だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#304 人生の締め切り

人生に締め切りはない。
生まれて、物心ついて、学校に通った。
いい学校に入ることが、大切だ。そう教えられた。
それなりに勉強したけど、わからないことのほうが多かった。
それでもそれなりにやって褒められたりもした。
でもあたりまえにやってるつもりがいつの間にかついてけなくなった。
県立高校は第二志望のところだった。
30分位かけて、カエルの死骸が干からびたまま散乱するアスファルトの上を必死に自転車を漕いで通った。
国道の曲り道で大型トラックに引っ掛けられてなくなった人もいた。
進路指導を受けた。
成績は芳しくないくせに、自信だけはあった。
なんの根拠もないのにおれは他人とは違うんだと思っていた。
それでいて努力するわけでもなく、ああでもないこうでもないと屁理屈ばかりこねていた。
そのうち世の中のほうが俺のことを見出してくれる位のつもりだったんだろうかね。
その頃の自分に機会があれば聞いてみたいもんだね。
案外納得させられるかもね。
そんなこんなで、案の定、大学浪人をした。
恵まれた環境なので、親に無理を言って京都で予備校に入った。ありがとうございます。
第一志望の予備校は落ちたくせにね。
それでもまだ何者かになれると思いながらも、友たちが大学生活をエンジョイするのを風の便りに聞きながら、結局腰を上げることもなかった。
おバカさん。
その時のおれは何者にもなれない男だった。
その時のおれには、人生の締め切りがでもあった。
大学に入って、一歩を踏み出すという。
じゃないと自分などこにも属することのない宙ぶらりんの人生を送ることになるんだとはじめて焦燥感に囚われた。
孤独だった。人恋しかった。でもなにもなかった。自分が空っぽだから。
なにもやってこなかったから。
でも、だから二浪目になって、やっとおれは何者かになるべく自分の子の足で進むことを決められたのかもしれない。
そして、この愛媛の土地にやってきた。
大学では、医者になることはめずらしくもなくあたりまえの命題だった。
だから紆余曲折することもなく(あゝちゃんと留年したよね)、国家試験にクリアして泌尿器科の扉を叩いた。
その後、専門医試験もクリアして、
開業なんかしちゃたりして、開業してから後で、大学時代にやりかけた実験をまとめて投稿して何回ものやり取りのあとで、かなり苦労して博士号も取った。
そんなことどもの一つ一つが節目節目にあるという人生の締め切りなのかもしれない。
今度締め切りがあるとしたら一体いつなんだろう?
試験も資格もそうとる必要もない人生で、誰がおれの締め切りを設定するのだろうか?
そう考えた時、締め切りを作れるのは自分しかいないことにはたと気づく。
だから今も自分で自分に締め切りを作って走り続けている(つもりだ)。
でも及第点をくれる自分ははるか彼方にいて、ニヤニヤしながらおれを眺めているだけだ。
毎日が飛ぶように流れてゆく。
できれば36時間欲しい。あれもしたいこれもしたい。どれもこれもこの手にのっけて口の中で咀嚼して吟味して、それでいらないものは自分の舌で味わったあとにはじめてぺってしたいではないか。
最後の締め切りは、誰しもが通る、死のゲートだろう。
そこを通り過ぎたあとにはきっとなんにもないのだと思う。
天国も地獄も煉獄も。
だからそこで終わりでいいんだけど、それまでは自分の足でジタバタさせておくれよ。
そんなことを発作的に思いました。