だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#608 久しぶり「酔っ払い画伯」

 
昨日は「おゝたき」さんの7周年で飲んだ。
店ができてもう7年か。そりゃみんなとしとるはずだ。
「雪雀」の振る舞い酒をMaiちゃんに作ってもらって、ぐわしぐわしといただく。
料理は相変わらずの絶品続き。目が点の連続。
 
というわけで、飲んだり食ったり飲んだりだけど、
健全か不健全か、ともかく、人間は週に一回くらい壊れんといかんなあ。
特にこんなコロナの季節にはなおさらだよ。
とりあえず手っ取り早いのはこうやって飲みにゆくことだ。
そして飲みにゆくことは、究極、人に会いにゆくことだ。
 
ちょっと裏通りは、あかりが灯ってなかった。
メインストリートの大街道のラーメン屋も、コロナ収束まで休業と札がかかっていたりした。
なんだろうねこの閑散ぶりは。
でも、足を伸ばした街のハズレには知らない店ができて、ひっそり明かりが灯ったりもしてるし。
とにかく、そんな通りで4軒の店を堪能したんだ。
 
色んな人と触れ合って、理解できるわけもないけど、また会おうねって手をふる。
彼らには彼らの生活が、そして、僕らも僕らの日常に帰ってく。
またあおね。あえたらいいけど、あいにいこうっていう意志がいちばん大切なんだ。
 
あっこちゃん(矢野顕子師匠)のうたにあるよね。
 
「義なるものの上にも
不義なる者の上にも」
静かに夜は来る みんなの上に来る
いい人の上にも
悪い人の上にも
静かに夜は来る ほら みんなの上に来る

 

ごはんがたけたよ。
 
人間は血の詰まった袋で、さよならだけが人生かもしんないけど、ね。
そんなわけで、久しぶりに、隣りに座ったあんちゃんの絵も描かせてもらった。
小皿を借りて、水彩で簡単に色もつけてみた。
久しぶりだね、「酔っ払い画伯」!
 
つらいことばかりあるなら 帰って帰っておいで
泣きたいことばかりなら 帰って帰っておいで・・・
 

 

「おゝたき」さんは、「帰ってく家」にかくしてなったのでした。
 
ごはんができたよ

ごはんができたよ

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#607 しんすけ’sキッチン ★ナスと肉のエスニックビール煮

 
タサン志麻さんじゃないけど、
最近は献立をきっちり決めるのではなく、
メインの食材をなんとなくイメージして、
それで買い物先で現物色々見て考えて、帰ってきてまた作ってるうちに変わるというそんな感じだ。
 
今は、ナスが好きなので、
島村楽器でのviolinのレッスンのあと、隣接したエミフルで「伊予長なす」を5本購入。
おつとめステーキを見つけたので、それとあわせることとする。
素材の味を引き出したかったので、ミートソースと言うかトマトソース風をやめにする。
作ってるうちに量的に家族三人ならこれで十分と判断し、付け合せのキャベツサラダも中止に。
料理作りながら、国産のジンを飲んだりしちゃうのだ。
そのうちに家人が帰ってきて、娘が帰ってくる。
 
【材料】
・なす5本
・2割引サイコロステーキ1000円分
・ズッキーニ1本
・しめじ大1袋
・賞味期限の切れたビール(料理用に残しているのだ)
・塩コショウ醤油
 
staub鍋にオリーブオイル敷いて、輪切りのナスを炒める。
少し柔らかくなったら重たい鉄の蓋をして蒸し煮、
適当に塩を追加。
更に柔らかくなったら、ズッキーニとしめじを追加してさらに蓋をして待つ。
柔らかくなったら隙間を開けて肉を焼く。
ビールを投入。コンソメキューブと醤油を追加。ビールは野菜が浸かるくらいまで。
蓋をして弱火で。
さいごに、胡椒とクローブフェンネルで風味を追加して、中華みたいに水溶き片栗粉で。
 
今日は赤ワインを家族3人で。
 
これはうまいわ!
 
