だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#424 しんすけsきっちん 2018/02/11

 

・みかんが余っていたので、ふと思いついてみかんでケークサレを作る。
ケークサレはちょっと塩辛い大人のケーキみたいなものであるので主食でも大丈夫かな?
あらゆるものをぶち込む。
おからパウダーとかしょうがとかハムとかブロッコリーとかミニトマトとかたまねぎとか。
原材料は卵と米粉とおからパウダー。

Facebook 友達の彼女が、福袋で、ストゥブ鍋を15個手に入れたそうだ。すげぇ。
でもその気持わかる。
調べてみると家事の時短化で(食事を作って片付けるってメニュー作りからするとかなりの時間と労力だから、実際作ってる人間としてはその気持はよく分かる)、電気調理器もいろいろ発達してるみたいだ。
勝間和代さんの愛用のホットクックとか、Tfalのマルチクッカーとか材料入れたらマシンが調理してくれる。素晴らしい。
でもこの重たいストゥブには、料理という家庭における「個人オリンピック」みたいな愛が詰まってからねえ。
だからストゥブ・ラブはよく分かるよ。今のところ、自分の持ってるのはたった二つだけどね。
彼女のタイムラインにものっていた鶏肉の煮込みも常備菜として作る。
今回はむね肉でやってみるけど、確かに柔らかい感じ。味は塩のみで、ネギと玉ねぎとしめじを入れましたよ。

この二つは昨日の昼食となりました。

 

・そして昨夜はチキンライス(資生堂パーラーのレシピだそうな)と、豚三枚肉の西京漬けを焼きました。
これは非常に美味でしたよ。
お歳暮でもらったものです。ありがとうございます。
NHK「あてな夜」で生姜特集をしてた。夏のものだからかなり古いのだけど。
それで触発されて、みかんと生姜のジンジャーハニーを作った。
チーズの上にそれをのっけて、シナモンパウダーをかけて食べるというもの。
デザートのようでデザートではないという代物。まあまあの味。
なんだか充実した夕食でした。作ってるヒトの自己満足かもしれんけど。

 

 

 

#423 We are DAWNIST(日本名;夜明前)です。(我々二人のトランペットとサックスのユニットの名前が決まりました。)

(写真は専属カメラマンのSちゃんが撮ってくれましたよ^^)
 
 
昨日はトランペットの若者(といっても35歳ですけど)と、自分のアルトサックス二人のユニットの本格的デビューの一夜でありました。
曲は 「All of Me」 を吹かせてもらいました。
場所はいつもの「Y’s cafe」、バックは鉄壁のプロの方たちであります。
なので本当に安心して、間違っても焦らずに(ホントは超焦りますけどね。昔はそこでフリーズしてたけど今はなんとか立て直せるくらいにはなってきた)吹けます。
昨日は4コーラス+1で、全部で5分ぐらいの演奏でした。
 
そのあとで、自分たちのバンドの名前を披露したのですけど、
夜明けを待つ人という意味の「DAWNIST」 と名前なんですが、
帰る時に(Y’sの)ゆみこさんに話していると、「ああ、夜明け前ね!」と言われましたよ。
そういうわけで、我々のユニットの日本語名は、かっこいいので「夜明前」(ひらがな略)です。
夜明け前にうずくまる男たちなのか、歩き出す男たちなの、か、それは謎ですけど、
「夜明前(DAWNIST)」でよろしくお願いします。
 
まあこんな感じ・・・ですけど、以下がそれにいたった経緯であります。
 
トランペットとサックス?
うーん、って雑用仕事を粛々とこなしている最中に、DAWN(夜明け どーんって読むのかな?)というコトバがひらめいた。 
薄く青く染まる空の色。
そんな中に永遠に溶け込んで、どちらに行くかわからず、例えば今の季節なら震えながら夜明けを待つ。そんなイメージだ。 
社会的には、まあまあ方向性も見えた、中年入り口の男と、リタイアも考え始めたおっさんが、ただ楽器でつながる。 
2年先の転勤を控えた彼には時間は有限だ。
 DAWNIST (夜明けを待つ人?)ってえのはどうだ? 
夜明けに向けて、ただ待つだけではなく、なんか方向性はわからんけど、とりあえず動き出す二人って印象でしょうか? 

