#241 京都の旅 その3 2015/08/08-9
魔王殿からはどんどん下ってく一方。
下ってく感じからするとかなり登ってたんだなあという実感。
でも下からサンダルとか軽装で登ってくるカップルとかも結構いる。
だいぶ下って、休んでる時に、女の方二人組に聞いてみる。「いやあ、なんとなく登ってきただけなんですよ」だって。
果てしない道のりであることを説明して、自分がネットから落としてきた地図を「これを頼りに巡ってください」と手渡す。アデュオス、アミーゴ。あなたの歩いた跡にしか道はできないんだからね。
貴船神社の参拝はみんな列なして並んでるよ。
わからんままに素直に列に並ぶ一般日本人的な我々。参拝して水に透かすと文字が浮かんでくるという水占いのおみくじを。小吉であります。学問危うしとか書いてあるし。病気は治り際が大切で節制せよって、この首ホンマに治るんかいなあ。
(2015年8月20日現在、50%回復程度です。)
紫式部も訪れたという奥の神社まで登ってゆくのだが、その狭い道の左側に旅館やら料亭がひしめいて、クルマは離合できるギリギリの道をゆっくり進んで、道の右手が清流の流れで、そこに板敷きのスペースが作られて、板の間の上で料亭料理を楽しむというのが「川床(かわどこ)」なるものだ。もちろんむしろで囲われていて、日光も遮られており、そこだけがパラダイスの感じ。
後でわかったんだけど、川床というのは平安貴族の楽しみであったわけではなく、もともとここは鯖街道と行って福井からのシメ鯖を京都に運ぶ道で、その商人たちが川に足をつけて休んだ場所で、そこで茶屋を営んでたおやじが川床を思いついたんだとか。ホントか嘘か知りませんが、我々がおじゃました貴船ふじやの番頭さんが帰りがけに教えてくれましたんで。
京都に単身赴任してる友達がFacebookにたまたま川床アップしてて、それもあっての鞍馬ゆきになったんだけど、彼のコトバのとおり、日曜で夏休みなので混むことが予想され、ネットで事前に予約しておいた。
でも、もう一番高い分しか空いてなくって、出かける二日前になんとか予約成立。
その貴船ふじやの前で、前述の番頭さんに、「お願いできますか」、と言うと、愛想もクソもなく「満席です」だって。予約してるんですよと言って、ようやく表情を解いていただき、待たせていただく。
で、念願の川床になるわけですが、
安そうなところは席の間がギュウギュウなのに、ここは隣の席との間がえらいゆったり。だから満席と行っても中は非常にゆったりした感じ。鴨川の流れに足をつけるとひんやりどころか超冷たい。
ここまで耐えに耐えて飲んだビールの旨いこと(でも一杯目だけが感動で二杯目からは普通じゃんとか思ってしまう中年男のまあ愛想のないこと)。
ゆったりと会席料理と日本酒(日本酒はなかなかのお値段でありました)をいただきながら、2時間を過ごさせていただいたので、値段も妥当かなあと帰る頃には思えてきましたよ。トリックみたいだな。まあそれも鞍馬の山越えという偉業を成し遂げたんでよしとしましょう。我々は観光に来てるんだしね、天狗と修行するわけでもないんだしね。
貴船ふじやのクルマで貴船口駅まで送ってもらって、例の叡山電鉄で京都の街むけて。
祇園四条についたらもう16時半を廻ってる。
もう酔っ払ってるし、大阪まで帰って飛行機に乗らなあかんし、神社系は17時で閉まるしで、最後の砦の若冲ゆかりの錦市場に行くことに。伊藤若冲さんは、隠遁するまではここで一応は商人をされていたんだそうな。そんなわけで、狭い市場から垂れ下がってる幕は若冲の絵だったりする。
うーん、市場って面白いねえ。でも外人が半分くらいかな。目当ての「有次」さんを見つけ、包丁を2本とおろし金を。自分の名前を彫ってもらう。隣の人はプロの料理人でえらく長い包丁を手に入れていた。その横では外人が彫ってもらう自分の名前を説明している。我々の支払いが住むと店内には誰も居ない。実はもう閉店の17:30だったんですね。あれれ。新町のホテルまで歩いて、荷物受け取ってタクシーのって、京都駅八条口を目指してると、にわかに旅の終わりが現実的なものになってゆくのでした。