だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#279 再び浜田省吾さんの歌たち

浜田省吾さんがコンサートツアーで「19のままさ」を歌っていた。
「My First Love」ツアーの映像だからかなり前だ。
 
自分は岡山の田舎で高校生まで暮らしていた。自転車を延々と漕いで、遠い高校まで通っていた。雨の日も風の日も、時に雪の日もだ。信じられるか?今では到底信じられない。
あの頃自分の唯一の世界が「芳泉高校」という田舎の高校だったんだろうね。
まがりなりにも彼女がいた。下級生で天文学部の女の子だった。
ほんとに彼女だったのかな?自分が舞い上がってただけなのかもしれないじゃないか。
好きになった女の子たちもいたな。どうしてるんだろうね。彼女たち。
そこから予備校生に突入し、京都の駿台予備校で2年を費やした。
 
浜田省吾さんの「My Home Town」とか「J.Boy」は実はもうちょっとあとなんだけど、こういったアルバムの楽曲を聴くと、高校から浪人時代のことが走馬灯のように思い出される。
ああ、前も書いたけど、甲斐よしひろさんの「安奈」は、京都の冬のしんしんと寒い昼間も陽の当たらない監獄みたいな予備校の部屋とか、薄暗い裏通りとかを想起させたりもする。
暗かったよなあ。
予備校の同級生が、電柱にかけられていた「枝雀」のポスターに火をつけて捕まった。
枝雀師匠のアホ面(失礼な表現ですみません)みてたらむちゃくちゃ腹がたったんだそうだ。
2年目の下鴨寮では、鴨川の河原で大学生のアベックが暴行(どつかれたとかそんな感じだったんだと思う)されたとかで、さっそく我が寮に警察が調べにやってきた。
ストレス溜まってる得体の知れん浪人共だからね、おれたちは。
きっと警官を見返すオレたちの目は、なにもみてなかったんだろうね。あの頃のおれは多分虚無の中にいたと思う。
これも今思い返すとちゃんちゃらおかしいね。
饒舌になりすぎたね。
20前後は、いろんなことが一番変わった時期だからなのかもしれない。
結局は親の比護受けてるくせに、自分一人で羽ばたいた気分になっちゃったりして、彼女とかちょっとできると一端のおとなになった気分もしたりして。
莫迦だね。
でも当時は、その周辺のことに本気だったんだよね。自分の生きる理由といるべき場所がどこにもないんだって、焦り絶望しながらも模索していたんだ。
 
浜田省吾さんの曲は優しい。あの頃、青春の頃を甘酸っぱく思い出させてくれる。
一緒に口ずさみたくなる。
19の頃のきらめきや輝き、なんて素敵なんだろう。
 
でも、こう彼は続けるのだ。
 
♪いつまでも忘れない
今でも目をこうして閉じれば19のままさ
でも僕らもう二度とあの日のきらめき 
この腕に取り戻せない・・と。
 
そうなんだよね。いくらきらめいていても、それをいまこうやって見たりしている自分はもう二度とその場に行って彼女の頬や髪に触れることはかなわないんだよね。
そして、自分がそうであるように、その彼女が今自分の隣りにいる伴侶だとしても、19の時の彼女では決してないんだよね。
彼女にとっておれがあの時のおれではもはや無いように。
でも、失ったものがあれば、得るものだってあるはずだ。
伊達に歳をとって、身を切るような別れや裏切りを、何度も何度もいたづらに経験してきたわけじゃない。
 
そんな時、もう一つの歌が、心のなかで繰り返されたんだ。
 
♪「遠くへ」
 
振り向くと 遠くにあの娘の眼差し
笑っているのか泣き出しそうなのか
違う 違う こんな風に僕は
打ちのめされる為に 生きてきた訳じゃない
 
遠くへ
遠くへと願った日々
真直ぐに見ておくれ
僕は泣いてる 君のために
 
“星がひとつ空から降りて来て
あなたの道を照らすのよ”と
話してくれた きっとそうだね
いつまでたっても 石ころじゃないさ
 
遠くへ
遠くへと願った日々
真直ぐに見ておくれ
僕は泣いてる 君のために
 
19のままさ (1991)

19のままさ (1991)

  • 浜田 省吾
  • ロック
  • ¥250

 

遠くへ - 1973年・春・20才

遠くへ - 1973年・春・20才

 

 


19のままさ 浜田省吾~ON THA ROAD 2005