 

そんなわけで、We are DAWNIST(日本名;夜明前)です。

#422 しんすけsきっちん「青菜のオイル蒸し」と「さつまいものコチュジャン炒め」

 

昨日は小松菜と白菜と、でっかいにんにく(すももくらいあるのが地産地消コーナーにあった)を鍋に投入して、オリーブオイルと塩を控えめにかけて蒸しました。
オリジナルのレシピでは、小松菜と菜の花だったんですけど、なんでもいいみたいです。


晩御飯用だったので、たくさん食べようと思ってでかい鍋にしたのですが、密閉性の面からすると、お気に入りのストゥブ鍋のほうがやはりいいと思いました。
タンパク源としてはホッケの一夜干しと、鶏団子を上に乗っけたのですが、
ホッケの方は食べるときには味が野菜の方にほぼ染み出して、干物の塩気はほぼなかったですね。

 

それにしても、ストゥブ鍋がきてから、野菜料理が増えました。
なんせ、火(IH)にかけてほぼ放置の状態でいいんですからねえ。
野菜も皮ごと入れて、本来の甘味を味わっております。

 

もう一品は、「さつまいものコチュジャン炒め」。
コチュジャン(2)と味噌(1)と味醂(1)と酒(2)で作ったタレを、電子レンジでやや柔らかくしたさつまいもの輪切りを炒めて、ちくわを追加して、そのあとに絡めます。
生姜のすりおろしたのも大量に入れときました。

 

食べたものがその人を作るということは、古くから言われてますけど、
そのとおりだと思います。
たしかに、仕事から帰って、飯作って片付けると、もうほぼタイムアウトの感じですけど、
それでも料理をつくるのは(当番の日だけですけどね)やっぱり自分にとっては意味があるのでしょう。

 

その後で、可愛い犬のチョコをいただきましたよ♪

 

#421 アニメ「少女週末旅行 第5話」観る。

少女終末旅行 4巻 (バンチコミックス)

 
録り逃した分は、今ならネットでちゃんと補填できるのだからほんとありがたい世の中だ。
 
こうやって滅びた世界をさまよってゆくロードムービーは好きだけど、
たしかにとしとってくると、バイオハザートとかマッドマックスの世界観より、
この日本的ワビサビもすこし入ってる(無常をそのままなんとなく肯定するというのでしょうか・・)なんかこのまま力抜けて動かなくなって息絶えてゆくんかなあvisionのほうが、好きかもなあ。
 
そんなわけで、ネットの方で観たんだけど、
進撃の巨人」の主題歌の「心臓を捧げよ」には、なんかちんちん萎えちゃうような印象だけど、
こちらの怒涛のドラマを若い人たちはどんな心境で見てるんだろうね?
だって人類の存亡をかけて志願して巨人と戦うんだよ、殆どのソルジャーは食われちゃうのにねえ。
お前志願できるか?
生え抜きの上官のソルジャーたちでさえ、「戦うのをやめるまでは決してオレたちは負けてはいないんだ」という崇高な理念の傍らから、
えげつなく巨人に食われて崩壊して犬死してゆくのを、
たとえアニメとはいえ眺めるのは、これもションベンちびりそうになるくらい怖い。
そうなんだよね、「死」の前に、巨人の口の開けた口みたら、おれなら脱糞して発狂するね。
 
それでも「死」から逃れるすべは、巨人がいようがいまいがあらゆる人に等しく降ってくるという恐ろしい事実もある。
比較してもしょうがないけど、「バイオハザート」でゾンビにやられてあっけなく死んじゃうローラの100倍くらい悲しく惨めなくらい怖い。
カミカゼで死んでったサムライソルジャーが突っ込んでく時ナニを思ったかなんてもう誰も知らない。
ここでおれがいいたいのは、あらゆるもののジ・エンドは「死」だというその抗いがたい事実だ。
話がそれた。「死」の話じゃない、巨人に食われて死ぬのは怖ぇえなあってそれだけの話しだった。
 
ほんとあのアニメは容赦なさすぎる。
日本人はなんであんなもん作れるんだろうね。
それが今度NHKで放映されるって、どうなってんだ?
 
