#164 人生は消去法
人生は消去法。
若い時は加算でいっていた、
どんどんどんどん積み重ねてゆく。
あれもできる、これもできる。ただ時間がないだけ。時間さえあればできるのに。
でも歳を取ると、時間とか人生が有限だと思い知らされる。
だから消去法。
断捨離ブームじゃないけど、いるものだけを選んであとは捨ててゆこうと50歳の時思ったんだ。でも結局消そうとして手にとったもののうち、大切だったのは、昔手にとってなんとなくこぼれ落ちていったものがほとんどだということに気づいたんだ。
だから、またヴァイオリンを手にとって、ギターの弦を張り替え、サックスのアドリブをplayしたいと思い、古いアナログレコードに針を落とし、キヨシローの歌声を聴き、自転車にまたがり、しょうもない文章を綴るんだと思う。
坂本龍一さんがかつて言ってた、人生のうち大事なものはほとんど二十歳までに形成されてるんだ、って。
だから消去法というこの表現は、自分にとっては決してnegativeなものではない、
むしろ自分にとってはかなりpositiveだ。
時間はないってことはかわりなし、
なら今までかじったものをもうちょっと突き詰めていいんじゃないか?
もうお前の目の前に駒は揃えられているだろうよ。
それ以上なにを欲しがるっていうんだい?
夢枕獏さんの本を読んでてふと思ったのだった。
おれが綴って行ける物語の総量なんてしれてる、でもおれには書きたい物語はまだまだある、だから、おれにもう少し時間をくれよ、願わくばこの物語が終焉を迎えるまでおれの命がありますように・・というふうなことを彼はいつもあとがきで述べている。確かに人生は有限で、架ける物語は限られており、煩悩や欲望は果てしない。だから、彼はまた新しい、連綿と続くストーリーを始めてしまうんだけどね。
突き詰めていくその過程で、もしかしたらそれから以降の人生で、どうしても避けられない新しいものに会ってしまったら、それはそれ。その時の話だ。
それが恋だったら、たとえばそれはそれでいいじゃないか。
そんなふうに思ったのだよ。