だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#594 やさしさ

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ビールがとにかくと思い、それなら餃子だと冷凍購入して、ゴーヤチップスとナスの揚げ浸しとサラダを作るそんな夜もある。

 

ダスティンホフマンになれなかったよ」っていう大塚博堂さんの歌があった。
そうそう、S&Gの「hello darkness」がいま頭をよぎって流れてます(笑)。
 
僕たちがガキの頃は、中村雅俊さんの「俺たちの旅」に惹かれて、みんなが彼の役どころである「カースケ」になりたいと思ったりしていた。
優しくなくちゃ人としては駄目だみたいな、今で言うと刷り込みだったのかな?
大人(社会)対若者(自由、優しさ、お金じゃないよ)みたいな構図はわかりやすかったしねえ。
それでもそんなテレビを、いわゆる茶の間で、親の傍らで見てたんだからなんか振り返るとおかしいよね。
そんなに理想通り行くわけないよ、と、何度も親に言われたものだ。
あんたらには何もわからないんだよと、当時はえらそうに反論したけど、穴があったら入りたい。
若い僕らが通り抜けるには、「やさしさ」という言葉は必要不可欠なタームだったのだ。
(ヲイヲイ、何振り返って総括してんだよ、おっさん!)
 
でも優しさってなんだろう?
そして思うに、人が成長するっていうことは何なんだろう?
 
そう思って振り返ってみると(やっぱり振り返るわけですよ)、
自分は他人を成長させることができたのか、
そしてそういう自分自身は果たしてちゃんと成長してきたのかと反芻してみる。
 
もうすっかりわからなくなっている。
 
でも言えるのは自分は決して優しい人間にはなれなかったなということだ。
たとえばその場で、優しい言葉をかけても、
それが本当に優しさから出たものなのかその場限りの取り繕いなのか・・と言われて考えてみると やっぱり後者の方じゃないかと思うことが増えてきた。
だからそんなものは本当の優しさなんかじゃない。
 
じゃあ本当の優しさは なんだんだろう?
例えば若いスタッフを指導する立場として、
長い目で見てその人と一生付き合っていけるか?
その時に彼や彼女たちのことをどのぐらい考えられるのか?
というようなことが本当の優しさなのかもしれないけど、
そんなことはおこがましくって口が裂けてももう言えなくなっちゃったんだよ。
 
ごめんね。
 
昨日、透析室で、「透析ケア」という雑誌をみせてもらう。
「先生の写真が載ってますよ」だって。
奈良県立医大教授・鶴屋先生の寄稿で、
若いとき、原田先生の下で働いていたときの自分たちの写真が掲載されていたのでした。
日赤腎センター時代はもう二十数年前のことだ。
あの頃、部長の原田先生はこう言われた。
「俺たち腎臓屋は、その患者さんの一生と付き合っていくんだよ」
そう今の自分にはとても言いきれそうにないよ。
 
うちの犬がこないだへろへろになって家族みんなで心配したのだけど、
そういう優しさぐらいが自分にできる関の山だなんて、
お盆の初日に思ったわけですよ。

 

#593 新しい世界での新しい形の飲み方?

1杯目ですでにピンぼけ!

1杯目ですでにピンぼけ!
昨日は移転したばかりの日本新薬の事務所で、「タダラフィル」中心にいろんなこと含めての社内講師をしました。
もうこういった形態の講師もこれで最後にしようと思って(偉そうな物言いだな!)、まぁまぁ気合を入れて、自院のデータをまとめてました。
3M分の患者情報をとったけど、力がないので1M分のデータでスライドを作りました。
 
まぁこういうプレゼンとか、データのまとめとか、スライド作りとか、最終的な論文投稿とか、
そんなことを学んだのもやはり医者になってからなので、
いろいろなことを教えてくださった諸先輩方には感謝してますけど、まあ根っからは好きじゃなかったってことなんでしょうね。
なんて言うのかなあ、うん、今時分のやるべきことではないよなあという考えが根底には流れているわけであります。
まあ、頭も良くないので、統計的解析とかあんまり深い解析もできない自分がいるわけで。
それでも自分の処方やら仕事の内容を、こうやってまとめて振り返ってくると、それはそれなりに新しい発見がありました。
臨床医として、そんなに間違ったことやってるわけじゃないよという自信みたいなものを、自分の処方からもらいましたし。
 
1時間弱喋って、質疑応答を受けて、一応終了です。
社員が退席したあと、
コロナなので、
アクリル板で仕切られた会議テーブルを挟んで、
所長と担当の女の子と弁当食って世間話して、自分だけビール飲んで、それで終わりと言う、気が抜けるような解散でした。
 
なので、予定通り、
1人で歩いて堀端の「BOKKE」に行ってビールを飲んで、ローテンションでのスタートでしたけど、
それは自分のこと、
いつのまにか隣の野郎たちの絵を描かせていただいておりました。
絵を描くのはほんとに楽しい行為であります。
そのうちいろんな話題で盛り上がりましたよ。
左利きの話とか、麻丘めぐみの話とか、左利きの差別手術修行の話とか、ブルーハーツの話とか、ブルースハープとか、公務員と独立とか、最後はスナフキンの話とかねえ。
 
