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だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#375 船を出す。

 

朝。

 

疲れてますねえと

O先生に言われて「そりゃあ疲れてますよ」と答えて、心の琴線があっけなく切れる。

なんか堤防が決壊して、溢れ出す感じ。

それでも仕事は始まり、こうして終わる。

 

もうダメかも。

 

日々消費されてゆく自分がもう嫌になっている。

消費社会だよね、資本主義だもんな。

自分も消費して消費されてゆく。

その消費って行為が社会還元なんだろうし、それでいいのだと思うよ。

うんざりってほうが的確かな。

いやいや、自分のことを卑下しだすのは実によくない傾向であります。

 

でも、もうそろそろ限界かもしれないと思うことが多くなってきたのも事実だ。

 

さて、自分ちの昨日のうちごはんは、蒸し鍋を二種類別の味付けで作る。

 

片一方は、豚肉とチーズのワイン蒸し鍋。

白菜、えのき、しめじ、しいたけ、アスパラ、ミニトマト、豚肉、チーズ。

 

もう一方はやや和風の、チンゲンサイと豚肉の酒蒸し鍋。

味付けは塩コショウと醤油少々と、梅干しをちぎって。酒で蒸す感じです。

洋風の方の残りでチーズリゾット。

 

うまうま。

 

前述の「ホクサイと飯さえあれば」の主人公・山田ブンちゃんの、

飯を前にしたしあわせ・ドヤ顔を思い出してみようと思うんだよ。

 

旨いものを作って食う一見無駄にも見える時間は、敬虔な祈りにも似ているなあ。

 

暗転か、流転か、好天か、荒天か。

 

船を出す。

 

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#374 「◯◯◯◯と飯さえあれば」

ホクサイと飯 (単行本コミックス)

 
ホクサイと飯さえあれば」という深夜ドラマをまとめてみる。
 
原作のマンガに聞き覚えがあったからだ。
原作のマンガは好評だったのか、現在も主人公・山田ブンの美大生時代という8年前の設定で連載しているそうだ。
 
自分が読んだのは漫画家山田ブン設定であり、ドラマの方は8年前設定の方だ。
なんだか、ほんわりするドラマではあった。
こんな女子大生のひとり暮らしは今時もやっぱりあるのかなあ?
 
「私の頭のなかではもう完全にレシピは出来上がってるの」っていうブンちゃんの言葉が可愛らしい。
でもやっぱり食事を作って美味しいものを共有するということは、人類だけにある楽しみなんだろうなあと思った。
 
親子丼作って、皿に盛って、
さらにその上に黄身を乗っけるという、
「追い卵」!
この手法にはさすがの自分もよだれがあふれて、
次回は是非やろうと誓ったのでありました。
 
ブンちゃんの隣りにいて、良きアドバイザーであり、人生の師であり友人であるのが、
ぬいぐるみの「ホクサイ」だけど、
 
「◯◯◯◯と飯さえあれば」の「◯◯◯◯」に入れるとしたら、なんなんだろうねえ?
 
恋人の名前?
趣味の名前?
泌尿器科と飯さえあれば」にはならんなあ、、
 
まあその時そのときのホクサイってことで、自分は節操ないのがとりえにしときます^^;
 
 

#373 電話のむこう 空と桜と 愛を語りて ちりぬるを

 

IMG_3307

ANA figures

Close-up of Brown Hair ANA stewardess

PA1982.180.40, Pioneer Airlines Stewardesses

 
やはりそうそう簡単に忘れられるものではない事を知る。
 
電話の向こうからあの娘の声が聞こえる気がした。
かつて空に勤めていたあの娘は、病気で地面に縫い付けられてた。
だから、彼女はこの世からいなくなったけど、また空に帰って好きな仕事に復帰できたんだって思うことにしたんだよ。
 
都々逸というものがある。
 
ウィキペディアにはこう書かれていた。
 
元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。 
主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。
七・七・七・五の音数律に従うのが基本だが、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という形式もある。
 

 


ほほぉ、
 
てなわけで、桜ももう散ってしまおうとしてますけど、
「桜」のお題を頂いたので、

桜の向こうの青い透けた空と、その彼方を飛ぶ飛行機と、あの娘とを詠ってみました。
 
電話のむこう
空と桜と
愛を語りて
ちりぬるを
 
それを三味線の師匠が目の前で詠ってくれたんだよ。
嬉しいな。

#372 可愛いジュニアパイロット

Millennium Falcon (Full)

 

京都への週末の旅のスタート。外来終えて自宅集合。天候は持ち直すようだ。良かった。
14:20出発のANA。いつもこの時間はプロペラ機だ。ボンバルディア
で、中は狭い。でも自分はいつものように機内に荷物を持ち込む。
おあずけくださいというのはあれは航空会社の策略だと思うんだけどな。
 
片側2列の合計4列の席で、なんと自分はジュニアパイロットの女の子の隣。
彼女は貰った折り紙で一生懸命ANAの飛行機を折ってる。
尾翼の曲げ方でつまづいてるので、さっそくアドバイスしたりする。
そこで離陸となり、折り紙は中断。
 
