だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#506 清志郎とオーティス・レディング

忌野清志郎の世界

 
忌野清志郎さんの没後10年と言うことで(もう10年経ったんだぜBabyなんてこった!GOTTAGOTTA)、
NHKで「朝まで清志郎」みたいな特番をやっていた(朝までだから当然長いのよ)。
 
録画したそれをちょっとずつ見ていった。
 
最後の番組は、清志郎Otis Reddingの故郷を訪ねるドキュメンタリー番組だった。
以前見たことがあるような気がしたけれど、この世にもうふたりともいないんだと思うと、なんかジンと来るものがあって、見進めめていったのだった。
 
清志郎が高校生の時、
コンサートに向かう飛行機の事故で、オーティス・レディングは26歳の若さで死んだ。
オーティスの最後の曲と「Doc of the Bay」がその夏は幾度となくラジオから流れていて、それはとても悲しい響きに聞こえた、
そんなふうに清志郎は語っていた。
 
自分にとってはラジカセから流れてくる(パンキシュになってブレイクした)RCサクセションの「よォーこそ」が、
ある一年の風景であったようだ。いろんなFMとかであの長い曲は流れ続けていたような気がする。
それが高校から浪人時代の思い出のような気がする。定かでは無いけどね。
 
NHKでは、清志郎のステージと、
清志郎の大好きなオーティス・レディングのステージパフォーマンスも交互に流されており、
オーティスのパフォーマンスは1960年台からしたら60年以上過ぎた「現在」でも、鳥肌モノで、
ほんとに清志郎のあのパフォーマンスと酷似していた。
ほんとに愛していたんだね、オーティスを。
例の「愛しあってるかい」も久々に聞いて鳥肌が立った。
 
そんなわけで遅まきながらオーティスを聴いていますよ、アップルミュージックでね。
 
ストリーミングになっていろんな音楽が容易に手に入るのは素晴らしい。
音質とか音源とか言うよりも、ちょっと検索で知らない曲が出てくるのはありがたいよ。
 
そんなわけで、自分の隣にまだ忌野さんはいるのです。
 
よォーこそ

よォーこそ

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#505 燕の巣と「未来のミライ」(2018)

散歩の途中、ジムの軒先に、ツバメの巣を見た。
 
シャッターチャンスをと思い、あさはかなおっさんは、口を開けて眺めている。
親は餌を与えたかと思うとすぐに飛んでゆく。
そして忘れた頃に戻ってくる。
その繰り返しだ。
 
親の愛は人間においてもホントは「無償」なんだと思う。
自分のことだけど、こんな可愛げもない(いやbabyのときは天使だったのだと信じよう)クソガキを育ててくれた。
人間のガキは動物以下以下以下で、自分ひとりでは決して生きてゆくことはできないだろう。
外敵から守る毛皮も羽毛も持ってないし、咀嚼だって嚥下だって不十分だ。
何年間かは直立することもできやしない。
飢えを察知してピィピィ泣き叫ぶことくらいしかできない。
そんな弱っちい生き物を育ててゆけるのは、「本能」的なものだけでな不可だと思う。
 
だけど、その「無償」がずいぶんズタボロに壊れてきてるのは、
「後天的」な要素がずいぶん壊れてきたってことなのかな?
 
もう「あたりまえ」というコトバ自体が、死んじゃってから久しいよなあ。
 
ツバメの子供は、孵化から巣立ちまでたったの2w、人間はまあ20年だもんなあ。
 
ーーーーー
 
細田監督の「未来のミライ」というアニメを観た。
 
長男のくんちゃんは、新しい妹「ミライ」ちゃんの出現で、自分がかまってくれなくなるので、いじけて大変。
なんでも「くんちゃん、好きくない」で片付けるミニ暴君だ。
お母さんは編集の仕事を再開し、フリーになった建築家のお父さんが育児を受け持つことになる。
そんな「くんちゃん」の日常に、
未来からやってきた女子高生の「ミライ」ちゃんやら、
ダックスフンドのヒメちゃんやら、
若い時のこれまた暴君お母さんやら、
戦争から生き残って帰ってきたエンジニアのひいじいちゃんのドラマとかが錯綜する。
血はつながっており、AがなければBはなく、BがなければCはなかった。
だから必然として、自分の存在は、「血(血縁関係)」のもとにあり、それはドラマであり、確固たる現実なのだと。
 
「ミライの東京駅」の地下深く、
迷子(自分自身を失った子供)の子供が乗りこまねばならず、どこに行き着くかわからない新幹線(行く先はひとりぼっちの国とアナウンスされた!)、
その電車に自らも吸い込まれそうになり、
呪縛をなんとか振り切ったくんちゃんが、
ちっちゃな無防備である妹の「ミライ」ちゃんに手を差し伸べる、
その行為自体が、
「未来(ミライ)」につながる唯一のwayなのだと思う。
 
