だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#449 ひとりごと

「幸福とは、自分の人生が自分の手中にあると感じられること」
という言葉を、新聞の片隅に見つけた。
 
自分の人生を、自分のものにすること。
それを「是」と言える人は案外少ないんじゃないんだろうか?
 
今日、
「何もかもが衰えていくんですよ、しょうがないんですけどね・・」
と、背中をかがめて言われた80歳を越した患者さんに、
「小さなことでも夢中になれることをひとつずつ見つけたら、それだけで褒めてあげたんでいいんですよ、自分のことをね」
と話した。
 
それは自分にも当てはまることだった。
自分で自分を見つけてあげること、その先に、自分の人生を自分の手中にするという鉱脈が眠っているんだと思う。
 
ともすれば流されてゆく。
流されるのもまた人生だろう。その中にも隠されているものは少なくはない。
でも、自分の意志で、なにかを始めることを止めてはいけない。
そうやって、50年の人生を越した頃からやっと自分の「鉱脈」を探し始めたところだ。
そしてその「鉱脈」とは、
ほとんどが10代の頃にしたかったのに十分できないことだった。
なんだよ、単純な人生だな。
 
好きなことをでも一生懸命やったらいいと言われて、
10代の自分はできただろうか?
あほみたいに取り組めるのは、やっぱり、腹が座ったここ何年かだからできるんだろう。
そうやって、音楽や、絵を描くことに、向き合っている。
 
昔小説を書くことに向かい合ってたときも、
今から思えば、むちゃくちゃ自覚的ではなかった気さえする。
だって、その頃は医者になるという一大命題があったからね。
 
ところで、アインシュタインはviolinうまかったんだろうか?
死んだ親父は、下手だったけど、チェロをplayすることを生涯愛し続けた。
ピアノの先生を呼んで、自宅で手合わせしてもらってた。
ブラームスを愛し、たしか彼が出てくる本も書いてたなあ。
先代の泌尿器科のT先生も、女と酒とチェロを愛していたという。
脳出血やら梗塞を繰り返し、チェロも弾けなくなった先生は、悔しかったろうなあ。
でも彼もきっと彼の人生を手中にできたんだとおれは信じているよ。
 
おれもおれで、こうやって毎日おれの本を書き続けていこうと思ったんだよ。
命が尽きるその日まで、ちゃんとまっとうできたら嬉しいね。
 
「ビルロートの生涯」
 

ビルロートの生涯

 

#448 Maybe

 
肥大する自我。
欲望はとめどなく、
あるいは泉のように湧き出るのか、
あるいは下痢便のように滴るのみか。
 
良くも悪くも、正義も悪もない。
ただ混沌あるのみ。
 
誰もとめるものなどいない。
口を開けたら貪り喰らい、ブヒブヒと鼻を鳴らして飲んで、酔って濁った眼で他人を見下す。
おれの場所もお前の場所もとっくにないのに、まだ居座っている。
いや、目があいたまま気絶してるだけのことか。
 
足るを知れ。
足らぬを悔いるな。
おのれの寸法を把握せよ。
 
小人が巨人の服を着て歩いている。
あの娘は一生懸命つま先立ちで未来を見ようとしたよ。
でもあの娘はそのままの姿勢で、天に登ってったよ。
誰も彼女をとめることはできなかった。
 
それなのに、
中身のない陰茎に、血液以外のなにを入れて、
お前は欲望以外のなにをこの期に及んで膨らませようとしている。
 
自分のメロディを歌えよ。
はずれても稚拙でもいい。
自分のメロディしか、血にも肉にもかわってくれないんだから
 
等価交換で十分だ。
あの錬金術師も言ってたろ。
何かを失わないと何かを得ることはできないんだって。
誰も右の手を落として差し出せなんて言ってはないよ。
お前は鉛で金を釣ろうとしているんだよ。
 
