲やってくれたな。やっぱり聴いていると知ってたね。
それにしても30年すごい道のりだ。(ちなみにうちの病院も21年だけれど)
メンバーは現在は8人でそれぞれがみんな結構長い MC をされるのでちょっと MC の間は テンションが下がったけど、それを引いてもお釣りがくるくらいの十分なライブだった。
ありがとうございます、生きていく勇気をもらいました。
確かに、いろんな出会いや別れがあるけど、とにかく それも 何らかの糧になっているのでみたいなことをバリトンの方が言われてたけど、
人生というのはそういった枝葉のようなものの積み重ねでしかできていないよね。
なかなか自分の思う方向にだけは動いていかないものだ。よ。
 
コンサートの後みんなで飲みに行ったんだよ。
だけどゆえあってノンアルコールビールとウーロン茶で談笑した。
ちくしょうと思ったけど、ある種は正解だった。
アルコールなしだと話の内容全部覚えてられて、それもまた何か楽しい(負け惜しみじゃないよ、負け惜しみもあるけど・・)。
いやアルコールで意識が飛ぶと人生の1/3ぐらいは欠落しているような気がして 、
なんだか今年はちゃんと覚えてよーと思ったりしたんだよねと、夜道で言ったら、
姉御が「私なんかそしたら5分の1ぐらいしかないね」と笑った。
うん、この感じがまたいいよね。
  
そんなわけで、居酒屋でバンドの面々とぐちを言ったりしながら盛り上がった。
SKAやりたいね。 歌って踊ってコーラスするんだ、ポールとジョージみたいにね。MCなしのノンストップで3曲はやろうぜ。なんてな。
まずは、ハンドルネームじゃないけど、芸名を考えようよというオチに何故かたどり着く。あはは。
「芸名はその人を規定しますよ」みたいな意味のことをU先生がボソッと隣からささやく。
自分が、もはや誰がどう見ても泌尿器科の医師としての「自分」であるように( まあ何十年もかけてそういう自分を作り上げてきたんだろうけどね)、芸名というのは、その人の性格とかキャラとか佇まいとか、そういうものを規定してくれるのかもしれないね。
それも一興かもね。
 
そしてまだ夜はあけないけど、これからまた一寝入りしようかな。

#555 お久しぶりです。こんなもん作りながら粛々と生きとります。

久々にブログでも。
 
これもリハビリの一環なので書き記しておきましょうかね。
 
昨日は本当はワインに合う料理と思っていたのだけど、諸事情で炭酸水を飲むに止めることにする。
 
【meneu】
・牡蠣入りの台湾風オムレツ(何で台湾風なのかよく分からない。これにオイスターソースとか豆板醤の入ったタレをかけて食べる)
・水菜と生ハムのサラダ(ちょっと味付けが辛すぎたかな)。 粉チーズをかけていただきます。
・まるごとカブを煮たスープ(かぶが皮ごと柔らかく食べれて心温まる感じでした)。
・人参とカラムーチョとマヨネーズで作る「人参のカラムーチョ」、これは簡単で人参がたくさん食べれて素晴らしいかもしれない。

 

 
【一昨日のmenu】
・牡蠣とエリンギ とほうれん草の丼
(なんか 国籍不明の丼になりましたね)
・背の高いブロッコリーのとミニトマトのマヨネーズ和え・・とワイン?
 
 
【一昨々日のmenu】
家人が急にギブアップしたので 冷蔵庫の残り物で調理をする。
炊飯は何と21分でできちゃうという超高速モードを選んでみましたけどまずまず。
厚揚げとサーモンのソテーにはレタスを添えて。
そして、紅大根ときのこの味噌汁ですね。シンプルご飯なり。
 
 
【も一つ前】
カルボナーラうどんには、ゴロゴロベーコンとラー油をたっぷり載せてみる。
里芋のソテー。
くたくたキャベツby Staub
 

#554 君は今年の冬を知らない

 
あの日の凧揚げのことを覚えているかい
僕は慎重派だってことは知ってるよね
だからなのか それとまったく関係ないのか
ちょっとずつ
ちょっとずつ手元の糸を緩めていった
凧はふわりふわりと
やがて 風に乗って急に跳ね上がった
 
凧の両端を持ってくれてた君は
いつの間にか
ちっちゃくなって そんで透き通って
その凧を持ったままで
どんどんどんどん登っていってしまったんだ
 
冬の空が こんなに澄み渡っているのは
冬の空気が こんなにも凛としているのは
君の舌っ足らずの笑い声が どこかから聴こえるのは
 
そして君は今年の冬を知らない
 
 
【蛇足】
これまた何十年ぶりかの九州南部の旅でした(学会で博多までは行ってましたけど)。
写真は、知覧の「武家屋敷庭園」で撮りました。
今回の旅行では「冬の空」をえらく意識しました。
だからこれらは結局は空の写真で、空は大気であり、大気と空気の感触にほかならないのです。その切れるような空気に触れて、感じて、そして澄み渡った空を見上げるときに、冬をまた今更のように習うのです。
 

