#64 母は66歳で死んだ。
とある事情があって、役場に除籍謄本を取りにゆく。
死んだ母親のものだ。
さすがに親の代のものは、漢字で書かれている。アナログデータのままだ。
ちなみに、ついでに取った自分のものは、全部デジタルデータだ。
アナログデータのほうが少し高いお値段だったのがまた妙に笑えたりする。
そんなところにも時の流れを感じる。
でも、アナログのほうがちょっと羨ましいのは、おれたちの世代くらいまでだろうか?
彼女は、膵臓癌が見つかって、それからたったの半年弱でこの世を去った。
手術をトライしたのだけど、腹腔内転移で、陰ope(開けただけで何もせず閉じること)だった。
リザーバー埋め込んだけど、なんの役にもたたんかったよね、そりゃそうだ。
その年の2月、自分は開業して、もうめまぐるしい日々で、そんな日々の中、開業から1Mあまりで彼女は死んだ。
除籍謄本を見ていて気づいたのだが、彼女の享年は66歳だ。
生きていれば、この1月で81歳だ。
どんなばあちゃんになってたんだろうね?
人は老いる、物は壊れる。
ものは新しいものに変えて、断捨離なんて名目で過去をほおむりさることだってできる。
でも、人間のパーツやらオツムやらはなかなか代替できない。
すり減ってゆくものはそれはそれで愛おしいが、切なくもある。
自分がこの稼業をリタイヤするのは65歳と一応決めてるんだけど、なんとそれは母親の死んだ歳とほぼ一緒だという事実に驚愕する。
そう考えると、そりゃおふくろ死んだのちょっと早すぎるよな。
焦っちゃうよね。
それは自分の場合、
自分の「生」を全うしてるかということに関する焦りであり、
お前は、十分に、十二分に、日々を、悔いなく生きているのかという焦りであり、
つまりはそういうことになるわけだ。