太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
動き始めた汽車の窓に 顔をつけて君は何か 言おうとしている君のくちびるが さようならと動くことがこわくて 下をむいてた
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
動き始めた汽車の窓に 顔をつけて君は何か 言おうとしている君のくちびるが さようならと動くことがこわくて 下をむいてた
・みかんが余っていたので、ふと思いついてみかんでケークサレを作る。
ケークサレはちょっと塩辛い大人のケーキみたいなものであるので主食でも大丈夫かな?
あらゆるものをぶち込む。
おからパウダーとかしょうがとかハムとかブロッコリーとかミニトマトとかたまねぎとか。
原材料は卵と米粉とおからパウダー。
・Facebook 友達の彼女が、福袋で、ストゥブ鍋を15個手に入れたそうだ。すげぇ。
でもその気持わかる。
調べてみると家事の時短化で(食事を作って片付けるってメニュー作りからするとかなりの時間と労力だから、実際作ってる人間としてはその気持はよく分かる)、電気調理器もいろいろ発達してるみたいだ。
勝間和代さんの愛用のホットクックとか、Tfalのマルチクッカーとか材料入れたらマシンが調理してくれる。素晴らしい。
でもこの重たいストゥブには、料理という家庭における「個人オリンピック」みたいな愛が詰まってからねえ。
だからストゥブ・ラブはよく分かるよ。今のところ、自分の持ってるのはたった二つだけどね。
彼女のタイムラインにものっていた鶏肉の煮込みも常備菜として作る。
今回はむね肉でやってみるけど、確かに柔らかい感じ。味は塩のみで、ネギと玉ねぎとしめじを入れましたよ。
この二つは昨日の昼食となりました。
・そして昨夜はチキンライス(資生堂パーラーのレシピだそうな)と、豚三枚肉の西京漬けを焼きました。
これは非常に美味でしたよ。
お歳暮でもらったものです。ありがとうございます。
NHK「あてな夜」で生姜特集をしてた。夏のものだからかなり古いのだけど。
それで触発されて、みかんと生姜のジンジャーハニーを作った。
チーズの上にそれをのっけて、シナモンパウダーをかけて食べるというもの。
デザートのようでデザートではないという代物。まあまあの味。
なんだか充実した夕食でした。作ってるヒトの自己満足かもしれんけど。
トランペットとサックス?うーん、って雑用仕事を粛々とこなしている最中に、DAWN(夜明け どーんって読むのかな?)というコトバがひらめいた。薄く青く染まる空の色。そんな中に永遠に溶け込んで、どちらに行くかわからず、例えば今の季節なら震えながら夜明けを待つ。そんなイメージだ。社会的には、まあまあ方向性も見えた、中年入り口の男と、リタイアも考え始めたおっさんが、ただ楽器でつながる。2年先の転勤を控えた彼には時間は有限だ。DAWNIST (夜明けを待つ人?)ってえのはどうだ?夜明けに向けて、ただ待つだけではなく、なんか方向性はわからんけど、とりあえず動き出す二人って印象でしょうか?
