#99「死ぬ気まんまん」これが佐野洋子さんの最後のエッセイなんかな?
佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」(光文社文庫)
彼女は乳がんで亡くなられたんですけど、
死ぬ数年前の69歳辺りの数年を綴られた「役にたたない日々」( この本は4年位前に書評で見て買っていたのですけど、 先日の東京ツアーでやっと行きの飛行機の中で読み始めることがで きました。)をやっと読み始めたわけです。
それからずっと隙を見ては読んで、 なんだか時折目を上げて「はあ」とため息を付いて、 またしばらくして本に目を戻すというような行為を繰り返しており ました。
彼女のナマの生が詰まったこのエッセイはハードでありましたので 。
家人が所有していた、「100万回生きたねこ」を読んで、
そしてkindleで「死ぬ気まんまん」 という多分最後のエッセイをダウンロードして読んだわけです。
かくいう自分も神も仏も信じていないのですし、 あの世もないと思っています。
だからこんな婆様が生きてくれていて嬉しかったですよ(もういないし、実際隣にいたら凹むかもしれませんけどね^^;)
いささか長い引用ですが・・・
「今、検査の結果出ただよ。駄目だった」
駄目ってどーいうことなのか。「あと四ヵ月だって」私は何と言っていいのかわからなかった。「私のために、先生四回もザを開いてくれたのに。先生は救われるって言ってくれたのに。 やっぱ仏様にも救えないものあるだよね。 運命ってものがあるんだよね」 彼女の顔が私の五十センチくらいの近さにあった。彼女はうちのお風呂から出てきた時と同じ静かな表情をしていた。私はその時頭のうしろからすっと何かが入ってきたようにわかった。
「わかった、あなた、もう救われていたんだよ。仏様が救ったのは、体じゃなかったんだよ。 魂が救われていたんだよ。だから、あなたは、 苦しんだり不安じゃなかったんだよ。普通にしていられたんだよ」 神も仏も信じていない私が言っていた。
彼女は私のベッドの上のあかりのほうを見ていた。彼女は丸い黒い瞳をしていた。 「あーそうか」彼女が言った。その時、その黒い瞳が、さーっと茶色に透明になっていった。そして彼女は一瞬にして白というか銀色というか光り出したのだ。 私はぶったまげた。 そしてその透明な茶色い瞳いっぱいにあふれるように水が盛り上がってきた。 光は消えた。瞳がだんだん黒くなっていった。「あーそうか」もう一度彼女が言った。「やー今、すごく嬉しかった。そーだね、そーだったんだ。ありがとう。言ってくれなかったら私わかんなかった」
光の余韻の残った卵形のほほを涙が流れていった。光は彼女のところだけにやってきた。その時、私はもう一つのことがわかった。神も仏も私のところにはやってこない。 しかし私は神だか仏だかの法悦を受けた人を見た。生まれて初めて、そして最後だろうと思った。 「やっぱり、仏様は、佐野さんに引き会わせてくれただよ。言われなかったらわかんなかった」
私はちかって言うが、神も仏も信じたことはない。今も信じていない。 しかし神だか仏は彼女のところにだけやってきた。それを見た。
で、私見に戻るわけですけど、医療というのはやはり医療で、 患者さんを診るときも、医者は病気を持ったbodyとしてまずは患者さんと対峙する わけで、 それに対してホスピスとか介護施設とというのはやはり生活に寄り 添っているものなので、患者さんが生きて行く場所すなわち「 生活の場」に住んでいる間借り人として接するわけで、 まあどちらの場所においても患者さんの尊厳を維持し続けるのは決 して容易ではありませんが、 それを維持していこうと病院でも介護施設でもかなり力を入れてい ることと思いますけど、 病院と介護施設ではお互いに相入れ難い壁のようなものがやはりあ るのだなぁと、 彼女のホステス滞在記録を読んでいて痛感しました。
あの世はこの世の想像物だと思う。
だから、あの世はこの世にあるのだ。
佐野さんのこの言葉はまさに自分にとっても金言でありました。
佐野さん、もっと早く知り合えたらよかったかもしれませんけど、それでも遅すぎることなんてこれっぽっちもないですからね、安心してください。