寺山修司の処女作品集は「われに5月を」だった。
詩人は5月に生まれ、5月に逝った。
日曜日、渋谷の雑踏の中で、 詩人の言葉の幾つかを反芻したりしてみた。
もしかしたら寺山修司は今の世の中のほうが似合っているかもしれ ないな。
東京は、雨と、横殴りの風の気まぐれな天気だった。
桜だけが満開だった。
宴会が行われるはずだった道端には、 まだ僅かな花びらしか散っていない。
耳に聞こえるいろんな異国の言葉。
池の鳥達だけが自由に見えたのは、雨傘で視界を遮られ、 それさえも風で壊され、進んでいたそれだけのせいだったか?
われに4月を。
12月にはなんだかそわそわして、
1月に入った途端に気が抜けて、
4月くらいになんだかはっとしたりする。
毎年そんなことの繰り返しのような気がする。
娘が、
予備校が借りてくれたマンションの一室で、
一人で生きている(いこうとしている)のを見て、
なんだかいろんなことどもが、すとんと腑に落ちる音を聞く。
そんな悪天候で、飛行機は1時間ほど飛び立たず、
家に帰り着いたのは10時半だった。
犬達が腹をすかせて待っていた。
でも待っているモノたちのいる我が家は、 やはり灯りがなくともいいもんだった。
そんな3月の終わりと4月の始まり。
だから、われに4月を。
わたしは4月の扉を開ける。