死ぬまでにみんとイカン映画があるとしたらこれもそのうちの1本でしょう!
昨日の夜、「異人たちとの夏」、久々に見ましたよ。
風間杜夫扮する中年の脚本家(離婚している)は、いろいろあって、
12歳まで育った浅草の演芸場に足を向け、そこで見たような男に出会って、そのまま家に連れてゆかれる。
その男は、交通事故で死んだはずの父親(片岡鶴太郎)だった。
家にいけば、当然母親(秋吉久美子)もいるわけで、二人は、当然今の自分よりも若いわけで・・
その二人と濃密な時間を過ごしていけばいくほど、自分の生気はなくなってゆき・・
そこに、マンションで知り合った謎の美女K(名取裕子)が絡んで・・というstoryですが・・。
江戸っ子で、気が短く飽きっぽく、それでいてきっぷが良く腕の良い寿司職人で、と、鶴太郎うますぎ!
その隣に、なんていうのかなインテリジェンスというんじゃないけど、夫のそばに自然にいる妻であり少し茶目っ気ある女としての秋吉久美子さんがいるんですよね。
これはちょっとコトバでは言えませんけど、実にその空気感というか存在がええんですわ。ええわ~。
関係ないかもしれないけど、
最近になって、「忌野清志郎」さんの数年前のノートが発掘されたとかで、
「ネズミに捧ぐ詩」という本になって出版されたそうです。
その中には、清志郎が小さい時に亡くなられたお母さんのことが、エッセイやら詩や小説の形で綴られているとかだそうです。
たしかに「お母さん」は偉大です。
いつの時代も。
いや、親がないと自分という存在はないわけで、親になってはじめてわかることもあるわけで、
でもまあ順番なんですけどね。
だから親のことをありがたいなと思ったらその時に、その子供である自分とか、自分にもし子供がいるなら自分の子供に対して、
有意識下にも無意識下にも、学んだこと共を引き継いだんでも、決して手遅れじゃないんではないかと思うわけですよ。
自分の母親も、60代で膵臓癌で亡くなったわけですが、
まあ、今でも、なんて言うのかな、おれは今でも、ちゃんとお母さんのパーツのここを、もしかしたらここも引き継いだのかもしれんね、この仕草おふくろもしてたよなあ、って思うことありますもんね。
死んでいる「異人たち」としての両親に、
子供である風間杜夫が、「こんばんはおれが子供の時してもらったようにみんなですき焼きを食べようよ」と、
3人で浅草の古き良き町並みを歩き、
すきやき鍋を囲みながら、鶴太郎と秋吉久美子さんがfadeoutしてゆくシーンは涙無くしては見られませんね。
今度娘に会いに、東京行ったら、浅草の「今半」でみんなですき焼き喰おうかな^^