愛媛のおばあちゃんのところに来たらしい。
なんでもCAの人が、機内まで案内してくれて、伊丹についてもずっと座っていて、もうひとりのジュニアパイロットの男の子と二人を、出口まで連れてってくれるんだそうな。しょっぱなから折り紙もらって、声かけてもらって、途中で飴までもらってるよ、おいおい。いたれりつくせりだな。
「飴いる?」と気を使ってくれるので、おじさんはええわと答える。
 
伊丹近づいてきてから、二人で窓の外の景色を眺める。
「あれがあべのハルカスだと思う」と嬉しそうに指差して教えてくれる。
「あそこが梅田かなあ」「あそこが大阪城だよ」オイラが指差す。「大阪城って行ったことない」「豊臣秀吉?・・まだ習ってない」「真田丸とか観なかったの?」「テレビ見ない」「スマホは?」「校長先生と担任の先生の許可貰った子だけが持ってるんよ」「へええ」
ボンバルディアだけがプロペラだね、おお、STARWARSの宇宙船も仲間になっとるやないか!」「STARWARS知っとる?うーん、・・(しばらく考えて)怖いのはみぃへんのよ」(機内誌の飛行機比較になぜだか、STARWARSに出てきたミレニアム・ファルコンが載ってるんで聞いてみたんですよね。それとSTARWARSは怖い映画じゃないと思うんだけどな・・)
まあそんな感じで、結構会話も続くものだよねえ。
 
ほんとこんな時に、スケッチブック持ってて、彼女の似顔絵をささっと描いたら良かったのにねえ。
その時には持ち合わせも、思いつきもありませんでした。
ドジなオヤジやなあ。
 
飛行機から、降りるときに、ドアのところでチーフ・パーサーの方に言われましたよ。
「本日はジュニアパイロットに話しかけていただきましてありがとうございました」
おー、ちゃんと見てんだよなあ。やべえやべえ。
彼女もバイバイの時、ちゃんと言ってくれましたよ。
「今日はお話してくれてありがとうございました」だって。
なんておしゃまさん!
 
でもね、なんか世の中捨てたもんじゃないね。
しばらくのあいだ、いい風が吹いてましたね。松山空港伊丹空港。and anywhere!

#371 かつてそこに彼がいて、そんでいなくなったカウンターで。

https://www.instagram.com/p/BSN5AKTDRhu/

人間は一人では行きていけない。集団で社会を形成して、労働という貢物を社会にして、その報酬で生きて食わせてもらっている。このちっぽけな分際である自分も、他人様を雇って、一応病院なんぞを経営して、そこで誰かに給与も支払って、自分も法人から給与を受け取っている。その円環から抜けれそうにもないよなあ。それが生きて喰ってくってことなんだ。
でも、そういう社会性とは別に、ひとりで生きてるような錯覚にとらわれるときもある。そう錯覚するのはどんなときだろうと問うてみる。朝起きて、二日酔いの頭を振り絞って病院にやってきて、スタッフに挨拶をして、仕事を始め、患者さんと喋る、時には処置もする。その仕事をしている自分は実はホントの自分ではなく、その自分を天井から眺めているもう一人がいる。すべての営為が終わったら、この衣を脱ぎ捨てて、この世界からおさらばする、それまでの仮の時間をここでは「人生」と呼ぶのだ。その人生という時間も、何十年だかあってそれはそれでずいぶん長い時間になったもんだけど、それでももしかしたら一瞬なのかもしれない。何に比べて一瞬なのかわからないくせにそう思ったりする。すべてが仮なのだ。
一体全体そういった感覚はどこからくるんだろうね。わからん。そしてそういった感覚に包まれてる時には、なんだか、全てが曖昧模糊になってくる。混沌の中ではいい悪いも善悪もなくなる。やる気が無くなるとかそういうんじゃなくって、どういうんだろうね、全てが白茶けてしまうんだ。それは決して悪い感覚でないのだけれど。なんてゆうのかなあ、ひとりで生まれてひとりで死ぬんだけど、誰かに取り上げられたりしてこの世に出てきたこととか、きっと誰かさんにたくさん迷惑をかけて死ぬまで生きてくんだろうなあという現実をかんがみると、ひとりじゃないのにやっぱり「ひとり」って思うんだよなあ。
この世からいなくなった人のことを思い出しながら、昨日もカウンターでとびっきりの自然派ワインを二杯いただいたんだけど、それでもやっぱりBinちゃんの料理をもう食べられないことには変わりはなくって、そういえば死んだおふくろの料理のことをたまに思い出すこともついでに思い出す。ガキの頃、風邪引いたりして寝込んでる時には、おふくろは無理なリクエストを聞いてくれたなあとか、あのでっかい卵で作るスコッチエッグは忘れられんなあとか、鶏もも肉とマッシュルームのトマトソース煮はなんだか臭くって喰ってる時には旨いのに匂いだけが鼻についたよなあとか、そんな感じだ。Binちゃんの伊予美人の揚げ物はホント繊細で優しい味だった。Binちゃんの笑顔みたいにね。
何が書きたいのかもうわかんなくなってきてるけど、ひとがひとりいなくなった重みは、そう簡単に消え去るものでもなく、だから自分の人生がどうこう変わるわけでもないんだけど、彼がそこにいた、という記憶を、しばらくあそこここで味わいながら、それがいつしか空気に溶け込んでしまうまでは、是認していこうと思うんだよ。レッツBinちゃん。
ビートルズはlet it beあるがままにとうたった。あるがままに水は流れゆき、淀んで、消えてゆく。あるがままに、息をして、息を呑んで、息をやめる。あるがままに、姿は消えて、衣を脱ぎ捨てて、還ってゆく。あるがままに、あるがままに。だからレッツBinちゃん。今日の終わりに。