「BOKKE」が5周年だったので、その記念の絵も勝手に描いて、オーナー夫妻の写真を撮らせてもらったのですが、
すでに酔っぱらってるせいで写真は完全にピンボケでしたよ。
 
ほんとにコロナになってから酒が弱くなったね。
でも弱い位のほうがいいようも気がするよ。
ということは自分のペースで今まで飲んでなかったんだろうね。
で、その先に向かうわけでもなくちゃんと自宅に帰ってきましたよ。
 
とまあ、これが、新しい世界での、ちょっと寂しい飲み方でしょうかね。
うーん。

#592 夕焼け空は赤い。

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2017/8/4 19:18
デジャブのような日々だ。
 
昼から血をかぶった。止まったと思った血管からまた血は吹き出る。
濡れた雑巾のようになった布で、避けた血管をおさえながらかつて救急車に乗ったこともあった。
そのヒトももういない。
 
小心者なので、びびってはいるのだけど、
そうやって患者さんを前にピンチになっているとき、こんな事は以前にもあったよねあの時どうしたっけって覚めた心で思ってしまう。
一瞬だけ途方に暮れて、醒めた自分の中から色んなものを呼び出して、いつものように愚鈍な頭をフル回転させて解決策を見つけようとする。
だけど、きっと無意識下ではそんなシミュレーションを繰り返してるんだろうね。
 
止まることはできない。
患者さんは待っており、一つ終われば次がまた来る。
こんなことを繰り返して、
最後の最後にハードディスクが止まるように止まってしまうのだろう。
プッツンてね。
That’s all.
 
ブルーハーツの「夕暮れ」と言う曲を聴いた。
 
はっきりさせなくても良い
あやふやなまんまでいいんだ
そう歌われているけどしみるね。
 
何でも答えを求めたがるよね俺たちは。いや君たちも。
そんなことない?
 
夕焼け、夕焼けが美しい、赤、太陽の赤、命の赤。
誰もがちょっとだけ足を止めてしまって眺めるんだろう。
でもそこでぼーっと暮れゆくまでたたずんでいる人もいないよな。
みんなちょっとだけ眺めて自分の世界に帰っていくんだ。
せいぜいすれ違う位だろう。
すれ違うときに何かがそうそう生まれるわけでもない。
そんなことだってわかってる。
 
それでも、夕焼け空は赤い 命のように赤い。
いい歌だね。
いい歌だね。

 

夕暮れ

夕暮れ

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  • ブルース
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#591 音楽の夜だ。

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久々の「ぞーな」の親鶏タレ。



 

昨日は神戸ガレージのセッションだった。
 
相棒が1人いないだけで、なんだかaway感満載ではじめたけど、バイオリンを弾いているとそんなことを忘れてた。
楽しかった。げんきんなもんだな。
 
音楽でも、最後にはplayするのは人間だし、その人たちと気持ちよくやれるってことは最重要である。
うまいへたももちろんあるけどね。
 
昨日、joinさせていただいた楽曲では「嘘は罪」がブルースっぽくってよかった。
彼女のハスキーな歌声のバックでバイオリンを弾ける喜びを噛み締めた。
ナベセンセが楽譜くれて、メインでは「Let it be」弾かせてもらった。
ハトケンさんの「My Way」はラスト近くでゴージャスに盛り上がったな。
 
そしてセッションが終わる。
この余韻は一人で味わうべきだろう。
そうだ。こんなときは、気を使わなくっていい場所で雨やどりだと、
雨に打たれて、ひとりで「ぞーな」に行って鶏を食って、飲んだんだよ。
 
ほんと人間には無駄な時間がたくさん必要だ。
無駄でかつ有益な時間。
そいつは自分で作らないとやってこない。
そうなんだよ、時間ていうのはほんとにかなりストイックに意識しない限り、天井から勝手には降ってこないんだよ。
 
着物の素敵な女性に、
清少納言紫式部とどっちが好きかと言う話を振られたけど、どっちもわかんない。
だけど、清少納言といえば学校で習った「枕草子」で、
自分の書いた歌詞の一部が、
清少納言の「枕草子」からインスパイアされてとったんですよ、と、彼女たちに、自分だけに分かる解説を付けてみたりした。
 
春の宵、
夏の闇、
秋の風、
冬のぬくもり。
 
そうやって季節は巡ってゆく中で、二人は出会って別れて、またやり直そうとするんですよね。
で、二人がこの世から消えて、思い出すヒトが誰もいなくなっても、やっぱり季節はそうやって巡ってゆくんですよね。
「カレンのテーマ」の一節だよ。あはは。
 
