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だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#228 DNAR(do not attempt resuscitation)

小説新潮 2015年 06月号 [雑誌]

徒然に。

 

医師会で、何故か「小説新潮」2015年6月号をもらった。

なぜかというと「医療小説事始」という特集が組まれており、そんなカラミでこの田舎の医師会にも数冊送られてきたんだそうな。

表紙はあのBJ先生である。これあんまり良くないよなあ。この時期だと、肝臓の腹腔鏡手術とか、神戸の生体肝移植とか、あのへんの新聞記事が脳裏をよぎるよなあ、昨今は。医療も刑事事件対象になったりとかで、ほんと同業の皆さんは枕を高くして寝れる夜なんて果たしてあるんだろうかと思うよ。

そんな中で、やっぱり医療小説は、医者から見ると「作られた」感が多すぎて、あんまり感情移入ができかねたというのが正直な感想。青春モノとかを絡めたものが唯一感情移入できたものだった。「木曜日の憂鬱/藤岡陽子」。

それにしても、我々が日頃行っている日常診療にドラマなんてあるんだろうか、って思う。すべてがドラマのようでもありすべてが些細な日常であるような気もする。ただ、脳みその片隅から消えていかないような事象ばかりが蓄積されていくのは事実だ。だから、若者メインの医療ドラマなんてもううんざりだし(見てないのに断言しちゃうとこがもうすでにoutなんだけど)、ただでさえ夢の中で患者さんのドラマが再生されるのに、それをまた画面でなぞるのはまっぴらだよなぁと、自分なんぞは思ってしまうのだ。

 

でもBJ先生は特別で自分の中からはやっぱり切り離すことはできない。

彼の言う通り、おれだって、それでも目の前に苦しんでいる人がいたら、たとえそれが殺人者でも親のカタキでも治療するだろうしね。

 

医療の形態やら選択は多様になりすぎて、自分のやっているこの行為が果たして100%正しいのか自信を持てぬまま、それでも瞬時に判断を下して、次に進んでいる。

終活」という言葉も最近では盛んで、きっと一般の人も耳に馴染んできたことだろうけど、自分の死生観をもてないままでもいいから(自分もそうだから)、形として提出してゆくことはこれからの高齢化社会ではもっともっと大事になってくると思う。延命措置は、遺産は、墓は、葬式は、戒名は、とか、それだけれも十分な「意思表示」なんじゃないのか?

 

そういう意味ではDNAR(do not attempt resuscitation)(蘇生は試みない)っていうのも立派な医療ではないのだろうか?