そう、
自分から手を差し伸べるという行為だけが、(一方的に)与えられたものに拮抗できるものなのだ。
 
そうやってヒトはコミットして生きていかなければならないのだな、と、思わされた。
 
 
ーーーー
 
 
そして、またご都合主義的なこと言うけど、
まだ見ぬ自分に手を差し伸べて引っ張り上げてやるのが今の自分の役目なんだと思うんだよ。
だから引っ張ってもらうだけの理由のある自分であるという努力とか情熱が重要になってくるんだよ。
この半世紀生きてきた燃えカスの鉱脈に火をつけてね。
月までは飛べなくっても、50mくらいは飛び上がれるだろ、おっさんよ!
 

未来のミライ

#504 ところでairpodsを買いました。

airpodsを買ってからまた散歩するようになった。
 
耳から落ちんのかなという懸念があったけど、歩いているぶんには結構大丈夫。
70cmくらいの段差を飛んでみたら、右が落ちた。
でもairpods落ちたという事実よりも、
飛んで着地したあと、腰がジーンとなって、こっちのほうがやばかったので、二度とこんな若気の至りのような真似はすまいとそちらがメインでした。
 
歩くといっても最低1日5000歩を確保しようと言う非常にちんけなものではあるし、それさえもなかなか達成できないのではあるけれど。
 
ずっと5年位前から、朝、左腕が肩の付け根からちぎれそうな感覚で目が覚める。
 
体をひねったりいろいろして、肩を動かして、置き場のない体をジタバタさせて、ちょっとマシになってやっと起き出す。
一応上がることも上がるし、回旋も可能だ。
でも痛みが走る。
まあ動くし、ギターのコードも押さえられるし、サックスもふける。
だけどやっぱりどっかの組織が断裂してるんだろうね。
素人判断ではありますが。
でも医者仲間にこないだ飲み会で聞くと、みなさん大同小異おんなじような経験があるらしい。
リハビリしかないですよと言われた。
ほんと嫌だねトシとるって。
パソコンは買い替えたらいいけど、人間は交換不能だからね。
 
なわけで、散歩写真でなかなかいい感じのが撮れたよ。
 
 
 

#503 鰹節削り機とうちごはん② 2019/06/04

 
で、バイオリンの練習を終えてから、「エミフル」で硬い豆腐を買って帰って、今日はゴーヤがあるのでチャンプルにすることに。
いただいたたけのこも入れたり、キノコ類も入れたりして、ちょっと豪華なチャンプルです。
今回はネットを参考にして、かつおだし風味でやってみました。
そして当然リベンジの鰹節削り器での再トライです。
今回は粉ではなく、まあ板とは言わんけど、ちょっと面が出てきた面が出てきたよ。
これは刃先の微調整と、それと尾っぽを先頭に持って削るというやり方に変更したのと、2つの変更が奏功したのだと思います。
今削っているやつはもうけっこう小さいので、もう一個残っている大きなやつでまたトライしようと思った次第であります。
・・というわけで、完食のうちごはんでありました。

#502 鰹節削り機とうちごはん① 2019/06/03

 
仕事終わって帰ってから作った。うちごはんであります。
 
・キッシュ(カポナータ 季節の野菜のトマト煮込み)(冷凍)
・たけのこのおかか和え(市販の鰹節かけました)
男前豆腐 おかかどっぷりかけ(自分で削りました、粉でしたけど)
・ちくわきゅうり(螺旋状に切り込みの入ったちくわ購入したら、そこからきゅうり入れたら裂けちゃったよ!)
ビアードパパのシュークリーム(患者さんからのいただきもの)
 
家に鰹節削り機が眠っていた。
 
それを引っ張り出して、その上に置かれたかなり乾燥した「枯れ節」を削ってみる。
粉になる。
削り器の刃をとんとん叩いて調整してみた。
スペースを開けすぎると、かつおが突っかかって進まない。
また微調整。おお、いい感じ。でも粉。
調べると乾燥し過ぎのは粉になるみたい。方向もあるみたい。
でも豆腐にたっぷりふりかけて冷奴で食べると無茶うまい。
 
もうちょっと研究してみます。
 
昔は、鰹節って、お手伝いで削らされたよなあ。
うちでは「けっとけっと」といって、子供の力ではかなりの労力が必要だった気がする。
でも子供の記憶なんてあてにならない。
豆腐だって、入れ物持って八百屋に買いに行って、水槽から入れてもらってたんだよなあ。
 
世界はどこに向かってるんだろうと、老人の繰り言を。

#501 「mikan song(あるいは不在の歌)」という歌を作ってます。

ヒストリー・オブ・バイオレンス [DVD]

