だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#569 メイちゃん、ありがとう。

 
2年ほど前、松山にやってきたメイちゃんと知り合ったのは🌺道後椿倶楽部だった。
小さい体で一生懸命働いている姿を遠くから眺めるような感じから始まり、時々たわいもない会話をした。
なんの飲み会だったかな、彼女がダーツで矢を投げる姿を酔っ払って見ていたら、なんだか泣きそうになったの覚えているけど、あの感情が何だったのか今となっては知る由もない。
はじめての町で健気に頑張ってるちっちゃな女の子、いや、彼女の目は深く深く、いつも深遠に水をたたえた仁淀川ブルーみたいだったんだ。その目はいつも未来を見つめているように見えた。
 
そんな彼女が実は素敵なピアニストだということも実は知っていた。
医師会の忘年会に出席していただいて、素敵なクラシックと、余興で先輩と一緒に「いとしのエリー」演奏したなあ。
owlの狭いスタジオで日曜日の夕方練習したよなあ。
今では懐かしく感慨深い思い出であります。
 
その彼女が、愛媛を後にして千葉に帰ってしまう(しまった)。
彼女の最後の演奏会が、彼女の知人の家で開かれた。
地元の町か関東かで、彼女はまた新しい人生をスタートさせることだろう。
日曜日の昼、市内電車に乗って、道後からテケテケと歩いて、ウゴちゃんとliveに出かけたのだった。
 
古いゴージャスな、昔のいわゆる応接室で、古いピアノを調律して、彼女はいろいろ素敵な曲を演奏してくれたけ。
そして、ブラームスシューマンの話を最後にメイちゃんがしてくれた。
 
メイちゃんの演奏を聞きながら唐突に死んだ親父のことを思い出したのだった。
 
親父はブラームスが好きだった。
彼は月に一回ピアニストの方を自宅に呼び(うちの実家にはなんとグランドピアノがあったのだ、弾ける人もいないのにね。)、自分のチェロと合わせてもらっていたのだそうな。
そして、自分が小学校の頃バイオリンをいやいやながらも(親父はお前がやるといったんだと言ってましたけど(汗))していたことが、50代になってからまたバイオリンを手に取るきっかけになったのだから、人生は何があるかわからない。
そのことをそして自分は親父に今更のように感謝している。
 
そうなんだよ、人生って、こういう考え方自体実はあまり好きじゃないけど、いろんなことでつながってて、つながってゆくんだよ、今からだってね。
 
だから、メイちゃん、また会おう。
そう、思う。