だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#489 54歳からのピアノ(もう58じゃん!) その11 遅々として。

写真は奈良の修二会。2019/03/02
 
姜尚中さんの朝日新聞記事の連載にこんなことが書いてあった。
 
「人は喰らうところのものである」
彼の死んだ母親は、
人間を歩く歩道に見立てて、
偉い人もそうでない人も、裕福な人も貧しい人も、みんな口から入れて尻から出さないと、生きていけない、と言ったのだと。
 
なるほど人間はそんな単純な存在でしかない。
そんな営みを粛々と続けてしかいないのだ。
たかだか伸びても100年位の生の中でね。
なにも変わらない、なにも変えられない。
それでいいんじゃないの、とか、力の抜けたときに思うことも、自分だってある。
 
でも、人生ってなんだろう、こんなもんかよ、いやいやこんなもんじゃねえだろ、と、逆に沸騰しそうになる時だってある。
 
また寺山修司は、「人間は血のつまった袋である」という格言に言及していた。
多分中学生位だった自分はその言葉に驚いた。
今は血のつまった袋というような単純な概念では言えないのかなと思ったりするけどでも、それにしても言い得て妙だよね。
 
血の詰まったサンドバッグがただぶら下がって、幻影のボクサーに打たれ続けてく、そんなイメージだ。
そして、いつか破れて、砂が一瞬にして流れだしてお陀仏。
 
とにかく、人間存在なんて、そんな単純な存在としての総体でしかないのだろう。
手足や脳みそがくっついてて、いろんな無駄かもしれないことをやっているだけのことなのだ。
 
でも、無駄なことっていうのが生きてるってことでもあったりして、
そういった矛盾を抱えて生きていくことに意味を見い出したりすることもあるんだろうけど、
それでもそれらはやっぱり塵や芥にしか過ぎない・・こともちゃんと自分は知っている。
 
でもそれがほんとに「足りるを知る」と言うことなのかどうかはまだわからない。
 
ピアノの先生に
「やったぶんしか実にならない」と言われて、
全くシンプルだけどその通りと思いました。
 
自分はいろんな楽器をやってるけど、
昨日久々にサックスを吹いて、
あまりの下手さぶりにショックを受けて落ち込んでみたりしてもいるわけで
欲張りかもしれないけど、
どれもちょっとずつでも進歩していきたいものだと思っとるわけです。
 
「喰らうところの袋」だったり「血の詰まった袋」だったり、所詮それだけだとしてもね。
 
5月に、エミフルホールである島村楽器の発表会、久々にピアノでもエントリーする予定です。
ピアノは一人で演奏を始めて一人で終わるので、もっとも苦手で、さらに、ハンディキャップ150くらいの楽器ですけど、なんとかやりたいと思いますよ。
 
ゆっくりでもがんばります。
「Fly me to the moon」!