#253 梶田隆章・東京大宇宙線研究所長、ノーベル物理学賞受賞おめでとうございます。
ニュートリノの研究でノーベル賞をとられた梶田隆章氏のプロフィールのところに、聞いた名前を見つける。
そして徐々に記憶が蘇ってくる。
物理学者の戸塚洋二氏は、2008年肝臓がんでこの世を去ったのだった。
そして彼の研究を引き継いだ、梶田氏が、ノーベル賞を授与された。
戸塚氏の研究はこうやって今後も形を変え質を増し、続いてゆくのだろう。
ヒトがいなくなっても人類の叡智は発展していくのだという考えは、普段はペシミスティックな自分としても、なんだかそのへんのうさんくさい宗教よりももっともっとありがたい考えのように思えて、感慨深い。そういった営為そのものが人類の持てるすばらしさなのだと実感できるのはこのような瞬間なのだ。人間の生命が没して、無になる。輪廻転生などありはしない。だがそれはそれでいいことだと思う。決して悲観などはしていない。だから墓も戒名も自分は必要としていない。そして死んだ人は生きたヒトのメモリーの中にいる限り生きているのだと思う。だがそのメモリーもいつかは消えてゆくものなのだろう。諸行無常。盛者必衰。あれっちょっと違うか?でも人間の叡智は連綿と紡がれ、それが、還元される。医学の進歩とか科学の進歩というのはまさにそういったものだろう。それが人間の進歩というものだろう。愚かしい兵器や殺戮の歴史も併存してあり続けるが、人間は愚かな歴史とともに、素晴らしい歴史を作りながらここまで来たのだと思う。
戸塚洋二氏に関して言及した過去のblogを再構成してみる。
物理学者・戸塚洋二先生の死
- 2008.11.16 Sunday
- 22:00
立花氏の講演で聞いた、物理学者・戸塚洋二氏との対談が載っている文藝春秋をネット書店で購入する。
こういったものがいくばくかの労力と金で容易に手に入るのは素晴らしいことだ。
そして、戸塚洋二先生が死の直前までつづったブログを眺める。
http://fewmonths.exblog.jp/ (リンク切れになっていた)
彼は自分のCTをスキャンして肺転移のダブリングタイム(腫瘍倍加時間)を計算したり、
腫瘍マーカーをグラフ表示したりして、自らのデータを解析する。
2000年に見つかった大腸がんが、肺・肝臓・脳・骨に転移して、抗がん剤治療の果てに、2008年7月10日永眠された。
ブログは7月2日の「今日、病院に外来で来ましたが、残念、そのまま入院になりました。」で終わっている。
死を前にした正岡子規が、こんなことを言っているんですよ。
「(自分は悟りをこれまで誤解していたが)悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。」
とても有名な言葉のようですが、最近まで私は知りませんでした。
平気な顔をして死ぬというのもすごいことですが、「平気で生きている」というのもすごい。でも、結局それしかないのかなと思います。
(文藝春秋2008.8 がん宣告「余命十九ヵ月」の記録 戸塚洋二・立花隆の対談 より)
大変申し訳ないと思いますが、私はこの歌が好きではありません。
この詩は、生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず、本当に死者のことを痛切に感じているのかどうか、疑問に思ってしまうのです。
死期を宣告された身になってみると、完全に断絶された死後このような激励の言葉を家族、友人に送ることはまったく不可能だと、確信しているからです。
(略)むろん、このような言葉を死んでから送れたらこんなにすばらしいことはないのですが。
実際に死にいく者の視点で物事を見てみたい少数の人々もいることを理解してください。あるいは私一人だけかな。
(文藝春秋2008.9 あと三ヵ月死への準備日記 戸塚洋二 より 『千の風になって』の歌詞について)
最悪というのはあくまで相対的なものです。
60有年の中で今年が一番悪かったというだけです。年を越せたという事業をやり遂げたと考えれば、人生で最もやりがいのある年だったかもしれません。
(戸塚洋二ブログ The Fouth Three-Months 2007.12.28)
いろいろあるけど、自分自身は、職業ということもあり、実際の死というものについてこれまでも結構考えてきたつもりだ。
意味のあることかないかはだれにも決められないが、やはり延命のための延命治療は自分はしないだろうし、必要以上の付き添いも強要していないつもりだ。
