だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#407 Don’t let me down ~今年もジョンが来てまた去ったよ~

Imagine (New York, USA)

 

Don’t let us down,don’t let us down
誰が言う きみが言う 僕が言う
Don’t let you down,don’t let you down
君の夢 僕の夢 彼女の夢
Don’t let me down,don’t let me down
あの風の強い丘で 彼女はそれでも歌ってたよ

 

悲しいときにはなぜか笑ってしまうんだ
でもそれは笑顔なんかじゃない
悲しいときの笑顔は
顔面に張り付いた凍ったままの仮面

 

誰もが泣きながら笑って 出会いと別れを見送る

 

海老の背中に包丁を入れる
はらわたを楊枝で引っ張り出す
つるんつるんってうまくはらわたが抜けたら快感だよなあ
そんなふうにオイラの神経もいっそのこと
きれいに抜いてもらえないかな?

 

今夜 今夜 あの場所で会おう

 

なんだっけ、
ジャック・ニコルソンのあの映画で、
インディアンはロボトミー手術で脳みそを焼かれたんだったのかな
脳みそのない彼はもう彼ではないとしたら
自分を認識できなくなった人たちはもう誰でもないんだろうか?

 

どこに行っても壁はある
だったら たどりつくのは彼岸くらいしかないのかな

 

Hey彼女 もうおれを壊さないでよ
Hey彼女 もうこれ以上おれをナーバスにしないでよ
Hey彼女 もうたくさんだ ありったけの愛でおれをめちゃくちゃに引き裂いた
Hey彼女 もうすぐに冬がきて 白黒の景色にみんな溶けてく前に

 

あの風の強い丘で 
あの風の強い丘で 

 

彼女は海に向かって歌ってた
唇を読もうとしたけど逆光で彼女のシルエットしかわからなかった
でも彼女の唄が聴こえた気がするんだ
Don’t let me down,don’t let me down
あの風の強い丘で 彼女はそれでも歌ってた

 

きみにあいたい
もいちど きみにあいたい

#406 そこにはただ風が吹いているだけ・・ Music Live,2017/12/03

 
はしだのりひこさんが亡くなられた。
72歳だった。パーキンソン病を患っていたという。
戦争を知らない子供たちである「フォーク・クルセイダーズ」のメンバーは、これで、精神科医北山修氏だけになってしまった。
 
もう何年前になるだろうか。
もう一人のメンバーである加藤和彦氏の自死は、自分にとってはかなりショッキングな出来事だった。
でもそれも、時が過ぎれば、どんどん薄まって消えていってしまうものなのかもしれないし、実際この自分の中でもいろんなものが忘却の彼方になってきている。
まったくやれやれだ。
 
でも忘れることもなくては生きてはゆけない。人生は悲しすぎることのほうが少しずつ増えてゆくものだ、歳を経てくれば来るほどに。
 
「死にたいというより、生きていたくない、生きる場所がない・・」トノバン(加藤和彦氏の愛称)はそう遺書に綴っていた。
あなたの言うとおり世の中は生きていくのに難しすぎるかもしれない。
でも、自分の居場所はきっとどこかにあるはずなんじゃないのかな?
おれは今もそう思っているし、ある程度は自分の居場所を見つけたとさえ思える日だって増えてきている。
 
去る12月3日は、年に一回の島村楽器エミフルMASAKI店の「MUSIC LIVE」だった。
 
昼から老舗のlivehouse「Monk」でスタートしたliveは、5時過ぎに終わった。
liveの興奮のあと、知ってるメンバーもよく知らないメンバーも、音楽という「綴り」のなかではひとくくりに違いないので、
集まって、楽しく酒を飲んだ。
おもったよりも多くの、33人のメンバーが集まってくれた。
幹事をやった自分はなんだかうれしかったですよ。もっとみんなとパーソナルに喋りたかったなあ。
20代から60代後半まで幅広いメンバーが音楽というククリではしゃげるのはほんとに素晴らしいことだよな。
 
当然、若い世代には「戦争を知らない子供たち」さえ知らない「子共たち」もたくさんいた。
そんなわけで、まあまあ共通世代のオヤジ3人で、二次会のカラオケで、肩を組んで「風」を歌ったんだよ。
 
ねえ、はしださん!
 