鯛釣り船に帆かけてシュララララ
泥の船は溶けかけて
たぬきの背中は行灯の油で燃えている
 
足るを知れ。
足らぬを悔いるな。
おのれの寸法を把握せよ。
 
きみと風になれたら
きみと水滴になれたら
きみと宇宙(そら)になれたら
 
そんな夢を見たんだ。

#447 「豚」を思い出した。

紅の豚(イタリア語版) Porco Rosso

 
最近何をやってもマンネリというか、完全燃焼できていないような気がする。
 
その場その場では一生懸命やってるつもりなんだけど、きっとツメが甘いんだろうな。
バイオリンも随所随所で音を外してしまう。
絵を描いても、自分の理想の線と数ミリずれた感じが拭えないんだ。
どうしてだろう。それは基礎能力がないからに決まってるだろうって思うんだけど、やっぱイライラする。
アニメ「ピアノの森」に出てくるイチノセカイは、天才だから自分の思うようにピアノを弾けるんだけど、
あれはアニメだし仕方ねぇなと思いながらも、自分の思い通りにいろんなことがいかなくって地団駄を踏む。
まあ思い通りにいかないのが人生だからねえ、と、大人みたいにつぶやいてみる。
 
歳とったからってみんなが大人になれるわけじゃないんだぜ、
どこかでハモニカ加えたディランが笑いながら話しかけてくる。
 
夏を謳歌して落ちてゆくセミのように、
人生の「青春期」はとっくに終わりかけているのだから、
今のうちに叫べるだけ叫ぶ、歌えるだけ歌う、弾けるだけ弾いておかなければ取り返しがつかないのだという思いで、
色んな所に顔を出しているけど、
所詮インプットがないのにアウトプットばっかりしているから痩せほそっていくだけなのだ。
なのに体はアルコールと脂肪にまみれてるいるというお粗末さだ^^;
 
飛ばねえ豚はただの豚だ。
ポルコはそう言った。
 
でも、飛べない豚でもいいじゃないか、
飛ぼうとしなかった豚よりは、
走ろうともしなかった人間よりはちっとはましだぜ。
 

 

時には昔の話を

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#446 It’s yesterday once more・・

 
日々に飲み込まれそうになる。
日々の雑事というか、日常は何でこんなに忙しいんだろう。
いつもあっという間に一日が終わってしまい、目の前に積み上げられたものが減ることはない。
いつからこうなった 
いつからこうなった?
 
開業してもうそろそろまる20年がやってこようとしており、
カルテの患者番号が3万台になったという話を昨日聞いた。
地域医療だとか偉そうなことを言うつもりはさらさらないけど、
こうやって目の前を3万人の患者さんが、うちの病院を選んで来てくださったということは、これは本当になににもかえがたい財産だと思う。
開業したての時はまだひよっこだったやつが、結婚して子供を作り家を建て、その子が大学に進学したなんていう話もあったりして、これはこれで恐ろしいことだけど素晴らしいことでもある。
そうやっておいらもいつのまにか年老いてしまった。
でも年老いていく事は決して悪いことばかりでもない。
 
何が言いたいのかと言うと、
坂本龍一さんが以前、「人生の大切な事は20歳までにほとんど決まる」みたいなことを言われていたけど、本当にその通りだと思うんだ。
音楽といろいろ接していて思うんだけど、新しいフレーバーは身に付くけど、本質は何も変わってないんだってこと。
 
今更ではあるけど、甲斐よしひろという人がいて、
彼がやっていた「甲斐バンド」は自分がティーンエイジャーの時から20代前半にかけては多大な影響を及ぼしたものだが、
彼が、どうして甲斐バンドの曲しかやらないのか、なぜオリジナルの楽曲を出さないのか?
・・などと非難されながらも決してエクスキューズしないのには、
ちゃんとした理由があるということが最近わかったような気になってきたのだった(いえ、勝手に思うことなんですけどね)。
 
甲斐さんが好きなものはやはりずっと変わらないのだと思う。
だから自分が宝のようにしている楽曲たちを、フレーバーを変えて自分の好きなように提示したいのだと思う。
年に一回、アコースティック編成で、自分の楽曲をリアレンジして披露するツアーがあって、そのリハの映像を見てて思ったのでした。
甲斐よしひろ  Billboard LIVE & Blue Note 2018  EAST with WEST」
甲斐さんにとって、それが一番楽しいんだからね。
そしてそれがきっと音楽を愛するということなんだろう。
 
