だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#341 最近のviolinです。

5/52 Orpheus

seiko

ユーミンの名曲に「卒業写真」というものがある。
 
悲しいことがあると開く革のページという、あれです。
そこにはいつも変わらないあなたがいて、微笑んでくれている。
私は人混みに流されて自分を失ってしまいそうだけど、あなただけはいつも昔のままでいてね、
・・という、いささかというか、非常に身勝手な歌ですね。
 
「気持ちはわかるけど、そんなに過去に浸ってどうすんの?」という夜と、「そうだよね、まったくそのとおりだよ」と、泣きたく夜もある。
この歌が妙にフィットする夜は、多分人間存在としての自分は弱り果ててドツボにはまって泣いてるそんな夜なんだろうねえ。
自分の彼女も、白黒のページの中ではいつまでもあの頃の笑顔でいてくれるんだよな、困ったことに。
そして、そのページの背後には、たしかに稚拙ではあったかもしれないが、あの日々の、青春の疼きとかきらめきが詰まっているのだ。
おお、やべえ、やべえ。
歳月の蓄積とともに過去はどんどん美化されてゆくものです。
 
今度、とあるお店の10周年partyでviolinを演奏させて頂くことになった。
その練習を始めてるんだけど、
現時点では「私のお気に入り」「over the rainbow」「黒いオルフェ」の3曲の予定。
bluetoothのスピーカーでオケ流して、そんで演奏。
 
その後か前だかわからんけど、オーナーの同級生のピアノの先生ともやらせていただけることになって、
そっちは「赤いスイトピー」!もうバッチリツボにはまるよねえ。
実はこの曲もユーミンの作曲で、詞は松本隆大先生。
彼女とは実は面識もないのですが、SNSで音源を互いに送りあって、多分本番でぶっつけになるのだろうけど、そんなことができるすごい世の中になったんですよね。
Apple Musicで聖子ちゃんの音源に合わせて練習始めましたよ。
 
どこで「卒業写真」の話になるの、って感じですけど、
やっぱりある日飲んでて、ふと「卒業写真やるよお!」ってなったのでした。
そこで「Oh,yeah!」って言ってくれたピアノの彼女と二人で12月にやりますよ。
・・でも練習はまだだというあやふやさでありますけどね。
 
とにかく、がんばりますよ。

#340 わたくしとポケモンGO^^;

 
ハロウィンが終わったので、二日酔いの朝からポケモン進化を。
 
しあわせタマゴもないので、どこまでいけるかやや不安だったけど、なんとかレベル24に到達する。
もう進化できるポケモンもなく、ほしのすなもないので強化もできない。
また振り出しの日々に。
 
レベル24から25までは150000XPを要すると画面に表示されている。
しあわせタマゴを使うとポイントが倍になる、孵化装置を複数手に入れると、当然だが卵が複数個かえせて、そうなると10km卵がやってくる確率も増える。
 
で、課金するかどうかずっと悩み続けてるけど、ふと気づいた。
ポケモンGO」は人生と一緒なんだ。
ゴールがない(もしかしてあるのかな?レベル40になったヒトは何してるんだろうね?)このゲームでは、無理を推し進めることに果たしてメリットが有るだろうか、と?
孵化装置を手に入れ、しあわせタマゴを手に入れ、それで加速を付けて、果たしてhappyだろうか。
次のレベルに進むまでのうんざりする時間がちょっと早まるだけのことで、それは人生を先送りするようなもんなんじゃないのか?
まあそこまで考えんでもと言われたらそれまでなんですけど、延々と1時間ぐらい進化させ続けて、やっとのレベル24の男はそんなふうに今は思っとるわけであります。
 
なんか到達感のあとの一抹の虚無でしょうかね。

#339 プチ怒り、です。

プチ怒り、です。
 
朝日新聞のデジタル版で料理のいつものようにevernoteにレシピをスクラップしようと思ったら、2016/10/27から、その記事は有料会員限定となってて、フルtextを観ることがかないませんでした。
だから当然デジタルスクラップもできんということですよね。
 
自分は紙のコンテンツの方は購読してるので、そういった読者にも、さらにコンテンツを有料で売るという戦略にした朝日新聞が信じられなくなりました。
今までも、紙の購読者が優遇されているというわけでもなかったのですが、登録すれば無料会員も確か一日3記事までならフル閲覧可能だったんですよね。
紙の購読者が、フルデジタル版をみるためには、月1000円の購読料が必要であると書いてある。
紙とは別にですよ?上乗せですよ?
 