実は、その場には、この年末で島村楽器を去られる先生や、近い将来に自分の人生の新しい船出を選んだ女の子もいる。
だけどその瞬間は湿っぽい空気を自分の中で封印した。
でも、でもね、会場の遠くで笑ってる彼女を眺めると、やっぱり少し切なくなったりもしたんだよ。
おいらが振り返っても振り返っても、あの娘が乗った船は港を出ていくだろう。
何を言っても、何かの間違いでもなんでもなく、船は港を出てゆき、あの娘はその舟の中の暖かい布団にくるまり、明日の夢を見ているんだろう。
残されたオイラは、船の航跡も消えたあとの、ただただ港を吹き抜けてゆく風の気配を感じて続けているだけなのだ。
本当に誰かのためにできることなんてなにもないのかもしれない。
 
それもこれもあれも含めての一回こっきりの人生だからなあ。
 
♪人は誰もただ一人 旅に出て
人は誰もふるさとを 振りかえる
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も人生に つまづいて
人は誰も夢破れ 振りかえる・・・  「風」 

 

        
 
P.S.
自分は欲張りなのでliveに3回も出演したのだけれと、その最後がヴォーカルとしての参戦だった。
おんなじ先生に習ってるドラムの兄弟子のKさんのドラムと、教師陣のプロのミュージシャンのバンド演奏で、ビートルズの「Don’t let me down」のヴォーカルをさせていただいたのだった。
自分にとってはほんとに貴重な体験だった。
この一ヶ月は、ドラムのレッスンには行くのに、ドラムではなく、ただただ、ひたすらヴォーカルの指導を受けてたからなあ。
でもそのおかげで、まあプロの歌手じゃないし、ましてやジョン・レノンでもないので、限界はありありにせよ、自分のボーダーは超えれたと思う。
だからその日は完全燃焼だったんだよ。
 
そのKさんと最初に会った夜、二人でタクシーに乗っての帰り道、
後部座席で意気投合して、二人で口ずさんだのが、やっぱりフォークル2枚めのシングルの「悲しくてやりきれない」だった・・・というのも何かの因縁だろうね。
そんなことを昨日の夜、ふと思い出したんですよ。
なんかしみじみと、暗い後部座席で酔ったオヤジが二人、歌いましたよねえ。
 
♪白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いは ないだろうか                 
             「悲しくてやりきれない」

 

 

風

  • provided courtesy of iTunes

 

#405 彼女は「let it be」と言った。

 

万事を尽くして天命を待つと言う言葉がある。
でもなかなか万事を尽くすまでいたらないまま時間切れになることが多いのが人生と言うものだ。
それで何度も何度も後悔をしてきた。
後悔は確かに先には立たないのだが、それをわかっていても何度も後悔を繰り返す愚かな人生である。
あの時もうちょっと頑張っていればよかった、あの時こうしていればよかった。

でも今回は愚かなりに、時間がないなりに頑張ってみた。
頑張って頑張って自分の力量をちょっとは越えたんじゃないかとさえ思った。
エジソンは天才は1%のひらめきと99%の努力だと言ったとか言わないとか。
ネットには、音楽なんていうのはいくら努力しても才能の前には勝てないのだ、なんて言葉も転がっていた。
だから最後には自分の納得しかないのだろうね。

絶対的な無力感の前に跪いて何度も涙を流して来た。
俺だってただただ笑ってるだけの男じゃないよ。悔しさに枕を濡らした夜だって何度もあるよ。
それでもこうやってそれなりにハッピーに生きてるじゃないか。そんな人生を自分の手で掴み取ってきたんだ、何が悪い。

俺は音楽で、ジョン・レノンにもなれないし(もうジョンがいなくなって20年に近づいてるなんてねえ)、甲斐よしひろにもなれない。
だけど俺の人生だって誰もトレースすることなんてできないでしょ?

どんなことの中にだって、自分だけで決められる事とそうじゃないことがある。
だから万事を尽くして、尽くしきって、天命を待つこの瞬間もありだ。
俺ははっきり言って不安の中にいたんだよ。
そんな自分の前で、彼女は軽やかにこういったんだ。
「ねぇ、やるだけやったんだから、もう後はレットイットビーでしょ」ってね。
そう、やるだけ、やれるだけのことはしたつもりだ。
だからそのコトバは岩に染み入る蝉の声のごとくはいってきたんだと思う。
この言葉で、俺は全てを赦されたような気分にさえなったんだ。
答えは見つからずとも、少なくとも目の前の霧は晴れたような、そんな気分になったんだ。

自分の目の前にとっても素敵な女の子が立ってたんだよ。
おいらをうちのめすとっても素敵な女の子がね。
Oh she done me ,yes she done me good.

