#595 音楽を続けるということと、my tenor saxと。
「10年分の楽しい火曜日」(2020/08/14)
というタイトルで、週に一回30分のレッスンで10年間続けたピアノをやめたという話だった。
最後にこう結ばれている。
”やめてしまえばまた弾けなくなるに違いない。
でも、はじめる前の「弾けないわたし」と同じじゃないのだと思う。”
これはなかなか良い決断だと思う。
確かにピアノというか、音楽が教えてくれるものは数限りなくある。
やらなければわからないことはいっぱいある。
そして芸術というものは上を目指せばきりがないし、誰しもが到達できるものではない。
多分人間は 芸術を追求するようには本当はできていないんだと思う。
下世話な話をして、うまいものを食って(ジャンクフードでもよろし)、ビールを飲んでぶふぁとか言って、暑いなあとクーラーをつけて寝る、
そんなことだけでもう1日はあっという間に終わってしまうし、それでまずまず満足してしまうのが人間ってものなんじゃないのかな。
例えばセックスが毎日の仕事になってしまって、昨日よりも内容を濃くしたり技術を向上させなくてはならなくなったら、ら誰もそんなものはしたくないだろう。
セックスのご褒美にちょっとした快楽があるから続くのであって、
動物みたいに繁殖のためだけのセックスなら発情期だけでいいわけで、
芸術にもそんな爆発があれば良いのだけど、
やっぱりコツコツやるのがベースであり、
時に爆発に伴う風を引き寄せて永遠に続けていくことが大事なわけで、
そのためにはかなりの 忍耐と克己心 が必要なんだと思う。
日常では、怠惰な快楽に人はすぐ流れてしまうし、それはそれで良きことだと思う。
また話がずれたな。
自分の音楽の話だけど、やっぱりいろんな楽器をやりたかったんだと思うよ。
ある程度の時間と、ある程度の資金力をやっと手に入れることができたから、それも大きなファクターだと思う。
そして、
この歳になってやっぱりやりたいことは、子供の頃から興味があったことだというのがまた面白い。
これも以前書いたけど、
だいたい人間の基本というのは、趣味とか嗜好とかそういうものも含めて、二十歳までにほとんどがきまっちゃうというようなことを、
坂本龍一さんが言われていて、
まったくまったくまったくその通りなのである。
サックスの話を。
色々思うところがあって、
ブルースス・プリングスティーンのE ストリートバンドのサックス奏者であったクラレンス・クレモンズさんの手にしていたサックスを欲しいと思い(もう最後のサックスなんだからミーハーでいいじゃんと思いました)、
コロナの最中に島村楽器のKくんに頼んだのだった。
一か月以上待ってドイツからそいつは届いた。
アルト・サックスからテナー・サックスに持ち替えようというわけだ。
しかし、吹いてみると同じサックス属なのに、やはりでかいだけあって音が全然違うし、音がうまく出ない。
特に低音域は全く酷い代物だった。
アドリブの練習というよりもとにかく低音を出すことばかりを練習していた(練習というほど時間をかけてないのがまたわるいところだけど)、
やっと低いCぐらいまでなんとか2/3ぐらいの確率で出せるようになった。
それが今の私のテナーサックスなわけで、
昨日は素晴らしいミュージシャンの方とセッションをさせていただいたりしたわけで、
緊張したり、へまこいたりし、音外したりだけど、非常に楽しい時間を過ごさせていただいた。
これが音楽を止められない所以でもある。
10年経ったから止めるだけの勇気を選択される益田ミリさんは清いと思うけど、
彼女にとって、それは次に行くためのおそらくステップであり、
自分はまだまだそこまで到達していないのだと思う。