あの映画は背後霊のようにへばりついて離れないでいる。
そういうモノたちをいい作品だといえるのなら、
物語の輪郭がなくなってもなおかつ残るという点で言えば、やはり村上春樹さんはすごい作家だと思う。
そんなわけで、家人が連れて行ってくれた、道後寄席(今は「まつやま子規亭」と変わってた^^;)の第2夜は、イッセーさんの一人芝居だった。
今回は、夏目漱石を演題に取り上げるという。
しかし我々が、松山人だから正岡子規を知ってるのかと言われたら目をそらすのと同様、
漱石先生について語れと言われてもなにも出てこない。
イッセーさんは物語のディテールを切り取って一人芝居をされた。
名づけて「妄ソーセキ劇場」。
演目は「坑夫」(前から10列目くらいだったのに完全に寝てしまった)・「草枕」・「門」・「明暗」・「道草」だった。
やはりこんな時に教養の有無がもろに出る。
これらの文学作品、日本人のくせに読んでもいないので、雰囲気だけでなんとか理解しようとするわけだけど、それはその場限りの浅はかな理解にしか過ぎない。
自分が情けなく、情けなく思いながらも眠たくなる自分はもっと情けないのでした。
「教養」っていったいなんなんだろうね?
あっても役に立たないかもしれないけど、人生を豊かにしてくれるもの。
そんなふうに理解する。
夏目漱石を知らなくっても生きてけるけど、明治の日本人の精神の核を理解することもやはり大事なのかもしれない。
すっかりテンション下がって、
帰り際、スタッフのお姉さんに「もっと勉強してから出直します」と、完璧なる敗北宣言を告げたのだった。
人生一生が勉強とはほんとよく言ったもんだ。