#594 やさしさ
そうそう、S&Gの「hello darkness」がいま頭をよぎって流れてます(笑)。
優しくなくちゃ人としては駄目だみたいな、今で言うと刷り込みだったのかな?
大人(社会)対若者(自由、優しさ、お金じゃないよ)みたいな構図はわかりやすかったしねえ。
それでもそんなテレビを、いわゆる茶の間で、親の傍らで見てたんだからなんか振り返るとおかしいよね。
そんなに理想通り行くわけないよ、と、何度も親に言われたものだ。
あんたらには何もわからないんだよと、当時はえらそうに反論したけど、穴があったら入りたい。
若い僕らが通り抜けるには、「やさしさ」という言葉は必要不可欠なタームだったのだ。
(ヲイヲイ、何振り返って総括してんだよ、おっさん!)
でも優しさってなんだろう?
そして思うに、人が成長するっていうことは何なんだろう?
そう思って振り返ってみると(やっぱり振り返るわけですよ)、
自分は他人を成長させることができたのか、
そしてそういう自分自身は果たしてちゃんと成長してきたのかと反芻してみる。
もうすっかりわからなくなっている。
でも言えるのは自分は決して優しい人間にはなれなかったなということだ。
たとえばその場で、優しい言葉をかけても、
それが本当に優しさから出たものなのかその場限りの取り繕いなのか・・と言われて考えてみると やっぱり後者の方じゃないかと思うことが増えてきた。
だからそんなものは本当の優しさなんかじゃない。
じゃあ本当の優しさは なんだんだろう?
例えば若いスタッフを指導する立場として、
長い目で見てその人と一生付き合っていけるか?
その時に彼や彼女たちのことをどのぐらい考えられるのか?
というようなことが本当の優しさなのかもしれないけど、
そんなことはおこがましくって口が裂けてももう言えなくなっちゃったんだよ。
ごめんね。
昨日、透析室で、「透析ケア」という雑誌をみせてもらう。
「先生の写真が載ってますよ」だって。
奈良県立医大教授・鶴屋先生の寄稿で、
若いとき、原田先生の下で働いていたときの自分たちの写真が掲載されていたのでした。
日赤腎センター時代はもう二十数年前のことだ。
あの頃、部長の原田先生はこう言われた。
「俺たち腎臓屋は、その患者さんの一生と付き合っていくんだよ」
そう今の自分にはとても言いきれそうにないよ。
うちの犬がこないだへろへろになって家族みんなで心配したのだけど、
そういう優しさぐらいが自分にできる関の山だなんて、
お盆の初日に思ったわけですよ。