#404 また師走が来るね。 16:27

John Lennon Wall

不意打ちのように音楽が流れ出す。
どこからどうやってこの曲が流れ始めたのか。
イントロはちょっと違っても知ってるよ。
坂本冬美さんの歌う、
甲斐バンドの「安奈」が、クルマのスピーカーから流れ始める。
♪寒い夜だった つらくかなしい
一人きりの 長い夜だった

 あの頃が、まるで昨日のように蘇る。

この数十年の師走のおれのうたは、
SIONの歌う「12月」と、この「安奈」と、とレノンの「HappyXmas」と、
時々ではあるけれど、
やはり甲斐よしひろの歌う「百万ドルナイト」だ。
そいつらは脳の中の草むらの奥深く、赤い舌をちろちろ覗かせるヘビの様相で鎌首をもたげる。
 
お前さん進歩ないのか?
ないない。
そしてこの季節になると思い浮かべる「安奈」さんは、
もう誰でもない象徴としての安奈で
その中に、家人の要素が見え隠れしていることに気づいて、急に焦ってみたりする。
ついでに書くと、これは、あの頃が良かったとかそういう話ではない。
♪眠れぬ夜を いくつもかぞえた
おまえのことを 忘れはしなかった
それでも一人で生きてゆこうと
のばせば届く愛をこわがってた
安奈 寒くはないか おまえをつつむコートは
ないけどこの手で あたためてあげたい

ふとした仕草の中に自分の両親を見つける時、

DNAの偉大さを思ったりする。
だからおれが死んで、墓が残ろうが残るまいが、そんなことはどうでもいいことなんだと思う。
忘れられない過去と、忘れてしまった過去とを天秤ばかりにかけても、答えなどありはしないようにね。
もうすぐ12月になって、
また一つ歳を重ねようとしてるろくでもない男が、今日も歩いて息をしてるよ。
酒を飲んで、陽気になって、幾つもの後悔を落っことすのが関の山でも。
とにかく、こうやって生きてるってことが奇跡に違いねえ。
まったくだ。まったくだ。まったきだ。
 
♪なにもことばに残る 誓いはなく
なにも形に残る 思い出もない
酒に氷を入れて 飲むのが好き
それが誰の真似かも とうに忘れた頃
 
愛してる愛してる 今は誰のため
愛してる愛してる 君よ歌う
やっと忘れた歌が もう一度はやる
 
「りばいばる」中島みゆき

  

 

 

#403 いの町(高知県)で買った和紙ではがき絵を描く。

 
もう随分前なので忘れてしまったけど、今年の7月に家族旅行で高知県に訪れた。
吾川郡いの町というところに、「いの町紙の博物館」というのがあって、そこに連れて行ってもらったのだ。
何でも和紙が盛んな頃にはずいぶんと栄えたらしく、
元をたどると、平安朝時代にあの紀貫之が土佐の国史として赴任したときに製紙業を奨励したとも言われているらしい。
すごい街が全国各地にいっぱいあるのだ。
きっと他にもたくさんあるのだろう。
そこで和紙の紙漉き体験もさせてもらった。
自分の手作業でドロドロの水みたいなものから和紙ができるのはなかなか感慨深いものだった。
 
その興奮からか、博物館で「第11回全国土佐和紙はがき絵展」の応募用はがきを買った。
5枚セットで、その葉書に絵を描いて応募するというものだ。
ずっと置いてあったんだけど、締め切りの12月が迫ってきた。
色々考えて、単色だけではなく色を載せようとかも考えた。
水彩色鉛筆とかも考慮してみた。
 
(何週間かの時間経過)
あ、あかん・・すすまん。
やはり構想だおれで、
やはりこれは一発描きしかないだろ、
飲みに行った時しかチャンスはないぞ、と、
いつものごとく美女たちの横に座らせてもらって、一晩で10枚ぐらい描かせてもらった。
宿題をする学生みたいなもんですな。
その中から5枚を作品に応募するわけです。贅沢な宿題場面だなあ。
モデルになって頂いた皆さんありがとうございました。
 
いやー、
それにしても(一晩でいつもたくさん描いてはいるけど)、
この時は応募用のハガキに直接描きで失敗は許されないので、
ただでさえ高いテンションが、さらに上がりましたねぇ。
 
