#393 映画「何者」(2016)と、久々のポタリング
朝井リョウ原作の「何者」(2016)という映画を観た。
現代の就職活動の中での人間関係と彼らの変容を描いた小品だ。
なかなか興味深く見た。
自分は医者だし、昔の人間なので、ほぼ就職活動というものには縁がなく生きてきた。
大学を卒業して医師免許をとったら、その先は自分の大学の医局に入局してしまえば、あとは上の言われるがままにして、東へ西へ、北へ南へ、という感じで、研修だってそんなにきっちりした体系でもなかった(すみません。だから赴任先によって症例数とか違って不公平だよなあとか漠然と思うだけで、表立って口にするものでもなかったんだけど)。
その人事にもあまり疑いを抱いていなかったし、それは自分だけではなく、みんながそうだった。
その頃は医局を辞める人もそんなにはいなかったしね(それでも数人の先生がいろんなトラブルとかそんなことで去っていった。そして当然のごとく彼らの消息はほぼ知る由もない。)
今は結構自分の好きなようにみんなやってるような気がするけど、フリーターのお医者さんもいたりして、それはそれで大変なのかもしれない。自分は開業してしまったので、医局の人事のレールから外れたのだけど、大学の意向に沿っていろいろやっている人は大変だとも思う。
また話題がそれましたけど、これは一般企業に就職するために就活をしている若者たちの群像劇だ・・って言ってもたったの5人だけなんだけどね。
結局は人間らしく生きてるやつがいいよなーっていうとこで終わってしまって、なんだか当たり前の結論なんだけど、社会に属さない「何者」以下と自分のことを思ってる学生が、「何者」かになれるのか、まあ平たく言うとそういうことなのかもしれないですね。
でも自分が「何者」かなんて、本当は死ぬまでわからないし、自分の評価なんて他人がつけるだけの様な気もするし、もし今の自分が100%自分に満足できたら、もうそれはモチベーションが無くなって終わってる様な気もするし、相変わらずグダグダやってるうちが花なのかなとも思う。
今日、1年数ヶ月ぶりに自転車に乗ってポタリングをしたわけだけど、散歩したりポタリングをしたりしていると、自分がこうやって空気の中に包み込まれて自分の足で踏み出すぐらいしか人生の実感なんてないんじゃないかとも思えてくる。
人生の本番がいつなのか、いや今この「現在」が本番なんだけど、実は自分はずっと人生のリハビリをしてるんじゃないかなって、なんかそんなふうに考えたのでしたよ。
【蛇足】映画の面接シーンで、1分で自分のことを語ってくださいというようなのがあって、主人公は、tweetの140字みたいにまとめんと語れんよ、みたいなことを言ってたと思うけど、まあそういうふうにまとめる・まとめようって思うのが若いってことで、(自分も受験生のころは現代文の要約とか得意だったよなあ)、今の自分たちは、金魚の糞みたいにダラダラいろんなものを垂れ流しながら、いつ尽きることのない患者さんの話を聞いて、今度は自分の話も時には聞いてもらったりしながら、生きとりまっせ。わはは。