意識レベルが下がってしまえば、生物としての個体の終焉としてドライに見るように努めているつもりだ。
そして、その患者さんの、いい思い出を頭の中で反芻している。
でも戸塚先生のこの言葉の前には何もわかってないのかなと少し立ち止まらされた。
それでも、自分は今までとおんなじように死に向かい死を看取ってゆくのだろう。
そして死への直進を続けられた先生の口から、最悪とは相対的なものだという非常にクールな表現とか、
もしかしたらがんと年を越した年の瀬をを最もやりがいがあった一年と自ら述べられているくだりを読むと、
これが『平気で生きている』ことのあらわれだったのかもしれないななどと思って、少し安心したりもした。
よく生きることがよく死ぬことなどと、生きている自分はいうけど、自分にできることはその死に向かう人のある時間を共有することくらいのものなのである。
そして、いつの日か、死に向かう自分の時間を最も身近で共有するのがかくいう自分になった時、
できれば『平気で死に向かう日常を生きていたい』ものだ。
その日の夜中近くの3番町。
高いワインの栓をソムリエの山口さんがナイフと、オープナーを使って開けてゆく。
コルクがひび割れており、うまく開けないとコルク屑がワインに交じってしまうので、丁重に何度にも分けて作業してゆくのだ。
古い古いワイン。熟成されて飲まれるのを待っているのって人生に例えるとどんなんかな。
誕生日のワインとかコレクションにする人もいるんだろうけど、そのワイン開ける時っていつなんかなあとぼんやり思う。
まさか自分の葬式じゃあるまいな。
誰かが産声をあげて誰かが同じ時間に首を垂れる。
その時間に僕はのりやんと、大声で陽水を唄っている。毎日吹雪吹雪氷の世界ぃいいいい。
死と生は結構近いところにある。
『がきデカ』と戸塚洋二氏とピータン豆腐。
- 2009.07.17 Friday
- 19:02
借りていた『中春こまわり君』を読む。
一度目に読んだ時はそうも思わなかったがしみじみしてしまった。山上たつひこ氏のもう一つの名作『光る風』のラストのあのヘヴィネスに通じる。
とすると、『がきデカ』のあの突拍子もないパフォーマンスは、山田こまわり君自身が詠んだ句のように、 もともとの形がそうだったがゆえに祈るような姿勢のまま死んで骨となり無くなってゆくヒキカエルのムクロの如く、無常と救済を表現しているのかもしれない。・・・いや、こまわり君は解説したあとできっちりギャグに堕しているではないか。
蟇(ヒキガエル)祈るかたちに枯れつくす
そして、死といえば、 立花隆氏の講演を聴きに行き、世界的な物理学者・戸塚洋二氏のことを知ったのは昨年の秋だった。
戸塚氏の最後の日々のblogをビジュアルに再構成したNHKヒューマン・ドキュメンタリー『あと数か月の日々を~物理学者・戸塚洋二 がんを見つめる』を見る。
氏のblogタイトルが『A Few More Months』(死の直前にThe Fourth-Three Monthsと改題される)というものであった。
このドキュメントの製作者の意図はいささか不明瞭ではあった。
製作者は、稀代の物理学者が死を前にして宗教感をも内包してゆき、かつ、科学者であり続けるという過程を、残念ながら描ききれなかったのだと思う。
自分の死への過程をも詳細なデータとして残して分析することにこだわる戸塚氏。自分の死んだ先にあるのが『無』の世界なら、それを見られるはずなのだが、それを記録に留めて報告できないのが科学者として悔しいと語る戸塚氏。宗教に寄り添いながらもそれに依存せずに、あくまで科学者として最後まで生き続けた戸塚氏。それらが淡々と進行してゆく。
しかし、blogにある死に向かっての弱音の部分は意図的にカットされていた。 人間である以上、確かに感情はどんなに断ち切ろうとしてもついて離れないことは事実だ。『癌の先にある死』という究極の事実に向かってなだれ落ちようとする感情を冷静に受け止められた(受け止めようとした)戸塚氏のぶれない姿勢と、裏に見え隠れしてblogに表出する弱音。この対比があり、しかも前者が圧倒的であることこそが素晴らしいのだ。
「悩んだ時はデータに立ち返れ」そういつも戸塚氏は言っていたそうだ。
データ。客観的事実の羅列の中に、法則性や、答えは眠っている。そしてニュートリノに質量があることを彼は結論したのだ。
うらら科学の仔たる自分も、『客観的事実』から逃げないで最後まで戦えた(だろう)戸塚洋二氏の遺志をくんで生きてゆきたいと思いました。
http://fewmonths.exblog.jp/(リンク切れになっていた)