なかなか自分なりには良い作品だと思います。
ただしはがき絵展の応募作品のレベルはそれの数十倍も上なので、入賞する確率はゼロに近いんですけどね。
まあこういうのはやることに意味があるんでね。
 
応募、応募。
 

#402 strange,but strange 2017/11/12 13:20

今日は全く奇妙な気分だ。本当にストレンジdayだ。
SIONの歌にあった。
水の中にいるみたいだ。水の中にいるようだ。誰かに会いたい。
そんな気持ち。
 
昨日はとあるお店の(3店舗を展開されているやりて美人オーナーのお店)11周年の記念飲み会に招待いただいた。
美人揃いで、自分の居場所はなかなかなさそうだったが、みなさんのオトナな対応で、素敵な夜が始まった。
美味しいオイルフォンデュを頂いて、早速 bluetooth スピーカーのバックミュージックにあわせて、バイオリンで3曲弾いた。その後まさかのアンコールを言われて、清志郎の「デイドリームビリーバー」に合わせてアドリブバイオリンを弾いた。
その後は、また例によってお絵描きタイムが始まったのだった。
今回は店のスタッフの方が自分の真似をして画伯になっちゃったので、モデルさん相手に画伯対決が続き、さらに盛り上がった。
それから夜はどんどん回り続けて、お酒の席での失敗を挟んで、最後の焼き鳥屋で一人で愚痴をこぼすまで、延々と宴は続いたのだった。
 
で、今日だ。
 
みんないるのに、自分がこの地球でたった一人ぼっちで取り残されてしまった、そんな違和感がある。
こんな時は動くに動くに限ると思った。二日酔いの身体は重い、風邪も治っちゃいない、重すぎる。
だ・け・ど、だ。
新しくできた道路を通って、港の近くの「エフマルシェ・海響市場」の魚売り場に行ってきた。大アサリとかサザエとか、ツメをしばられたカニとか、見るだけでワクワクだ。あれっ、おれってそんなに魚好きだっけ?
 
そのついでにリアル本屋に行って、色々悩んだ挙句、料理の本を4冊も買ってしまった。
最近愛用しているストゥブの本と、京都の料理家の大原千鶴さんの鍋料理の本と、IH魚焼きグリルを使って天板料理をするための参考書と、Dancyuの出してるマヨネーズの本だ。
ほんと、自分のオリジナルに近づくためには、やはり学習が必要だと思う。すべてのことに関して。
 
学習といえば、愛媛県のジャズ界の大御所である、耳鼻科のT(玉木)先生が、先日のY'sセッションで自分のバックでピアノを弾いてくださった。
ジャズセッションなんで、突然物事は決まるわけで、N先生の「じゃあせっかくこられたんでバックはT先生お願いします」で決まるわけだけど、こちらは素人なんで焦りまくり。
そんなかんじで、その日用意した「Just szueeze me」をplayしました。
ドラムにベースにpianoに、自分のSAX。エンディングのT先生の演奏に、サックスでなんとか絡めたのは僥倖だった。
 
その後で、手招きされて、先生はさっきPlayした曲の楽譜を自分に見せながら、ジャズのうんちくを語ってくださった。楽曲のコード分析から始まって、「理論から入るのがいいんだよ、医者は勉強が好きだからね」という風に何度も言われたのだった。「Just szueeze me」を何故選んだのかから始まって、メロディ進行(AABA)、コードの進行の解釈とか、リディアン7とか、ブルーノートスケールとか、色々教えて頂いた。
一応頷いてはいたものの、実際自分に分かっているのは30%ぐらいだということに今更のように気づいて、そんな拙さで図々しくも毎月セッションさせてもらってる自分の未熟さを後悔して、徹底的に打ちのめされたのだった。(でもあつかましくやりますけどね^^;)
 
ご存知のように自分は泌尿器科医で、愛媛大学泌尿器科に所属しているわけで、その同門会が毎年5月に開催され、同門会報が11月になると送られてくる。
その送られてきた同窓会報を熟読したわけなんだけど、海外の学会にでバリバリに発表したり、ロボット手術の研修をしたり(彼女はこないだ「華泉」で絵を描かせてもらった女の先生だった)、大学院で実験をしたりと、若い人たちの活躍ぶりが詳細に書かれており、なんだかよその国の話みたいで、悪いけど、そこにも自分の居場所がないように思えた。おいらはもうロートル泌尿器科なんだよね。おいらがかつて働いたあの大学はもうどこにもないんだと、そんなふうに思った 。
 