その一方での「少女週末旅行」だからなあ。
 
でもそちらのアニメも最終話までは観てないんだけど、きっと「希望」に満ちたエンディングなど存在しないのではないかと薄々予想している。
(まだ観てないので、ネタバレさせないでくださいね^^;)
 
終末といえば、先日見た「デビルマンcrybaby」なんてもろハルマゲドンだもんなあ。
 
滅びゆく世界のゆるやかな日々を描いた芦奈野ひとし先生の「ヨコハマ買い出し紀行」という名作、
あれもまた読みたい作品だなあ。
 
そういえば、「それ町」の石黒先生の新作の連載が始まったそうな。
こちらも楽しみだなあ。
 
やっぱりなんのかんの言ってもマンガとかアニメはいいなあ。
 
たわいのないひとりごとでした。
 

#420 37.5度 微妙なだるさを抱えて

(最初の美女)
 
人生100年時代と書かれて、朝日新聞にこんな記事が乗っていた。
 
でも、60歳からでも決して遅くはありませんよ。義務教育の学習時間は一万時間ほどですが、人間、それぐらいの時間をかければ、語学でも何でも大抵のことはある程度のレベルまでもって行くことはできます。一日3時間かければ10年の計算。余生を30年とすれば、並行して三つぐらいの峰を描けるのではないでしょうか。
(略)
 実は私、75歳ぐらいで画家デビューを狙っているんです。年をとっても何かを生みだし続けている人って、すてきじゃないですか。まだ、何の練習も始めてはいませんが、デッサンからじっくり取り組めば、テニスみたいにある程度の所まではいけるんじゃないかと。最後は教育改革実践家としてではなく、絵師になって95歳ぐらいで死ぬ方が美しいかな、なんて考えているのです。
                    教育改革実践家 藤原和博(62)さん

 

うーん、こういう俯瞰的な考え方をする人がいるんだなあ。
なんかちょっと自分のことを他人みたいに語ってるような気もするけど、きっと彼はホンキでそう思ってるんだろうなあ。
うらやましい。
 
自分も50歳になった時、かなり焦った。半世紀の男とか言いふらしてジタバタしてた。
のちのち自分が後悔しないためにはどうしたらよいかを考えて、まずは「自転車」を選んだ。
(今は休眠中ですけどね^^;)
その後に、やはり昔からなんか付かず離れずの立場にいた「音楽」に食いついた。53歳位だったと思う。
それも、「かぐや姫」の流行ったころからほそぼそと弾いていたギターではなく、アルトサックスなんだから不思議なものだ。
ナベサダのコンサートに行って、酒を飲んで盛り上がって、体験レッスンを受けることに決めたのだった。
その時の盛り上がった仲間は残念ながらもういない。
でも、音楽の場で、医師としての仕事では知り合うことのできない人々とも知り合うことができた。
度胸を決めて、今ではライブハウスで月に一度サックスのセッションに加わらせてもらっている。
 
50歳のおれ?信じられるかい?
 
音楽は芋づる式で、小学校の時やってたバイオリンも再開したし、リズム感の欠如に切実に気づいてドラムも週1で教えてもらってるし、果てはピアノまではじめてしまった。
どの楽器も捨てがたい。
最近、カントリーシンガーのアーニャ・ヒンクルさんが、タップを踏みながら、バイオリンでリズムを刻みながら、歌われる姿にえらく感動した。
その手の音楽では、バイオリンのことをフィドルと呼ぶのだけれど、自分もフィドラーになりたいなと思ったりしたのだった。
 
そう、人生なんて、もう先が見えたなと思ったことももしかしたらあったかもしれないけど、
未知の荒野はいくらだって、見えていないところに存在したのだった。
 
キャバクラみたいなお店(いやもっと高級クラブか?)で、お姉ちゃんにいただいた名刺の裏に、ボールペンで彼女たちを落書きしていた。
それが今や、スケッチブックとcopic(漫画家の御用達ツールらしい)とぺんてる極細筆ペンを常時携帯して、いつでも臨戦態勢だもんなあ。
おかげさまで「酔っ払い画伯」の狭いフィールドの中ではありますが、認知度も上がってきましたよ。
 
そんなわけで、昨日も美女に乞われて描かせてもらった絵を、だだ漏れ状態でアップしますんで、まあ見てやってくださいね。9枚も描いとった^^;
 

#419 今日は病院の19周年でやっぱりうだうだ生きている。

アラスカたんけん記 (たくさんのふしぎ傑作集)