昨日は小松菜と白菜と、でっかいにんにく(すももくらいあるのが地産地消コーナーにあった)を鍋に投入して、オリーブオイルと塩を控えめにかけて蒸しました。
オリジナルのレシピでは、小松菜と菜の花だったんですけど、なんでもいいみたいです。
晩御飯用だったので、たくさん食べようと思ってでかい鍋にしたのですが、密閉性の面からすると、お気に入りのストゥブ鍋のほうがやはりいいと思いました。
タンパク源としてはホッケの一夜干しと、鶏団子を上に乗っけたのですが、
ホッケの方は食べるときには味が野菜の方にほぼ染み出して、干物の塩気はほぼなかったですね。
それにしても、ストゥブ鍋がきてから、野菜料理が増えました。
なんせ、火(IH)にかけてほぼ放置の状態でいいんですからねえ。
野菜も皮ごと入れて、本来の甘味を味わっております。
もう一品は、「さつまいものコチュジャン炒め」。
コチュジャン(2)と味噌(1)と味醂(1)と酒(2)で作ったタレを、電子レンジでやや柔らかくしたさつまいもの輪切りを炒めて、ちくわを追加して、そのあとに絡めます。
生姜のすりおろしたのも大量に入れときました。
食べたものがその人を作るということは、古くから言われてますけど、
そのとおりだと思います。
たしかに、仕事から帰って、飯作って片付けると、もうほぼタイムアウトの感じですけど、
それでも料理をつくるのは(当番の日だけですけどね)やっぱり自分にとっては意味があるのでしょう。
その後で、可愛い犬のチョコをいただきましたよ♪
TVアニメ「進撃の巨人」Season 2 Vol.1 [Blu-ray]
でも、60歳からでも決して遅くはありませんよ。義務教育の学習時間は一万時間ほどですが、人間、それぐらいの時間をかければ、語学でも何でも大抵のことはある程度のレベルまでもって行くことはできます。一日3時間かければ10年の計算。余生を30年とすれば、並行して三つぐらいの峰を描けるのではないでしょうか。(略)実は私、75歳ぐらいで画家デビューを狙っているんです。年をとっても何かを生みだし続けている人って、すてきじゃないですか。まだ、何の練習も始めてはいませんが、デッサンからじっくり取り組めば、テニスみたいにある程度の所まではいけるんじゃないかと。最後は教育改革実践家としてではなく、絵師になって95歳ぐらいで死ぬ方が美しいかな、なんて考えているのです。教育改革実践家 藤原和博(62)さん
NHK BS の録画を観る。
アラスカを愛した写真家「星野道夫」さんの息子が、22歳の大学卒業の今、アラスカの父親の足跡をたどる旅のドキュメンタリーだ。
「父と子のアラスカ」だったかな。
息子さんが卒業を前にして NHK の金でアラスカに行くのかはちょっと疑問には思ったけど、
まあ彼が初めて父親の写真に触れ、そして父親を愛した人や、いろんな場所やものに触れたりするのは決して回顧主義だけではなく、
心が洗われる番組ではあった。
星野道夫氏は、自分が企画した番組で、取材中に戸外でテントの中で寝ていて、熊に襲われて死んだのだった。
屋内に入ろうというクルーに対して、この時期の熊の習性からすると郊外の人を襲ったりはしないと主張して、テント泊を選んだのだそうだ。
星野道夫さんは、作家の池澤夏樹さんを介して知った。
ある時期、自分の人生の師のような方であり、いわば人生の探究的成果を具現化した男でもあった。
シシュマレフ・ワタリガラス・朽ちたトーテムポール・今もアザラシを解体して食べる昔ながらの狩猟民として暮らしをしているエスキモー生活・グリズリー・カリブーの大群・暖炉のの暖かい火・書棚に並べられた書物。
いろんな光景が、カメラの前にリアルな映像として映し出されて消えていった。
ジャック・マイヨールは自ら命を絶った。加藤和彦もやはりそうだった。
でも星野道夫は違う。熊に襲われて死んだのだ。そしてその死は決して空白ではない。
大腸癌で死んでいった原田芳雄も然りだ。
息子が父の足跡を訪ねる。
その光景を見ていると、やはり自分のことを思ってしまう。
星野さんの息子さんは星野道夫が死んだ時たったの1歳半だった。だから彼は父親との暮らしをほとんど覚えていない。
だから、この度で彼は父親を他人のように一人の大人の男として眺めて、そしてナニを思ったんだろうな?
自分は、彼と違って、オヤジを失ったのはつい最近だ。
でも死んだ親父について何を知っているのだろう?といういささか自責の念に駆られるかられないわけでもない。
まあそれは誰しもが思うことだろう。
でも心配ない。
死んだお袋と、死んだ親父の DNA は、俺の体に迷うことなく流れているのだから。
墓があろうがなかろうが、墓碑銘があろうがなかろうが、彼らの灰が溶けて地中に吸い込まれてしまったとしても、
俺には何ら問題はない。
おれだってそのうちおさらばしてどうせ忘れられる。
おれの死だってそんなものは何の問題もない。
ただ今を生きるだけだから。
だからなのか、だけどなのか、最近こうやって頭の中をすぎることどもを、毎日毎日こうやって書き連ねている。
今が嵐の季節なのかもしれない、自分にとって。
今日で病院は、開業丸19年を迎え、明日からは20年目に突入する。
いえい!