 2019/12/31 @知覧
 

#553 映画「yesterday」を観た、そして久々のジョン・レノンのこととか、59歳になったこととか。

おはよう世界。
 
ジョンレノンが死んだのは 1980年12月8日のことだったと思う。
その翌年の4月に自分は愛媛大学の医学部というところに入学した。
何度か書いたのでだんだん記憶が捏造されているかもしれないけど、最終の面接の時にあの寒い寒い福利会館の廊下で、ジョンレノンの死んだ後に出たアンソロジーの本を読んでいたのを思い出す。
あれからもう40年も経ったのだ。
そんな自分も 、今日「平成の日」というのかな(去年までの天皇誕生日だ)? で満59歳になった。
半世紀の男とかと言って50歳の時にギャーギャー騒いでいたのに、それからもう10年近くが過ぎてしまったのだ。
 
12月8日は1日中ジョンレノンのことを考えていようと、その時(そのときって一体いつなんだ?)に思ったのだけど、いつのまにかそんな思いは消えてしまった。
と言うか、思い出すこともなく、街にジョンレノンの「ハッピークリスマス」が流れることもめっきり減って、そんななんやかやで、どんどんどんどん忘れていって、12月も末くらいになってからから一瞬だけ思い出すような日々だ。
それがリアル。
 
そしてふと思った。
ジョンがこの世に降りてこないのなら、こちらから会いに行けばいいのだというようなことを。
それは願えば叶うんじゃないのかな?
「イマジン」の歌詞みたいに。
 
 ビートルズがない世界に 突然に合わせることになったミュージシャンの男の子の人生を書いた映画「yesterday」を観たんだ。
 
公開中の映画なんで あんまり詳しいことは書けないけど、ビートルズのいなかった世界に、ビートルズを知っている ミュージシャンの彼が いるというそれだけでなんとなく映画のストーリーは察しがつくと思う。
 
今でもビートルズはやっぱり 偉大だ 。
でも自分の中ではやはりビートルズではなくジョンレノンだったのだろう。
どちらかと言うと、亡くなった後でジョンレノンに接する機会が多かった自分だけど、そのジョンレノンが今生きていたらどうかなんて考えることに意味があるのかどうか分からないと思いながらも、やはり時に考えてしまう。
それは清志郎さんにだって言えることだ 。
でも彼らはきっと言うんだろうね going on your own wayって。
 
分かったよ 分かったよ。
死んだジョンレノンの顔は恥に満ちていたかもしれないけど、それから 40年近く経って ジョンレノンは、自分の中ではあの「twist&shout」の青年に戻っている。
 
死んでいた人は 年を取らない。
年をとった自分が、むしろ若い時のジョンの中にあるものを今更のように発見したりするのだ。ずっと昔からあったはずのものなのに今更ながらに気付かされることが、そして世の中にはなんと多かったのだろう。
だから、風の匂いも、あのむせるような花の香も、くそうっとおしい蕁麻疹やら花粉も、全て享受して慈しむしかないのだろう。そんなもので世界は満ちている。満ちていたんだよ。
 
ありがとうジョンレノン、 俺は59歳になったよ。

#552 第13回 全国土佐和紙葉書絵展に応募する。

和紙絵葉書はまだ門外不出なのでかわりに。これは酒場で隣り合った、母娘の方をスケッチしたもの。
 
昨日3回目のトライアルで高知県いの町の「和紙絵葉書展」の葉書を完成させた。
 
今回は顔彩という絵の具を使って描いた。
従来の「線から描く」という手法とはちょっと変えて、アバウトな下絵を薄く鉛筆で描いて、それに直接顔彩で色を乗っけていって、仕上げには、ちょっとだけ、やはり「顔彩」を用いて細い筆で線を入れるような手法にした。
 
最近いろんなことがつまづくばかりで、
もしいるとしたらだけど、芸術の神様というか、いろんな神様から見放されているような気がしていた。
 
でも、描き初めて時間をとると、
自分の中に眠っていたものが、紙の上に勝手に走り出すのがわかった。
 
最後の1枚は、それ絵も枯渇してしまって、目を閉じていると、すぐそばで一緒に働いている、泌尿器科のパートナーの彼女のことが浮かんで、それで描いたら簡単に下書きができちゃったのでそれに昨日色をつけて完成にしたのだ、最後の1枚をね。
 
戯曲「夕鶴」の物語を思い出す。
助けてもらった鶴は よひょうのもとに嫁ぎ、
皆が寝静まり返った深夜に、自分の羽で機を織るのだった。
身を削っての恩返しは、でもそれでも鶴である「おつう」にとっては至極の幸せな行為だったんだろう。
 
自分のちっぽけな才能なんて、すぐ枯れちまう。
でも井戸は目の見えない深くにまだ水をたたえてるんだ。だから焦らないで目を閉じて心の声を聞けばいい。
たとえ今回がだめでも、また機会はやってくるんだから。
 
応募作品なのでお見せできないけど、全部で10枚。締め切りは12月22日。
こうやって作品ができた時も嬉しいけど、またそれがみんなの前で公開される事になると嬉しい。
それでもしかして賞が取れたりするともっと嬉しいとなるわけで、ほんとに何度も何度も楽しめるアイテムだよね。
 
この和紙絵葉書もこれで3回目の挑戦になる。
なんでか知らないけど1回目2回目と賞もらっちゃったので、実は天狗になっている面もあるよね。
それはねしょうがない。
トライする機会を与えてくれた「いの町」さんは、やっぱり自分の何番目かの故郷と呼んでもいいんじゃないだろうかとさえ思う。