まあ、若い方たちでは新聞を読まない家庭も確かに増えてきているようで、うちのスタッフの中にも少なからずおられます。
でもそんな彼らが、デジタル版の新聞を読むかというとそんなわけもなく、だから最近一面広告がやたら目立つのかなとも思ったり、だから紙媒体の経営は大変なのかなあとも思ったり。
でも今更のような、この、時代に逆行した措置が命取りにならんことを願っております。
 
おんなじようなこと書かれてる方もおられました。
 

朝日新聞デジタルでは、2016年10月27日から無料記事と有料記事の分類を変更しました。 厳選されたとっておきの記事を有料会員限定といたします(無料会員の方はお読みいただけません)。朝日新聞独自の特集・深掘り記事、コラムや連載など、プロの目で選び抜かれた優れた記事だけを掲載いたします。

 

#338 Bob Marleyと人生の長さ。彼女の笑顔。

 
ボブ・マーレィは36歳で死んだ。
でも、今もその音楽は、こんなにもオレの心に楔を打ち込み続けている。
 
その意味で言えば、誰かさんの言うが如く、
生きた長さや時間じゃないよ、生きた密度なんだ、っていう事になるのかもしれない。
 
それでももっと長く生きていてほしかった人はたくさんいる。
あのひとの笑顔やポケモン話、あの娘のウィスパーボイスや空の話を、おれはもっともっと聞いていたかったよ。
 
Hit me with music,hit me with music.
 
音楽は打たれても打たれても恵みの雨のよう、そこに痛みはない。
慈しみの雨のように、おれを音楽でいつまでも打ちづづけておくれよ。
 
「音楽と愛こそがもっとも強力な武器だ。
 だれも傷つけることなく、すべてを救ってくれる」
 
キヨシローもおんなじようなことを言ってた。
でも愛は時に苦しい。
彼女は決して振り向かず、俺は一人で杯を重ねるだけだ。
 
でもボブはこんなふうにも続けてくれたんだ。
 
「ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ」
 
可能性は自分が諦めない限り、閉ざされることはないのだと信じたい。
誰もがそりゃあてっぺんにいけるわけでもないし、
でもジョン・レノンが言ったように、夢見る人でいようとする姿勢を捨ててはいけないよ。
 
「もし彼女がすごいなら、簡単には手に入らない。簡単に手に入ったら、彼女はすごくない。もし彼女に価値があったら、お前はあきらめない。お前がもしあきらめるなら、お前に価値がない。」
 
Don’t give up the fight!
 
泣かない女なんていやしない。だから涙を拭きなよ。
「No woman No cry」のリフレインを聴きながら
Everything's gonna be alrightと口ずさみながら、明日のドアに手をかけよう。
 
彼女は相変わらず遠くにいるけど、きっと涙の跡の笑顔を内包しているはずだ。
 

#337 第50回四国透析療法研究会と、ポケモンと、今回は善通寺のぶっかけうどんでした。

2016年10月23日(日曜)は、朝の7時発で香川サンポートに。
第50回四国透析療法研究会でした。
今回は総勢12名での参戦ですが、うち技士10名で、なんかうちの臨床工学技士さん異様に増殖してます。
それなのに当院からの発表はなしという、ちょっと情けない状況。
 
で、学会の話はさておき、
 
サンポートにはポケストップもポケモンもてんこ盛りでした。
釣りをする人、ジョギングする人、ポケモンする人、ポケモンしながらデートする人、フリーマーケットを楽しむ人、
そんな感じでポケモン率も異様に高かった気がします。
自分も新種も何種類かゲットで、学会場に帰る間際にピカチュウもゲットできましたよ。
 
