だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#334 ~Over the Rainbow~Y’sでセッションに参加する。

今回は「Over the Rainbow」を吹かせていただくことに。
 
実はかなり緊張していた。
 
SAXはじめてもう4年位になったかな。
 
まずは人前でplayするときに、自宅とおんなじくらいリラックスして演奏できるのかというのが第一段階かな。
その前にまあ音楽として聴けるくらいには吹けるというのがもちろんの大前提ではあるけれど。
でそうなると、欲張って「自分の音楽」を奏でたいというのがやはり皆が通る道だろう。だってジャズはアドリブだからね。
 
でもアドリブというものがわからない。メロディをフェイクして吹くというところから始めた。自宅で一人で練習するときにそれをやってみる。風呂で一人でなんか歌うのにも似ている。
でもレッスンの時先生の前でそれをやるのはこっ恥ずかしかった。でもやってみた。
さすが、U先生、「いいじゃないですか」と褒めた上でアドバイスをくれた。
そこから、SAXとかviolinとかに関しての自分のアドリブ道が始まったような気がする。
 
音楽理論というものにも挑戦してみた。入り口で何度も挫折した。でも続けている。
理論がアドリブに役に立つのかと言われたら、最終的には感性ではあるんだろうけど、損には絶対なるはずもない。だからプレイのための理論も平行して今も勉強している。それは医学を学ぶことにも似ているのかもしれないなと思う。だって目の前に患者さんがいるからそこにフィードバックできるようにとやっぱり勉強するんだからね。SAXもviolinもプレイするという営為のために理論やらなんやらの勉強があるんだ。もちろんそれをフィジカルに還元する、練習という行為も必須ですけどね。
 
何度も書くけどSAXはE♭の移調楽器である。
ドを吹いてもドの音ではないという楽器なのだ。それでまず凹む。
今回の楽曲はかの有名な「オズの魔法使い」の「Over the Rainbow(虹の彼方に)」である。
たまたまアルトサックスではCのkeyだったので、こりゃラッキーとメロディフェイクからはじめて、コード分析して、まずはアドリブを今までやってきたように楽譜にした。いわば作られてあらかじめ記載されたアドリブだ。
 
ちょっと前まではその楽譜を見ながら吹いていた。
でも今回はそこから進んで、メロディ+コード譜1枚だけをみながら、ほんとにその場で作るというアドリブにまで、少しではあるが進化させてみた。もちろん何度も何度も練習するので、手癖のようなフレーズは何個かは懐に忍ばせてはおれるようになった。その球数は少ないんだけどね。
それをもとに、本番では、ストレートに突き進むわけである。失敗しても自分で修正しなけりゃイカンというあれである。でも巷のジャズマンたちはみんなそれを至上の歓びとしてプレイしているのであるからねえ。はぁと深い溜め息をひとつ。
 
前置きはともかく、「I’m OK」という女性ボーカル入りの洒落たバンドの演奏のあとに、ステージに呼ばれたわけです。
 
「じゃあやりますか」と、ベースのW先生に声をかけていただき、ピアノとベースをバックにセッティングをする。
マイクの先端をSAXに向ける。譜面台が暗かったので、ギターアンプの上にA4のコード譜を1枚置いてみる。
とにかく頭から雑念を追い払おうと思うが、うまくゆかない。
自分の心の欲するままにプレイするんだ、一音目が出たらあとは悩むな。そう自分に言い聞かせる。
ピアノのYさんが旋律を奏で始める。GO!(三軒屋万智さん風に)
 
4ラウンドの構成で1・2・4とサックスを吹いた。
最後のCの音で現実に戻った。
 
まばらな拍手の中お辞儀をして、客席に帰って、テーブルの上にSAXを置いた。
次はウクレレバンド「オルオル」の「黒いオルフェ」だ。
しばらくして、手が小刻みに震えているのに気づいた。
 
他人にとってはどうでもいいことだろうし、客観的にみたら凡夫のアドリブだろうし、音だってSEXYにはまだ程遠いだろう。
でも、自分の中のレベルは今日ひとつだけど上がったのだ、そう実感することができた。
きっと歓びと緊張で手は震えているのだろう。
だってお前はまた次の扉に手をかけたのだからね。戻っちゃだめだよ。できたら次にいこうね。
 
ステージでウクレレ奏でてるKさんの「オルフェ」がなんだか今夜はとってもブルージーに響いてた。
 

 