まあそんな風にうんざりしながら人生は続いていくわけですけど、うんざりしながらもやはり続いてゆかさなければならないので、その中でじたばたとあがき続けるしかないわけですよ。
たとえ水の中で色んなものが絡まって身動きが取れなくなっててもね。後ろを振り返って誰もいなくても、自分の足で進んで行かなくてはならない。
右か左かも、後ろか前かも、自分で決めるしかない。
でも水の中で伸ばした手で、誰かに触れたいと思うんだ。
 
まるでどこか知らない国へ
まぎれこんだ感じだ
こわいくらい全てがひんやりと
ひんやりとそこにあるだけ
いつもならこの時間そこいら中
人や車で大騒ぎなのに
ビルに張り付いた看板だけが
遠い誰かを呼ぶように小刻みに揺れている
 
水の中にいるようだ
うれしいやら悲しいやら
水の中にいるようだ
誰かに触りたい (水の中にいるようだ/SION

 

#401 2017/11/05,16:45,okayama.

鳥取から、岡山に向かって、ハイウェイを走っていた。
家族旅行の帰り道。少々眠たい。
これから瀬戸内海を越えて、自宅のある愛媛まで帰る。旅の途上だ。
高速は旅人にとってただ通り過ぎるための道でしかない。
 
でも、ふと思った。
 
もうこの(岡山の)街には自分の親父はいないんだね。
あの家のあの場所にはもう親父は座ってないんだね。
自分が18歳まで住んだ街が岡山だ。
20歳の時、愛媛県にやってきて、もうそこで36年を過ごした。
だからといって愛媛県が故郷なのかどうかはわからない。でもそこで暮らして働いて、自分の居場所はたくさんできた。
医者という仕事柄、特に開業してからはお盆も正月もなかった。
だから自分の中には帰省という概念はない。ないまま、両親ともいなくなったがそのことに関する後悔は微塵もない。
 
50過ぎてからだ。やっと少しだけ自分のことができるようになったのは。
一泊二日の旅行まではなんとかできるようになった。
父親は「息子よ、優雅にまあやれや」といつも言っていた。
彼の人生が優雅だったのかどうかはわからない。
でもね、優雅でうらやましいとか、まわりからは言ってもらえてるよ。あなたもきっとそう言われたであろうくらいにはね。
でも、自分ではまだまだだと思ってますけどね。あはは。
でも、あなたに、即物的なこと以外のものが内包している、よりよく生きるすべはたくさん教えてもらったような気がしてます。
 
その父親はこの春に自宅で急逝した。
おふくろはその十数年前に膵臓がんで見つかってからわずか3ヶ月で死んだ。
親父とおふくろだけの墓は実家の近くにある。
仏事も何もないし、自分もことさらその場所に訪れる気もない。
 
人の死とはなんなのかと考えることは、生を考えることでもある。
自分の人生は何かと考え、実は「主体」としての生と考えていたのは、実は「生かされている」方の生なのではないかとも最近思ったりした。
そして「生かされた」人生なら、その中で目いっぱいの「主体」として生きることが、「生かされた」もののつとめではないのかと。
 
死んで墓が残るのか?死んで墓になるのか?死んで戒名になるのか?残せるものがあるのが人生か?残せるものなんてこの世にあるのか?それは金か土地か?名声か?誰かの言う社会性か?
そんなくだらないことを思う間もなく日々は過ぎてゆく。それもまた真実。うまいもん喰って酒をあおって寝て、ある日はラッパを鳴らし、ある日は蟋蟀のごとく下手くそな弦楽器を奏でてみる。
Days.日々がおれを嗤い、蔑み、日々がまたおれを助けてくれる。
 
だけど、ふっと肩の力が抜けて、頭の中の空気が薄まって、走るクルマの外の空気の流れを感じて、たまたま今はこの世の中にはいない親父のことを思い出す、なんてぇのもありかな。
まあそんな感じ。
過ぎてゆく風のように、全ては流れていくだけ。
それだけでもいいよね。
 
 
 
随筆家の若松英輔さんがこんな風に書いていた。
 

「感じたこと」を語るようにしています。考えは変わるし、思いは移ろいやすいけれど、感じたことは生きて得たものだから、確か。ワインのように時間とともに深まっていく。

 

朝日新聞be フロントランナー 2017/11/05)