#408 Talk about…2017/12/24 VOL.9. 祇園精舎の鐘の声
今日は12月24日だ。
この春に死んだ親父の誕生日でもある。
親父が生きていれば今日で87歳になって、いつものように、こうやって朝起きて、親父の携帯に電話をかけて「おめでとう」という、そんな時間帯だけど、彼はもうこの世にいない。
あの野太い声ももう二度と聞くことはない。
彼は灰になってお袋の横にいるのだから。
みんな灰になって消えてゆく。
残したものもやがて薄れて全てが無になっていく。
元々無から生まれてきたのだから、無に戻っていくのは何の不思議もない。だからとりたてて悲しいとも思わない。でも心に空いた穴は他のもので塞がれることはそうそうはないだろう。
無宗教で通したので、仏事もくそもない。だから喪中のはがきも出さなくてもいいやと思っていた。でも皆さんの発案で、病院から喪中のはがきを郵送した。だから今年は年賀のはがきもそうそうは来ないのだと思う。
なんかでもそういった一連の儀式みたいなものでしかいろいろ物を埋めていけないのかもしれんなあ。それはいいことなのか悪いことなのか、それさえも理解できないでいる。
そういう自分も昨日でまた一つ歳を重ねた。57歳だ。
昔からずっとそういう流れだった。
自分の誕生日、親父の誕生日、クリスマスと続いて、そして怒涛の年末からあけての正月というのが小さい頃の我が家の流れだった。
なんか誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが重なるようで、少しだけ恨めしく思ったこともあったような気がする 。まあ昔の他愛もない思い出だ。
昨日は家族に自分の誕生日を祝ってもらった。
うまいものを喰って、旨いワインを呑み、最後にちょっともめた。
ぽっかり久々に予定のない日曜の朝、重たい頭を抱えて、今日の日をはじめる。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
ああ、こんな昔からヒトはおんなじ思いを抱いて生きてきてたんだ。
生きている自分のことだ。
そう、問題はね。
おごることなく、
風の前の塵に成り果てて舞ってしまう前に、
もう少し軽やかなステップで駆け抜けられたらなと思うんだよ。