Over the Rainbow

Over the Rainbow

 尊敬するGETZ氏のplay。

#333 「デストロ246」「ニキータ」「レオン」という殺し屋つながりだけの連鎖。

「デストロ246」の画像検索結果

時間がない。ないのはわかっているのにあれこれ詰め込む。
誰だってそうだろう。
 
随分前に完結してたんだけど、読めずにいた、高橋慶太郎氏の「デストロ246」を最初から一気に読んでゆく。
女子高生殺し屋伊万里を一応軸に、女性の殺し屋とレズビアンとか、血と殺戮とかまあグログロの漫画である。
これが一般漫画雑誌(エロ系ではないという意味)に載っているというそんな時代で、それがまずすごい。
作者が編集部の制約受けとんのか受けてないんか、結構暴走した感あるのもまたよろしかと。
自分は結構楽しんだけど、きっと不快感覚える方も多いだろうから、
名作「ヨルムンガンド」みたいにだれにでも薦められる作品ではないわけです。
 
それで、女性の殺し屋ということで、
何十年かぶりにリュック・ベンソンの「ニキータ」観る。1990年の作品だ。
AmazonPrime会員なのでそのまんまスルーでみれるというなんていい時代。
こちらは大人のエンターテインメントになっており、自分のようなトシ取ったものにとっても、今でも結構冷静に見れるわけだけど、フランス映画らしく、あとにしみじみとした余韻の残る名作だった。
そんなに組織をかんたんに抜けれるのかよ、とか、ケチをつけたい箇所も多々ありましたけどね。
 
ついでと言っては、今はなんだかなーだけど、昔はすごいぞリュック・ベンソンというわけで、
個人的に興奮して、かの名作「LEON」をみる。
こちらは1994年の作品で、後に22分のシーンを付け加えた完全版がリリースされ、自分が見たのはそちらの方。
ニキータ」に掃除人(人間とか屍体の)としてチョイ役?で出てきたジャン・レノの役を膨らませたものだという。
これは一世を風靡した映画なので、知ってる人も多いかもだけど、それにしても20年以上前なんだ。だって、ナタリー・ポートマンと言えば「STARWARS」前エピソードのアミダラ姫だもんなあ。このマチルダという12歳の少女を演じていたことなんて誰も覚えてないかもなあ。いやあ天才だわ!
 
レオンに迫って「わたしに欲しいのは、愛か死よ」とマチルダが言うシーンがあるけど、
これはもう50をとっくに過ぎた自分にはもうリアリティを持って感じることはできなかった。
残念だなあとも思うけど、それが歳を取るってことなんだから仕方ないよなあ。
中年の殺し屋・レオンは、自分のことを「おれは大人の歳だがまだおとなになりきれてないんだ」と言い、
12歳の少女・マチルダは「わたしはもう大人よ、あとはただ歳を重ねるだけ」と言っていた。
そんな二人は「死を介在した生」というギリギリの場所でしか、やはりともには生きていけなかったんだろうと思う。
 
リュック・ベンソンの「サブウェイ」と、実験作みたいに魚が空から降ってくる話(近未来者でジャン・レノも出てた気がする?)とはまた観たいけど、「LEON」以降のリュック・ベンソンは、彼自信の嗜好性も変わったのか、食指が動かない感じですね。
 

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#332 ようこそ、あゝ無情。

https://www.instagram.com/p/BLAfJEEgGuY/

きみは遠い街でひとりぼっちで行って、
そしてそこで新しい生活を見つけるんだろう。
 
浜田省吾さんの歌みたいに、
新しい恋人と手をつないで、夏の花火を見上げるのかもしれないな。
 
ボクは相変わらずの暮らしぶりで、時には君のことを思い出して涙ぐむかもしれないけど、
それもやがて霧の中に消えてくんだろう。
 
古い思い出と新しい出会いと、そんなことを繰り返しながら、
やがて、新聞の訃報欄にボクの名前が載る日が来るだけ、
言ってしまえばそれだけの人生なのかもしれない。
 
でも、それもいいね。
うん、それもいい。
 
ようこそ、あゝ無情。

#331 About My Jazz

 

ずっと前に衝動買してた「NAOH」さんの「アドリブ・サックス」のDVDをじっくり観る。

 
廉価版が出てたのでついAmazonでプチッとしてたんだ。
実践に即してのⅡ-Ⅴ-Ⅰの習得というのがメインで、かんたんな楽譜もついてたし(DVDのジャケットサイズなので縮小版で年寄りにはちときついのではありますが)、いい感じでした。ブルース進行に則ってのレクチャーでした。彼女の作った小曲「Smily Blues」というのも収録されてる。短い曲だけどカッコいいなあ。こんなふうに吹けたらいいよなあ。それでレッスンの時、SAXの先生にお願いしてBeBapScaleというのをやってみることにしましたよ。
 
