だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#550 懐かしい人と会うと、タイムマシンに乗ったみたいに過去がどんどん湧いてくるというびっくりを体感する。

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ななこSOSであります、吾妻先生。このタイトルお借りしてもう何枚か描きました。
昨日は中外製薬の勉強会に行った。糖尿病性腎不全の病診連携の話だ。
寒いせいかいつもより参加人数は少なかった(らしい)。
懇親会の席でなんとなくワイングラスを片手にボーッと立ってあたりを見回すと、懐かしい顔に出会った。
大学に在籍していた時に担当していたNくんじゃないか!
Nさんはもともと合併で中外製薬になったけど、確か所長になって神戸に行ったんだけどなぁ。
 
2年前、神戸の透析学会最終日、昼から、これまたたまたま行った動物王国の駅で彼に会った時もびっくりした。
なんでも停電騒ぎがあったので、セミナーの案内で駅でプラカード持って立ってたんだって。
おたがいみつめあって、しばらくの沈黙の後、ああ、と、声をかけたのだった。
お互い顔覚えていたことに感激したよなあ。
その彼が「なんで松山に帰ってきてるの?」
「55歳で役職定年なるわけで、それからはシニア社員と言う待遇で65まではいさせてくれるらしい」だって。
 
きっと給料も下がるんだろうなぁ。なかなかシビアな世界だなあ。やっぱりシニア社員になると問題はモチベーションよなあ。そのモチベーションが下がった分を補うっていうのかな、それは一体なんだろうとか思うに、残りの(大げさかな?)人生を豊かにすることとかで補っていくぐらいしか思い付かないよなあ。そういう面で言うと、定年がない俺たちはある種羨ましがられる存在なのかもしれないねえ。エラそうなこと言ってるなあ、オレ。人の心配するくらいなら自分の心配しろよ。以上心の声でした。
 
そんでもってNさんとずっと懇親会の間話してた。
NANAKOゃんも隣にいたけど、若い世代の彼女にも昔の懐かしい話を聴いてもらったりした。
あのときはまだふたりとも30ちょいくらいだったのかもねえ。
あの頃は、いや、でもそうやって昔を振り返るような会話に花咲くような歳になったんだね、おれたち。
全く好ましくない展開だねえ、とか言いながら、ふたりともニヤニヤなんだよねえ。
「もう大学時代、辛かった、ひどかった、悲しかった、でも楽しかった・・かなあ」
「君も昔は結構人でなしの男だったよねえ」
話は続くのでした。
 
帰宅して、
この興奮を放出しようと、
ベッドサイドに焼酎置いて、読書用のスタンドの光の下、apple pencilと妄想のみで描いた何枚目かの「Nanako S.O.S」であります。