1・2巻は立て続けにリリースされたんだけど、その後が止まっており、3年の月日を経てリリースされたものの、この巻で打ち止めという微妙なエンディングとあいなった。
だから、最初に手にとった時は、このあまりにも中途半端なエンディングに非常に腹立たしい思いを覚えた。
自由人・蜂須賀を、作者は平安末期に解き放しながら、そこで十分活躍させることがでいなかったんだな、それであんな終わりにしたんだな・・そう思った。
でも今日読んでて、あれはあれでよかったんだ、そもそもこの「BORDER」という物語にはそんな緻密な設計図は必要ないんだ、と、思い直したのだった。
昔、甲斐よしひろというヒトが「人生は自分探しの旅だ」というようなことを言われており、そのコトバにしびれたものだったが、実は今でもそう思っている。自分って一体何なんだろうね、朝起きて歯磨いてくそして酒のんで、絵を描いて、うだうだ言って、それでも朝からちゃんと仕事の椅子に座ってる自分ってやつは?ってね。
「俺は他人の価値を生きたくないからだ」と。
そうなんだ。
自分の価値をこの紛れも無い自分は生きているだろうか?
誰かがこう言うから、世の中の常識がこうだから、こんなもんで60点だから上等じゃないか、そんなふうに自分を騙しながら生きてるだけじゃないのか?
そんな自分を自分だと認めてしまって、その「自分」をホントの「自分」だと納得させてるだけじゃないのか?
お前が心のなかで、違うそれは違う心が叫んでいる(これはまたまた小田和正さんの歌詞ですけどね)っていう自分を、おまえがあきらめてるだけなんじゃないのか?
前作「ボーダー」では蜂須賀は確かボブ・マーレィの歌を歌ったんだと記憶している。
今回、琵琶を弾きながら蜂須賀が歌うのは、忌野清志郎の「JUMP」だ。
Oh くたばっちまう前に旅に出よう
Oh もしかしたら君にも会えるね
JUMP 夜が落ちてくるその前に
JUMP もう一度高くJUMPするよ
are you ready for jumping?
遠い空の向こうにいるあの娘も、死んじまったおふくろも、死んじまった友だちも、聴こえるだろうか。
きっと、まだおれは歌えるだろう、おれの声でおれの歌をまだ歌えるだろう。
だから聞いて欲しいんだ。
いつの日か、いつの日にか、また会えるよ。
そんなふうに思ったんだ。
だから、時間はかかるかもしれないけど、旅の支度をしようと思う。まだしばらくはあるはずの人生という旅の。