それと昨夜の遅くにマイルス・デイヴィス「青の時代」というNHKプレミアムみたいなんを見てて、うろ覚えではあるがBeBapとモードの違いみたいなものがわかった気がしたのが収穫だったかな。
自分はジャズのトウシローみたいなもので、マイルスはトランペットを持った怖いギョロ目のおっちゃんという認識しかなかったんですけど、昔としては裕福な家庭の黒人で、恵まれた環境で音楽生活してたんですねえ。あのチャーリー・パーカーを自分のアパートに住まわせて貢いでたとか言ってたし。でも、だからといってその環境にいれば誰もが「ジャズの帝王」になれるわけではないのですけどねえ。
番組の中での周囲のミュージシャンのインタビューでは、マイルスは小柄な男で、口の筋肉も弱く、高音が苦手であり、高速なBeBapフレーズが吹けなかったんだよ、とか言われてましたけど、ほんとなんかなあ、それでモードを生み出したんだと。
 
自分の今のヒーローは、渡辺貞夫さんとスタン・ゲッツ氏だけど、きっとこれからまだまだ変わってくんだと思う。その83歳の渡辺貞夫さんが久しぶりに地元のMonkというライブハウスに来てくださることになり、Bandのメンバー全員で見にゆくことになったそれも楽しみですねえ。
 
ジャズもまた広大な海の中に浮かんでいる孤島であり、おれはまだどこにもたどり着いておらず、船出したばかりなのだ。
 

#330 It's サバサンド!

https://www.instagram.com/p/BK2VSxgAdEr/

 
朝日新聞に「肴ごはん」という自分にふさわしい連載がある。日曜版に載っている。
最近の料理人は横田渉さんという方で、これがハズレがない。
 
今回、家人の誕生日の一品として、「サバサンド」をアレンジして作った。
なんでもトルコの漁師飯として人気だそうで、結構かりかりに焼いた鯖をパンに挟んでいただくというものらしい。
仕事が終わってからの買い物なので、ありあわせ感満載だけどね。
 
サンチュを買って、にんじんを買って、ノルウェーの骨抜き塩サバを買って、サバはワインをかけてしばらく置いておく。
にんじんは千切りにして塩でしんなりさせて、マヨネーズとマスタードで味付け。
サバは魚焼きグリルでこんがり目に。
厚めの食パン(4枚切り)をトースターで焼いて、サンチュをシートにしいて、にんじんたっぷり盛り付けて、サバを乗っけるだけというシンプルなもの。
 
パンでは挟まない、あくまで乗っけるだけ。
そいつを両手でグワシと持って、大口で一気にいただくのがよろしかと。
これは主食にもいいかもね。
どっかの店でメニューに採用していただけんかなあ・・。
 
P.S.
ちなみに奥に写ってるのは、フルーツトマトとジーマーミ豆腐。
その隣が焼きなすと鯖のほぐし身とのあえものゴマダレです。

#329 泌尿器科の新教授の就任祝賀会に行ってみて、まあいろいろ考えたりはするけどねえ。

https://www.instagram.com/p/BKzo8UMAVNC/

 
昨日は考えるに昼過ぎから延々8時間飲み続けていた計算になる。
おかげさまで、なんか頭と身体がボーっとする。
会は昼から始まり、アルコールのテンションが味方してくれたのか、やはり終わってから一人で飲みに行ってしまった。
クラフトビールの「BOKKE」さんである。いつ行ってもいい店だなあ。
というわけで、そこでもまた盛り上がって楽しい時間を過ごすことができたのは言うまでもない。
 
泌尿器科の新教授の就任祝賀会だったのだ。
 
参加者は120名程度。
新教授は岡大出身で自分よりも年下ではあるが、なんと自分と卒業年度は同じという、びっくりのシチュエーション。
そんな理由で、愛媛大学卒業からすぐに岡大に入局していった同門の懐かしい先生方にもあうことができた。
もちろん、日頃会うことのできない、県外の同門の先生たちとも。
 
当然、お歴々の祝賀が続くわけだ。
 
それによると、みんな教授とか病院長になると、選挙の時の公約よろしくいろんなことを医局員に言うらしい。
雑賀教授は「患者さんがわたしと会ってよかったと思えるような医療を提供したい」と言われていた。
自分も一医療者として、なるほどなと思った。
でも自分は果たしてそんな個々に即した医療を提供できているのだろうかなあとも思ったのも事実だけど。
 
