だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#186 「まっぷたつの子爵」byイタロ・カルヴィーノ

まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)

子供の時に買ってもらった、「文学の贈り物」シリーズの一冊、イタロ・カルヴィーノ「真っ二つの子爵」をホント40年ぶりくらいに読む。

 

テッラルバのメダルド子爵は、1716年・トルコ対オーストリア戦争で、大砲の前に立ちはだかって吹き飛ばされて、真っ二つになって帰ってくる。

人々は子爵の帰還を喜ぼうとするが、帰還した彼は「悪い方の半分」だった。悪い半分は、どんどん自分の意に沿わないものを処刑してゆく。ずいぶん遅れて帰ってきた、生き延びたもう一方は「善き方」ではあるが、これまた親切なのはいいけど、善意の押し売りみたいなはた迷惑な半身で、最初は歓迎していた住民も、やがて愛想を尽かす。そして二人は対決することになる。

 

キカイダーのbodyもまっぷたつで、彼は自分自身の中で引き裂かれてるんだけど、子爵の場合は完全に2つに分かれている。善と悪は、それだけでは、善でも悪でもないということが導き出される。

だが、子爵を叔父に持つ少年は、やはり、子爵が切り離された2つの体をひとつに戻したあと、思慮深い統治をしようとも、自分にはどこへもゆく場所はないと、痛感するのだった。

そして、(その時代から何百年もあとに行きている)我々もまた責任と鬼火とに満ちたこの世界で、生きてゆくしかないのだ。

 

一応、村上春樹から始まった文学の旅も一段落だ。

村上春樹の「国境の南、太陽の西」が一番グロい物語だったと今は言っておこう。

キカイダーはたしかに、不完全な良心回路を持っていた。だが、その仕組みが実は人間と等しいものだと悟った時、ジローは仲間(いやロボットだと彼は言うだろう)を容易に殺すことができた。

子爵は半分だった自分の不完全さを反芻することで、思慮深く正しい政治を行うことができた。

村上春樹の主人公は、誰かの手が肩に置かれるまで、ひっそりと待っている。しかしその手のぬくもりの先にいる『自分』という存在が無垢なものに戻ることなどもうありはしないのだ。

そうわかっていてもなおかつ希求しなければならないのか?誰かを待ち続けなければならないのか?

 

他人と生きてゆくことは、当たり前のようで、厄介すぎる。

 

「『博士!トレロニー博士!つれていって!ここに、ぼくを置いていかないで、博士!』
 しかし、船の影は水平線に沈みかけていた。そして責任と鬼火とに満ちたこの世界に、ここにぼくは残されてしまった。」