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だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#282 「戒名」じゃなくって、自分の名前で呼んで欲しい。

朝日新聞に「戒名」の是非についての、投書とそれにinspireされた投稿が載っていた。
 
で、これが、戒名とか仏事を否定する文章ではないことを予めお断りしたうえで。
 
自分は現世が全てだと思っている。
死後の世界があるのかないのか、それはわからないけど、死んだ後のことなんてどうでもいい。
肉体が滅び、溶けて、土壌の微生物や雨風にさらされて地球の一部に還元されて、高い空から雨粒にでもなればいいなどと夢想するだけだ。
でも、結局は、高温のバーナーで焼かれて灰になるんだろうけどね。
 
死後の世界は「生者」がその人を思う限りは続いてゆくのだと思う。
だから、ヒトの思いがその死者を思い出した時に死者はよみがえって、歩き始めるんだと思う。
だから、自分がずっと寄り添うように持ち続けてきた自分の名前を自分はそろそろ誇りにしてもいいんじゃないかと思うんだ。
そういう意味では夫婦が同一性を名乗ることにもあまり意味があるとは思えない気もする。
若いころは彼女が自分の姓を名乗ってくれることは当然な気も誇らしい気もしていたのだから、いい気なもんだよな。
だから、おれはおれの名前で死んで、死んでからももし思い出してくれるヒトがいたとしたら(そんなにいないだろうけど)、
その時は、おれの名前で呼んで欲しいと思うんだよ。
 
誰かがこの病院で亡くなる。
自分は死亡診断書を記入し、おおむねは、やはりご家族は寝台車を呼ばれる。
寝台車の方がお迎えに来て「責任をもってお送りします」と恭しく一礼をして寝台車の後部ドアを閉める。
葬儀が営まれ、遺体は焼かれ、仏事の連鎖はとっくにもう始まっている。
その光景の中に、いいのかわるいのか、自分の姿をいくら探しても見つかりはしないのだ。
まあ死んだヒトにはなにもできなくって、葬儀を取り仕切るのは残された人なので口出しなんてする筋合いではないのかもしれない。
でも、墓に手を合わせることに意味を見出す人もいれば、おれみたいにさしたる意味を見出せない人間もいるってことだ。
みんなが一緒じゃなくってもいいのなら、とか、
みんなに合わせることでみんなが納得するのなら、それはそれでもいいのかな、とか、ブレる部分もまだまだある。
だから意見は変わるかも知んないけど、今の自分は少なくとも「戒名」ってやつを必要としていない。
 
それだけの話しです。