隣の玉藻公園も、行く途中に通過した栗林公園も、なんかすごいことになっとりました。
 
最近の透析の学会では、
災害、貧血管理(鉄を含んだリン吸着剤は鉄補充を円滑に進め、増血剤の使用量を軽減できる)、onlineHDF、フットケア、高齢者のケアを含む透析(介護施設での介入)、などというものがトレンドで、
長く医者をやっている自分にはなかなかスカッとするモノが出てこないのが正直なところです。
 
そんな中で聴いた、
ランチョンセミナーでの赤塚東司雄先生の「透析施設の災害対策」は非常にクリアカットで、ふんふんと身を乗り出して拝聴しました。
立て続けにあった、あの高名な川島病院院長の水口潤先生の「腎不全の総合医療を目指して」という特別講演も、非常にクリアカットで、なおかつ多くの示唆に富むものでした。
結構日々の透析医療に埋没して疲れ果ててる自分にも一抹の光明をともしてくださるような勢いでした。
 
ほんと一人の人間にできることなんて限られてますもんね。
 
自分の人生だって有限なものに違いないのに、
誰かを助けられるなんておこがましいこと言っちゃってほんとにそうなの、と思ったりもしますが、
助けるんじゃなくって、共に日々を過ごして、ちょっとだけ医療的な優位性はあるので、そこでアドヴァイスをしてあげる、そのくらいでいいんじゃないか、あとはやっぱりその患者さんの「way of life」なのでそれ以上の介入は相手がどう取るかなんだよね、と考えてももういんじゃないのかなあ、とも思いました。
ああ、やっぱり助けるなんておこがましい発言だわ、何度も目の前の命を失ってますもんね。
日本人は兎にも角にも親切というか、微に入り細に入りをしないと気がすまない所あるですからねえ。
かく言う自分だって患者さんの為とか理由をつけたいがために押し売りしすぎとんかもなんですよ。
でも時々切れますけどね(汗)
自分の中の整合性皆無。
意味不明な文章になっとります。
 
まあ、久々に腹膜透析に関してのnegativePDではなくってのpositive論も聞けてよかったと思います。
 
さてと、特別講演を終えてみんなで向かったのが、
高松からちょっと離れた善通寺の「山下うどん」さんです。
コシのある肉ぶっかけ(冷)をいただきました。うまかったなあ。ほんと外れた場所なのに途切れることなくお客さん来られてましたよ。
 

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そんなわけで、またヘロヘロの一週間がなんとか終わりましたよ。
 
そういえば、たまたま、瀬戸内芸術祭2016の作品も見れましたよ。
木で作られたNestみたいな建造物に入って、出るときに銅鑼を鳴らさせてもらえるんですよね。
そのどぉおおんって音が海のそばに響いて気持ちよかったです。
 
(2016/10/24記載)

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*作品No. 172
国境を越えて・海 リン・シュンロン(林舜龍)
前回の芸術祭で台湾から豊島を航海し、また台湾に戻った「種の船」が、今度は高松港に到着する。
 
 
新たに組み立て直した船は、種の漂流をイメージ。

#336 星の王子さまのいる空

リトルプリンス 星の王子さまと私(吹替版)

 
「リトルプリンス 星の王子さまと私」(2015)というフランスの映画を観る。
 
アニメで吹き替え版で、日本語版オフィシャル主題歌はなぜかユーミンのものだった(ユーミンかなああと思ったらそうだったという妙なマッチ感)。
 
サン=テグジュペリという作家は飛行機で出かけたまま地中海から帰ってこなかった。
そんな神話的なエピソードを持った作家もそうはいないだろう。
そしてそのエピソードは当然自作の「星の王子さま」を彷彿させる。
自分も最初は「星の王子さま」から入った。そして飛行士であったサン=テグジュペリその人にも当然興味をいだくことになるのだが、それはまた別の話。
 