NHK BS の録画を観る。
アラスカを愛した写真家「星野道夫」さんの息子が、22歳の大学卒業の今、アラスカの父親の足跡をたどる旅のドキュメンタリーだ。
「父と子のアラスカ」だったかな。
息子さんが卒業を前にして NHK の金でアラスカに行くのかはちょっと疑問には思ったけど、
まあ彼が初めて父親の写真に触れ、そして父親を愛した人や、いろんな場所やものに触れたりするのは決して回顧主義だけではなく、
心が洗われる番組ではあった。

星野道夫氏は、自分が企画した番組で、取材中に戸外でテントの中で寝ていて、熊に襲われて死んだのだった。
屋内に入ろうというクルーに対して、この時期の熊の習性からすると郊外の人を襲ったりはしないと主張して、テント泊を選んだのだそうだ。

星野道夫さんは、作家の池澤夏樹さんを介して知った。
ある時期、自分の人生の師のような方であり、いわば人生の探究的成果を具現化した男でもあった。
シシュマレフ・ワタリガラス・朽ちたトーテムポール・今もアザラシを解体して食べる昔ながらの狩猟民として暮らしをしているエスキモー生活・グリズリー・カリブーの大群・暖炉のの暖かい火・書棚に並べられた書物。
いろんな光景が、カメラの前にリアルな映像として映し出されて消えていった。

ジャック・マイヨールは自ら命を絶った。加藤和彦もやはりそうだった。
でも星野道夫は違う。熊に襲われて死んだのだ。そしてその死は決して空白ではない。
大腸癌で死んでいった原田芳雄も然りだ。

息子が父の足跡を訪ねる。
その光景を見ていると、やはり自分のことを思ってしまう。
星野さんの息子さんは星野道夫が死んだ時たったの1歳半だった。だから彼は父親との暮らしをほとんど覚えていない。
だから、この度で彼は父親を他人のように一人の大人の男として眺めて、そしてナニを思ったんだろうな?
自分は、彼と違って、オヤジを失ったのはつい最近だ。
でも死んだ親父について何を知っているのだろう?といういささか自責の念に駆られるかられないわけでもない。
まあそれは誰しもが思うことだろう。
でも心配ない。
死んだお袋と、死んだ親父の DNA は、俺の体に迷うことなく流れているのだから。
墓があろうがなかろうが、墓碑銘があろうがなかろうが、彼らの灰が溶けて地中に吸い込まれてしまったとしても、
俺には何ら問題はない。
おれだってそのうちおさらばしてどうせ忘れられる。
おれの死だってそんなものは何の問題もない。
ただ今を生きるだけだから。
だからなのか、だけどなのか、最近こうやって頭の中をすぎることどもを、毎日毎日こうやって書き連ねている。

今が嵐の季節なのかもしれない、自分にとって。

今日で病院は、開業丸19年を迎え、明日からは20年目に突入する。
いえい!

#418 最近のSIONのこと (その2 今日もSIONが歌ってるよ。)

今さらヒーローになれやしないが

やっとわかった。
歳をとったSIONの歌はパーソナルに響く歌なんだ。だから日比谷野音でみんなで合唱する歌ではないのだということに。


去年の雨の野音SIONはほとんど新曲をやった。いつもならギリギリで間に合う最新作の CD (「今さらヒーローになれやしないが」)の発売は遅れて、会場には間に合わなかった。
耳慣れてない曲のラッシュだけど、サウンドはMOGAMI(自分は日本一のロックバンドだと思っている)なので、
いつものシオンの歌だけどちょっとした戸惑いがあった。
でもやがて心地よくなった。

だけどね、それらはみんなで口ずさむ歌ではなかったのだよね。
それはどうしてか、ずっと、ずっと考えていたんだ。

今のシオンは等身大の自分を歌う。57歳の自分を。
昔の「新宿の片隅で」みたいにみんなで口ずさむ歌は確かに減ってきた。
堂々のロックチューンでも内容は決して派手さはない。いい言葉で言うといぶし銀で、悪くいうと万人には響かない。みんなひとりひとりが、それぞれのSIONを抱えて、一人で酒を飲みながら、野音の空気に触れながら、浸る音楽だったんだろう。
そう思えて、やっと今更ながらではありますが、去年の夏のSIONが納得できたのだった。


秋から、ずっと通勤の途中とかのクルマの中でSIONの新しい CD を聴いている。
その音たちはいつしか耳に馴染んで、なくてはならない音楽に変わったのだった。
それは自分だけのシオンなんだ。


そんな音楽の聴き方もある。

 

 

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