#370 54歳からのピアノ その8 (なんとか続いとりますよ^^;)

 
久しぶりのピアノの話です。
 
12月に「Walts for Debby」なんとか弾き終えてから、しばらく廃人でした、
・・・という話は書いた気がする。
 
でも、人間というものはなかなか懲りないもので、今度もまた性懲りもなくやることにしたわけです。
「Autumn Leaves」、超有名な「枯れ葉」というtuneです。
 
4月8日に島村楽器の奥の部屋で開催されるミニ発表会に出ることとして、entryしときました。
まあなんとかなるだろうとタカをくくってたわけでもないのですが、
あれよあれよと時は流れて、もうちょっとになってしまって、まあ焦りながらの練習の日々ですよ。
 
持ち時間は10分あるので、欲張ってのもう1曲も決めました。
かのショパン大先生の名曲「別れの曲」の簡単バージョン(といってもことさら知っているわけではないのが素人の怖いところです^^;)。
youtubeでのフジコヘミングさんの演奏を聴いて圧倒されてしまい、こちらも焦りまくる今日このごろですよ。
こうやって一つ一つクリアしていくしかない方法論を選んだわけな自分ですが、
 
これじゃ人生まだまだたっぷり必要だよなあ。
 
・・とか思ってたら、
ドラムの先生から、練習せんとなかなかねえ・・みたいなことを言われて、
こちらは5月の発表会で、もうヒト方と二人で、ブルース・スプリングスティーンの「HUNGRY HEART」叩くのですけど、
そりゃあなんていうか、フィルインとかリズムとか、ろれつ回らん酔っぱらいみたいになっちゃうんですよね。
まあ月3回1回30分の練習ですもんねえ。
先生もしびれ切らしたんだと思うんですよ。
で、ついに、練習パッドなるものを買いました。
電子ドラムかったらええじゃん、て、言われてもねえ、そうそう置く場所あるわけでもないですからねえ。
 
「先生、これ以上楽器増えると、練習せんとあかんというプレッシャーだけで押しつぶされそうになるんですよねえ、だからずっとためらってたんですけどねえ、自分大丈夫でしょうかねえ」
と、くどくど女々しいことを先生に言い続けるわけです。
「その気持はわからんでもないし、楽器たくさんやってるのも知ってますよ、でもねえあなたの好きな音楽を僕はドラムでもっと表現できるようにしてほしいんですよ」
うわあ!そんなふうに言っていただけたらねえ、ねえ、がんばります。
 
ええ、がんばるしかないですよね、、、、

#369 羊たちの沈黙(1991)

羊たちの沈黙(特別編) [DVD]

 

なんとなくの気配に目を覚まして
遠くの薄闇が紫に変わる空の端を、
あのひとが長いひらひらをつけて昇ってゆくのを感じた。
 
レクター博士は、クラリスに言った。
クラリス、まだ羊の悲鳴が聴こえているか?」
クラリス、今夜は深い眠りの中にいるかい?」
 
目を閉じて、また闇の中に潜っていこうとした時、
あの娘は一度だけ振り向いたんだ。
でも、あの娘の唇が開きはじめてなにかの言葉になるその前に、
もうオイラは深い眠りの中、
今度目が覚めたら全部忘れてることだろう。
 
それでもいいんだよ、またこうやって会えるなら。
消滅したから罪が消えるものではない、
それはオイラもあの娘も知ってるよ。知ってるよ。
枕が濡れていようがいまいがそれももうどうでもいいことさ。
 
クラリス、羊の悲鳴は決して消えはしないよ」
「博士、わかってる」
 
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wowowで「羊たちの沈黙」(1991)観る。いい映画だ。
2本作に続く作目の映画「ハンニバル」にはジョディ・フォスターは出なかったそうだ。たしかその映画も見た記憶があるのだけれど・・。
原作本を院長室で見つける。1991年に購入したものだった。また昔に潜っていかんとあかんなあ。
クラリスの中から、なにかは結局は出てはゆくことはないのだろう。
いつも書くように、他人とか、狂騒は、媒介でしかない。
それをきっかけにいかに自分が変容していけるか、それしかないのだと思う、たとえそれが滅びだとしても。
人間という種が「消滅」に向けて歩んでいこうとしているのかもしれないと思う昨今でもあるが、
最近では、人間が自らそれを望んでいるのかもしれんなあとも思ったりしている。
滅んでもいいと思うのと、何かを手に入れようと進歩し続け得るのは、実は同じまな板の上なのではないかと・・。