音楽の夜だ。

#590 せとうち性病クリニック

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こんな仕事も頼まれてやったよなあ・・。



 今日は海の日で透析業務。

机の端っこに積み上げられた書類をちょっとずつ片付けていく。
 
4月に川崎医大の血液内科学・和田先生から送られてきた小冊子を眺める。
平成29年度から開始した
「MSM に対する有効な HIV 検査提供とハイリクスハイリスク層への介入方法の開発に関する研究」の小冊子だ。
 
 
今はコロナウイルス ばかりが前面に出てきて、梅毒とかHIV とか、そういった 疾患が鳴りを潜めているように 思えるけど、やはり性風俗産業とか複数のパートナーとかそういった社会が続く限りは HIV は根絶することはできないだろう。
だったらやはり早期発見治療をしていくためにはどうしたらいいのかということを考えることは有用なんじゃないかなで。
 
当院も MSM(Men who have Sex with Menまたは Males who have Sex with Males) の方の HIV 検査の窓口にならせて頂いたわけでした。
「せとうち性病クリニック検査」というプロジェクト。
いろんなとりくみが本当にあるものだね。
愛媛県では二つの泌尿器科医療機関が登録して検査の窓口になりました。
概要は以下にあるので、興味惹かれた方はどうぞ。
プロジェクトに携わったみなさん本当にご苦労さまでした。
 

#589 三津浜散歩 2020/07/16

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魚屋の猫

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ネコ専門店

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なんのお店だろー

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夢の跡先


 

知らない街を歩く。
でも知らない街も、数回歩いていると知らない街ではなくなってくるんだ。
かき氷屋の向かいの道に、昼前だと言うのに人がたくさん並んでいる。人気店なんだろうね。
そこをしばらく過ぎていくと、フラメンコの教室の前にキッチンカーが止まっている。
「921」というかわいい車だ(正確には921Kitchenかなあ?)。
通り過ぎて行こうとする背中に、キッチンカーの彼女がこんにちはと声をかけてくれた。
それだけで嬉しい。
廃墟のようなビルの1階によくわからないけど魚屋さんがあって、ばあちゃんが魚をさばいている。
魚のせいか、向かいの路地には猫が寝そべって、でもこちらを警戒した目で見ている。
ばあちゃんに「こんにちわ」と声かけたら少し目を潜めて、それから目を大きく開けて「こんにちわ」と言ってくれたんだ。
そういえば、三津浜にはなんだか猫がちょっと多いね。
商店街は交通量が少ないせいもあるのかな?
この街で慌ただしく散歩をして、そしてまたクルマに乗ってサックスのレッスンに出かける。
春に手に入れたテナーサックスも、少しずつだけど低音が出るようになってきた。
音楽には魔法が内包されているので、打ちのめされても厭きることはない。
またなにかにたち向かってゆきたいという「力」をくれる。
せわしいけど、なんだか少しだけときめいた気分だ。
そんな日があってもいいだろう。

 

#588 人生がブルースみたいに、1度と4度と5度だけだったらなあ。

Robert Johnson

 

ブルース・ギターをはじめる方法とプレイ幅を広げるコツ (CD付)

ブルース・ギターをはじめる方法とプレイ幅を広げるコツ (CD付)

 

 

ブルースギターの練習をしていると書いた。
 
どんな分野においてもそうだけでお、ビギナー編はまあまあ良くっても、中級編になると皆目歯が立たない。
 
そして自分は一応分類的には理系なんだけど、
それが関係あるのかないのかわからないけど、
やっぱり理屈がともなってないものに対しては、反復したときに再現性が乏しいものだだから、
運指とかコードの理屈を考えながら呻吟しながらplayしているので、手が止まってしまう。
 
ま、進まないってことですね。
 
これは歳をとったことの弊害なのか、それとも慎重だからいいことなのか?どっちなのだろうかね。
 
基本的にはブルースというのは、
セブンスコードを使った1度4度5度からなる12小節の繰り返しだ。
1度から4度に行って1度に戻って、(中略)最後は5度から4度に下って1度で帰結すると言う非常にきれいな構成だ。
 
人生もブルースみたいに、1度4度5度だけで成り立っていたらいいのになぁなんて思ってしまった。
それだったら、渋くってシンプルな人生が送れたかもしれない。
 
そう思わないか?
 
でも、よくよく考えると、
ブルースが内包している
メジャーじゃなくってセブンスのコードが、人生のブルーを醸し出すんだ。
やっぱりフラットセブンがブルースそのものであり、人生の憂鬱(blues)を内包しているのだろう。
 
ほらね、こうやって「理屈」こね回しながら、「ブルースギター」に立ち向かっているわけでありますよ。
 
そしてそれをコード構成の途中をツーファイブワンとかに分解したのがどうもジャズブルースらしい。
そして音が移行するときにdim(ディミニッシュ)とかが登場するんだけど、
このディミニッシュコードと言うものがジャズには結構出てくるんだけど、
この居心地の悪い中の居心地の良さがやっと体感できるようになってきたのです。
 
うんうん、サックスを始めて6年ちょっと、
少しはジャズが染み込んできたかなあ、なんちゃってね。