王子様は蛇に咬まれて(自分を咬ませて)死ぬ。飛行士は砂漠を脱出する。
以来彼は夜になると、星を見るのが好きになったという。
王子様はバラの待つ自分の星に帰ることができたんだろうか?
そして、ヒトはみなおとなになるときに何かを捨てて忘れなくては本当にいけないのか?
大切なことはほんとに目に見えないのか?
目に見えることの中にだって大切なことはたくさんあって、お金で買える幸せだってあって、汗水たらして働くことは決して悪いことだけではなくって、それでもやるせないことは歳を経れば経るほど増えていって、それでも大人は涙をこぼしちゃいけないときもあって、あの人はどうしてあっちにいかなければならなかったんだろうとか、あの人はじゃあほんとに目をつぶって心のなかに問いかけてみたら蘇るのだろうかそれで自分を納得させといたんでいいんか、とか、なんか、いろんなことがごっちゃになって、目の前をビュンビュン通り過ぎていった、この映画の合間に。それだけでこれはオッサンである自分にとっても悪い映画ではなかったのだと思うよ。
 
実は中学校の時、演劇部で「星の王子さま」のお芝居をした。
自分は飛行士の役だった。子供だった自分に飛行士の気持ちなんてわかるわけもなかったんだろう。今思うに。
でも、その頃の自分にあって、大人になることはそう捨てたもんでもないよ、って、今ならえらそうにじゃなくって言えるかもしれないな、なんて、ちょっとだけ思う。
 
でも、あの中学校の校庭で体育座りをした昔の自分は、そんなオッサンのおれを睨みつけるだけなのはわかっちゃいるんだけどね。
それでもね、なんかゆっくりとじっくりと話したいんだよね。
生きていることのつらさを、生きていくことのすばらしさを、いつかキミが好きになった人も君を好いてくれた人もいなくなっちゃうかもしれない、それはしかたないことかもしれない、でも、君やあなたが死んでも目を閉じればたしかにおれの隣りにいるんだけど、それでも生きてるうちにもっと喋りたかったよね、そんな話もしてみたいと思うんだよ。

#335 開高健というヒトがいたねぇ。

ベトナム戦記 (朝日文庫)

 
開高健の肉声を聴く。
 
朝日新聞デジタルで、作家の朗読の連載があり、Webだと肉声が聞けるという素晴らしいものだ。
かの作家は「ベトナム戦記」で、少年が銃殺されるシーンを読み上げた。
少年の肉体に幾つもの穴が穿たれ、そこから血が噴出する描写は、リアルそのものだった。
 
最近やっと観た「アメリカンスナイパー」で、街路で迫撃砲を拾って手にして、撃とうかどうか迷う少年に狙いをつけるスナイパーが描かれていた。やるんじゃない、さもなくばおれはお前を撃たなければならないんだ。少年は彼にはやや重い迫撃砲を置いて去ってゆく。スナイパーは胸をなでおろす。
 
でも、家庭も生い立ちも関係なく、殺すか殺さないか、それだけが戦争という物の本質なのだ。誰かを殺さなければ、その誰かがまた誰かを殺してゆく。その果てしない連鎖だ。
戦争は決してなくならない。一撃で多くの人間が肉塊に変わる。
その一方で、たしかに、ブラックジャックが言ったように、医者は一度に救えてもせいぜい一つの命しか救えない。
 
開高健氏の「闇」シリーズにはとにかくぶっ飛んだ。その頃たぶん、丸山健二さんとか、そういった作家に惹かれて、貪るように読んだのだと思う。そんなことを思い出していた。
 
今はそんなヘヴィーな読書をとんとしないようになったなあ。時代はヘヴィーだけど、読書はヘヴィーさを表面上は捨ててしまったようにも思える。考えるに、村上春樹はやっぱりミニマリストでありつつも世界を俯瞰するという、今の世の中にマッチした作家なんだなあと思う。
 
実はこの「ベトナム戦記」を読んだことはない。電子書籍で全集が出ているのだと検索したら出てきた。いつか読みたいものがまた増えてゆく。おれの中に鉱脈はじつは眠ったままなんじゃないかとさえ思う。そんな疲れ果てた午後。