時々自嘲的に言うこともある、「いやあおれがなおしたんじゃなくって薬が治したんですよ」
とか「こちらこそきていただいてありがとうですよ」「いえいえ先生それはわたしのほうが言うセリフですから」。
医者は病気を治す。でも治る病気なんて一握りだ。たしかに前立腺がんはダヴィンチで根治的治療ができるかもしれない。その後の尿失禁は治るヒトは治るけど治らん人はそれなりで、その後の人生を失禁状態とつきあっていくことになる。透析だって根治治療ではなく、極端な言葉で言えば延命治療であると言ってもいいかもしれない。まあ医療も人生も似たようなもんだよね。おれは医者としても自信があるわけじゃないので、自分に感謝の言葉を言われると、なんだか身の置き所がなくなってしまうんだよ。でも一医療者として病気であるヒトとその人が有する疾患に真摯に向き合うことだけは忘れていないつもりだ。でも向かい合っていてもこぼれ落ちていくものが多すぎるのも事実だ。どっちやねん!だから最近その行為とか営為がいささか重すぎて潰されそうになってるのも否めないのだ。
たまたま医療という場で偉そうなうんちくたれてるお前さんだけど、では、人間としては、おまえは、ひとつひとつのことに真摯に向かい合っているのか?
そんな問いも頭の片隅に浮かんで飛びすぎていったのだけどね。
 
同門会の会長のB先生が、「リーダーになる人はわたしの知っている限りではみんなカリスマ性があります」とスピーチで言われていたのも妙に残った。
みんなそれなりに歳を取って、勤務医ならその病院で部長とか副院長とかのクラスだろうし、教授だったりもするし、開業してれば規模の大小はともかく一国の主で、部下とか職員も抱えていることだろう。自分だってそうだ。40人位の職員を抱えてやってる。その人生に悔いがないか?いいことばかりはありゃしないとキヨシローは歌ったけどそんな感じだね、まさに。
そのなかで、経営者として生きて、リーダーとして生きて、カリスマ性を持ってかあ、気が遠くなる話だよねえやっぱり。
 
友だちなんてそんなに数はいらない。歳取ってゆけば心を真に許せる友が数人いれば十分だ、というような話もある。
おれはどうだろう?心を許せる人なんているのだろうか。誰かに寄り添ったり、酔って愚痴を言うことはできる。でも最後は他者を拒絶してるんじゃないのかな、このおれは、そんなふうに思う。それは寂しいことなのか?おれはさびしい人間なのか、さびしいのはじゃあ悪いことなのか?それもわからんなあ。
 
人間は結局社会的動物なので、他者との関係性においてしか生きていけないのも事実で、自分もそうやって生きて生かされていることも事実だ。だから他人を無視したり貶めたりするものではない。でも最後におれの心の奥を覗いてみたら、そこにはカリスマ性とか、会えてよかったねとか、そういったものは残念ながら希薄なような気がする。さびしいやっちゃなあ。
 
でも、いつもそんなことを思ってるわけでもなく、酒を飲めば楽しく、上機嫌でやってますんでねえ。まあコレもいっつも思うんだけど、人間が100%の全知全能の存在じゃなくってよかったよ。欠陥だらけで、ちょっと過剰になるとすぐにしんどくなったりするのがちょうどいいんだろうね。その範囲でできることなんて限られているっているのがよろしかと。フルスロットルでは働けんし、寝んといかんし、愚痴もこぼさんといかんし、愚かしいからこその人間で、だからうじうじ悩むんだろうけど、その分歓びもひとしおってもんだ。
 
ああ、なんか、心の底の檻のようなものを吐いちゃったよ。
 
教授になる人がいればなれん人もいるし、世の中光が全てに平等に当たるわけでもなく、自分の何十年の泌尿器科人生も中盤過ぎていろいろ考えさせられたことに結論がつくわけでもないけど、昨日の諸先輩がたのコトバたちにインスパイアされたので、徒然に書いてみました。

#328 南大門の鹿

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いつも
どこか
なにかを置き忘れてきた気がして、
 
わたしは昔、
あの港で、
鎖につながれたまま
奴隷船に乗って櫓を持った。
 
潮風、燃えさかる太陽、波の向こうの蜃気楼、
指の皮は膨れてすぐに破れ、
とめどもなく吹き出す血と、
破れた背中にも痛みすら感じなくなった頃、
目の前の黒点が広がった。
 
ただ、
ポルトガルの港で、
痩せこけた女がファドを歌っていたのを覚えている、
 
そしてその哀しい響きだけが今もここに在る。
 

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国銅〈下〉 (新潮文庫)

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