#394 雨と風の夜と、親父の声。
昨日は疲れたせいが早く床についた。
しかしそう簡単に眠れるものでもない。
それでかどうか夢を見た。
病院に電話があった。受話器を取るとおやじの声だった。
「わしゃお前の電話番号忘れてのぉ。この携帯に電話してくれんかな」
いつもの様に自分の用件だけを言って切った。
あーそうか、じゃあ親父の携帯に電話せなあかんのやな。そう思って忙しいままに時を過ごした。
診療が一段落して、あー電話せにゃいけんなぁと思って、ふと思い出してみると、もう親父はこの世にいないことに気づいた。
こんな感じで始まるなんちゃら詐欺もあるんだと思うけど、あれって一体全体何だったのかな?
みんな、きっと死んだ人を抱えてる人は同じことを思うんだろうけど、いまだに彼が此処には、この世にはいないのだということが実感できずにいるんだろう。そんな自分はダメダメちゃんなのか、それともそれはある種当たり前の事なのか、そして生きることと死んでいることの境界線とは何なのか、じゃあおれは生きてるって胸を張って言えるのか、とか、そんなことを思いながらもすぐに忘れて、今日の生きる理由を探す間もなく1日を終えている。
夜半になって雨足はひどくなり、風の音もガタガタと駄々をこねる男の子みたいにうるさかった。
一方でそれを感じながらも、やはり浅い眠りの中にいて動くことはなかった。
家人が起きだして窓を閉めている気配を感じ取ったけど、体はやはり動かなかった。
そんなこんなで枕元の iphone 見るともう5時だった。
そんな風に一日は始まるんだ。
人と会いながらも、机の下で iphone を片手で打ってた。さりげなくね。そしてハンドルネームを2つ使い分けて、表の自分と、裏の暗黒面の自分とをうまく表出していた。その2つをうまく表出して自分の中の均衡を保とうとしているのだと思うのだけど、果たしてそれが彼にとってプラスだったのかは分からない。映画の最終では裏のtweetを否定する方向にstoryは流れてゆき、主人公はいたたまれなくなって好きな女の子のバイトしてる店まで全力疾走したりするんだけど、その行為だって本当はどうなのか誰にもわからない。
なぜそんなことを書いているかと言うと、140字で自分を表すと言うのは確かに国語的能力ではあるんだろうけど、それで終わらないものの方が世の中にはきっと多いだろうし、140字にして解き放ってしまったものはもしかしたら垂れ流しなのかもしれない。
そんな風に思うのは、自分が twitter 世代ではないからなんだろうけど、ね。
なかなかか 自らはtweetらしいtweetはできないでいるけど、いろんな情報を探すのにネットより twitter の方が便利なことも実感してるよ。
まったくとんでもない世の中なのに、ある意味ではいい世の中だな。誰かさんの心の中の声をたまに聞けた気になることだってあるしね。