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自分の人生はおうおうにして酒の席でいろんなことを進んでいくことが多く、これがいい面でもあり弱点でもあったりするんだけど、
今度はたまたまトランペットの相棒のOくんと英語の堪能なキュート女将のMさんとで、カーペンターズの「yesterday once more」をみんなでプレイしようという話になったんだよね。
(^^)あのカーペンターズの有名なイエスタデイワンスモアだよ!
やると言ったのはいいけど、
いざサックスで吹こうとするとフラットが5つ位のとんでもない楽譜になってしまって、今、呻吟(あはは、singin'じゃなくって呻吟だって^^;)しているところ。
でもこれも一期一会だから、何とか3人で楽しめる形に持っていきたいと考えているんだよね。
 
そう思ってカーペンターズの昔の曲を聴いてると、泣ける泣ける泣ける泣ける。
このメロディも聴いたことある、このメロディもどこかで流れてた。
そんな感じで自分のリアルタイムの人生の傍らにカーペンターズは組み込まれていたのだ。
yesterday once more・・
ほんとまるで昨日のことのようだって・・ほんとにそう思えるんだ。すべてのいろんなメモリーがね。
実際もその歌を歌ってた頃のカレン・カーペンターズはまだまだ若かったのにね。
彼らは、若いからこそ人生の深淵がのぞけたのかもしれないね。
ほんと、そうやって好きなことなんてそうそう変わりはしないんだよね。
そんな爽やかなカレンが拒食症に苦しみ、たったの32歳であの世に行っちまうなんて、
「once more」が流れていた頃の誰に想像できたっていうんだ?
 
今日はそれでいいのかなって話です。
昔好きだったものを愛して、またplayするのは決して後退ではないってことですかね。
それじゃいかんて、バタバタして今までの自分に抵抗する時だってあるんだけどね。

#445 今日は医師会と泌尿器科学会のeラーニング3つ聴いた。疲れた。

本文とは全く関係ない昨日の燻製写真とピータン^^
 
処方料・処方せん料算定に伴う「不安または不眠に係る研修会」開催という FAX が医師会から送られてくる。
 
これを受けないと、
「不安もしくは不眠の症状を有する患者に対して1年以上継続して別に厚生労働大臣が定める薬剤の投薬は、当該症状を有する患者に対する診療を行うにつき十分な経験を有する医師が行う場合又は精神科の医師の助言を得ている場合その他これに準ずる場合を除き、処方料、処方せん料が減額されることになりました」
ということで、減額になるのかよー、てなことでしょうかねえ。
それで、いろいろ疑問に思って調べると、
日本医師会の E ラーニングでも可能と書かれているし、
 
Q
①座学による研修会等へは出席せず、e-ラーニングのみの受講によって要件を満 たすと考えてよいか。
②過去(平成 30 年 4 月 1 日以前)に受講した実績をもって要件を満たすか。 
③受講証明書のようなものは必要か。 
 
A 
①そのとおり。 
②満たす。 
③原則として不要だが、座学の研修会であれば受講証明書、e-ラーニングであれば 受講履歴等で受講を確認できることが望ましい。

 

なので、今日は外来業務がないので、1時間以上かけて2講座のビデオを拝聴して、アセスメント問題にも答えて、やっと2単位を取得する。
なかなか世知辛い世の中だね。
でも不眠症とか入眠障害のちょっとしたことはわかったので、こういう勉強もたまにはいいかもです。
 
実は、泌尿器科の方の機構認定の専門医でも、eラーニングというのも得点の取得において可能となってるけど、
eラーニングは全体の点数の30%までしか認めないとかややこしいことが書かれている。
どうしたもんか困ったもんである。
まあわれわれロートルはお情けで専門医更新させてやるけど(3回以上更新の専門医には診療実績の提出は免除されていて自分もそれに該当するのだった)、
それはまあ威力があるもんでもなんでもないとゆー事をわかっとけやーワレェ(懐かしき谷岡ヤスジ)ってなかんじなんでしょうねえ。
でも、頑張って受講してみました。
「卒03 感染症に対する苦手意識をなくそう」
こちらは8割以上の得点で合格となっとりました。
 
みんながみんな(今の若い先生、卒後2年目の医師、93.2%が新専門医制度へ、だって)最先端を行く専門医になってゆく世の中は果たして正しいのか?
でも医療の技術進歩も著しいし、最先端を走る医者は、最低限専門医であることは必須だし、
広く浅くの開業医であるロートルな自分は、専門医制度認定ありきのための専門医制度(大病院に若手が偏在するとか)にだけはならんことを祈るのみである。