これを書いてから帰ろうと思ったので書いておく。
昨日はデビット・クローネンバーグ監督の、確か2005年の作品だったかな、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を観た。
いっけん静かだけど、狂気と暴力に溢れた映画だった。
ヴィゴ・モーテンセンと、もう一人の女優さん(マリア・ペロさんでした)の演技が白眉だった。
 
人間は一つのキャラとしてずっと生きられるわけではない。カメレオンのように何度も何度も変わり、だけど、変わったからといって、その時に過去は決して精算されるものではないのだろう。自分だってそうだ。隠したい過去がいくらだってあるし、叩けば埃なんていくらでも出てくる 。どこまで赦せるかということなんだろう。でも許せないし、そんなに長い間待ったり我慢することは今の人間社会では無理なんだろうね。
 
2月に歌の輪郭を書き始めた。
 
ラブソングになるはずだったのに、最終的にはなんだか君の不在の歌になってしまった。
冬の道をどこまでも二人で、コートのポケットに一緒に手を突っ込んで歩いていく、そんな光景からスタートしたのに、いつのまにか彼女のいない部屋で、男は一人で住んでいるのだった。彼女は消えちゃったのか、死んじゃったのか、殺したのか?わからない。
 
そこからスタートして、昨日はウスぼんやりとしながらギターを手にとって作曲に着手した。いつものように iPad のアプリ「TOUCH NOTATION」で作り始めて、なんとか骨格ができた。今、頭は崩壊寸前だだからもうやめにするけど、その原型の詩を乗っけときます。
 
「mikan song(あるいは不在の歌)」
 
冬の短い日射しが射し込む部屋
炬燵の上に置かれた
皮を剥きかけのみかん
今頃のはね 薄皮ごと食べれるんだけどね
私はこうやって吐き出すのが好き
だからわかる
重ねられた皮の形ですぐにわかる
 
暖房の効きすぎた部屋 君の匂い
みかん
みかん
君の不在が oh
 
店頭に置かれたpianoで
君はシューベルトを弾いた
みんなが足を止めて みんなが耳を傾けて
モノゴトは左から右へ流れてゆくもの
でもね、リズムが先なの、メロディじゃなくってね
強いて言うならそれが生きてくコツなのかもしれない 
わたしにとっては
 
音は流れて 涙も流れて
音は流れて 涙も枯れて
 
黙ったpianoの上 薄いホコリを指でなぞる
みかん
みかん
君の不在が ah
 
焚き火の中
小枝が爆ぜる
乾いた空気の中 
煙が登ってく
 
みかん
みかん
 
君のpianoが燃える
君の指がからまる
 
みかん
みかん
みかん

#500 54歳からのピアノ その13 島村楽器の発表会で弾く。

 
昨日は島村楽器の夏のコンサートだった。
 
大型ショッピングモール「エミフル」の中の、まぁあまり音響設備の整っているとはいえない小さなホールで行われた。
11時半スタートで4時ぐらいまであったのかな。
結構な人数(22人)、まさに子供から大人まで(年齢層でいうと自分もかなり上かな?)。
後半のフルバンド形式はやっぱりかっこよかったけど、上手い下手に関係なく、各々が素晴らしかった。
 
自分もピアノとカホンで出ましたよ。
ピアノをまたまた失敗する夢を見て当日は3時前に起きて、ほんとに自分って「コモノ」だなぁと確信しましたけどね。
 
そんなピアノ(+カホン)の発表会を終えて、本当に脱力でありますよ。
 
ピアノの発表会では、「ブタのブルース」というのと、「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」の二曲を弾いた。
そりゃあミスタッチもあったけど、なんとか止まらずに弾けたということだけが今回の収穫だ。
・・なんてことを言っちゃいけないな。
 
止まらずに弾けたってことは十分な収穫だよ、今までは本当に完璧に止まってフリーズしてたもんな。
自分の身の丈に合う楽曲で今回は臨んだこともあるし。
でも、まだまだ音は生きてない。
楽曲が歌い出すに至ってないことは痛感している。
 
発表会が近づいてくると、もうこれが終わったらピアノをやめようという風に思う。
でも今回の発表会が終わって、小さい子供さんの華麗なピアノを聞いていて、もうちょっとは頑張ろうと思った。
そりゃそりゃいくら頑張っても、ショパンモーツァルトとか、「ピアノの森」のカイイチノセとか、そんな華麗なピアノを弾けるわけではないだろう。
でもピアノと繋がっている人生も捨てたもんじゃないなと、そう思えるだけでいいのではないか、そんなことを思っています。
ホント負け惜しみじゃないよ。
 
でも、多分また挫けるだろうけどね。何度も何度もね。
 
音楽に関わる全ての人や物たち、
このコンサートを企画運営してくれた色んな方々、
そして自分を導いてくださったpianoのI先生・カホンのK先生に、ただただ感謝です。