#444 人生はきっと「永い言い訳」(2016)

永い言い訳

 

映画館に行ったのは先日の「坂道のアポロン」が何年かぶりだった。
この映画も、行きたいと思っていたのに結局知らない間に終わっていた。
 
西川美和監督の「永い言い訳」(2016)。
もっくんが主演の映画だ。
 
「長い」言い訳なら終わりもあるだろう。
でも永遠の永を使われた「永い」言い訳には多分終わりがないのだろう。
 
そしてそれはきっと生きているがゆえのことで、
ついでにいうなら死んでも多分何も変わらないのだろうとさえ思う。
だったらせめても永い言い訳を続けるしかないのだ。
 
時間が変われば関係性も変わる、それも真実だ。
でも、それなら愛なんて求めないほうがいいのか?
 
映画の最後の方でもっくんは「人生は他者だ」とメモ書きに書いた。
片岡義男さんも小説の中で「自分の鉱脈みたいなものはなく、関係性の中でしか成立しない」みたいなことを書かれていた。
なんとなくわかった気もするし、わからないままの部分もある。
 
言い訳と単語で書くと、悪いイメージばかりが先行しそうだが、
今日も明日も自分に言い訳をして、言い訳をしている自分も周りもそれで納得がいくのなら、それはそれで全然ありかもしれない。
 
きっとおれは死んでも醜く言い訳するだろうけど、「負のスパイラル」のための言い訳だけはやめとこうよね。
 
それにしても、だよ。
愚かしく、まったく愚かしき人間存在として半世紀以上生きてきた言い訳だらけの自分を、
突き落とすわけでもなく救ってくれるわけでもなく、
だから西川美和監督は見過ごせないのだ。

#443 うちごはん燻製編 しんすけsきっちん

 
今日は、いろんなトラブルやら入院やら救急搬送やら臨時透析とかで、終わる予定の仕事が今も終わっていない。
疲れた。
最近疲れに至るまでの時間が早くなった。
もうこれ以上頭が動こうとしないのだ。
それでも絞り出さなければいけない仕事は絞り出してでもしなくてはならない。
 
ま、そんな感じ。
 
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さて、昨日の料理を。
 
staub鍋の数が増えたので、余った鍋を燻製用にまわした。
 
先日天神橋(大阪)の路上で(店は満席で外の席ならOKと言われて是非にと言ったのでした)、燻製専門の店でいろいろいただいてから、また燻製熱がちょっとぶり返したのだった。
 

 
→けむパー
 
実はtaubでも燻製いけると本には書いてあるんだけど、やっぱり鍋の手入れとかスモークの匂いがつくこと考えて思案していたのだ。
ちょっと違うけど、セラミック製の鍋というのをこの用途に充てることとする。
 
まあ本格的なものではなく、室内での燻製なので、だいそれたものはできない。もともとそんな気もない。
燻製ってね、いくら気をつけても何回もやってると、鍋の底がやっぱり焦げてくるんだもんなあ。
もちろんアルミホイル敷いてその上にチップ並べてますけどねえ。
昨日調べてたら、鉄の皿しいて、その上にチップというのがあったので、次回はそれを試そうかなどと。
そうか、普通のアルミ皿で使い捨てのほうがいいかも!
 
ホタテ、チーズ、うずら卵、ちくわ、と、ビギナー編終えて、
男のあこがれ(ほんまか?)の塩鯖じっくりスモークも満足。
いよいよ塩と砂糖コーティングして一晩眠らせてた胸肉にトライするが、
分厚すぎて、食事時間に中心部までのスモークが間に合わず、
思いつきで表面が燻製された状態でグリルで焼いていただくと、これがいい感じだった。
まあ誰にも文句言われないので、この手法もありかなと。
 
ベーコンとか(こちらのほうが男の憧れかなあ・・)も書いてあるけど、
これも前述の手法で、表面をチップでコーティングしてから、ジュージューに焼くのもありだなあと、閃いたのでした。
 
やっぱり、かける時間は十分じゃなくっても料理は面白い。