P.S.
 
エディ・ヴァン・ヘイレン氏とレッツゴー三匹の正児氏に黙祷を。
二人はオレの青春の一翼を担っていた(この手のロックにはうとくってもみんな知ってた)。

#606 便座が割れた、、

 
院長室の便座が割れた。
ひびが入っていたのだけど、その状態で何ら不自由もなかったので放置していたら、ある日完璧に割れた。
 
ケツの右の部分がはまるあたりが真っ二つに割れているので、座る時にそちらには体重をかけないように気を付けなければいけない。
それでもやはり、きばる時にはきばらなければいけないのだ。
きばれないのは、またこれはこれでストレスだし、困ったものだ。
 
その状況で一週間ちょい粘っていたけど、やっと新しい蓋がついた。
本当はウォシュレットも 考えたかったのだけど 、ユニットバスで17年前の設備なので、電源も引き込まなければいけないしなあ、
そんな金のかかることをうんこのために・・と思って言わなかった。言えなかった。
なかなか快楽主義者になれないせこい自分である。
うんこのことなのにね。
 
たかがうんこ、されどうんこ、
うんこは日々の生活の糧で、健康のバロメーターでもあり、その人の人生の指標でもあり、人生の糧でもあるのにね。
 
そういえば、
「えひめ排泄ケア研究会」で、おしっこのことから派生して、うんこのことを色々教えていただいた、NPO法人・トイレ研究所のKATOくんは、
災害トイレやらいろんなことで幅広く活躍してるけど、彼はいろんな出先で、ストレスでうんこが出なくなることなんてないのかな?  
自分は、旅先とか、場所とシチュエーション変わるとすぐに便秘になるからねえ。
自宅のトイレにまさるものはなしです。
 
ついでに言うと、
結構寝たきりでオムツ排泄をされている方のバルーン交換に関わることが結構多いのだけど、
やはり便の調節が自力ではうまくゆかず下剤で調節している方は多く、自分の意志と関わらず 排便失禁があって、バルーン交換の時に大量のうんこと遭遇することはあるのだけれど、なかなか自分の下(しも)のことなのに、バルーンが入ったり、自分の意志と関係なくうんこが出たりと、なかなか人生というのは歳をとるとままならないものだというのが悲しいけど現実だし、我々医療者がいくらかかわっても、その人がコンフォータブルと思っていただけるような状態までもっていくことは難しいのが現実でもあり、そんな時、患者さんの亀頭を握りながら、オムツに付着した便を見ていると、なんだか急に悲しくなることもあるんだよ。
 
やっぱりうんことおしっこは大事だよ。
そしてオレはおしっこの医者だという現実をやはりこんなときにもう一度噛みしめるのである。
 
うんうん。
 
うんちはすごい (イースト新書Q)

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  • 作者:加藤篤
  • 発売日: 2018/11/10
  • メディア: 新書
 

 

#605 たまにはうれしいことだってある外来診療。

 
夕方、疲れた外来の終わり、
診察が終わり、かけ出ていこうとされた患者さんが、意を決したように踵を返した。
かばんから、自分で描いたというスケッチをとりだして、みせてくださった。
初めて診察に来た時の待ち時間に観た絵に興味を覚えてくださったのだと。
 
うちの病院には、
泌尿器科外来周辺には自分の絵が、
内科の診察室前の回廊には、内科Drの水彩画が溢れかえっているのだ。
 
彼女は、30年ぶりに描いたといわれた。
 
素敵な絵だったので、無理を言っていただく。
「家ではね、しょうゆとかの下敷きにしてるんですよ」
「いやいや、すばらしいです」
カラーコピーなのでどうぞといってくださる。
 
スタッフに聞くと、「アルストロメリアじゃないでしょうか」と。
花言葉を調べると「幸い」とある。
 
ほんとに「幸い」というか、ほっこりしたぬくもりが降ってきた感じだね。
 
赤い花束が、一見ラフな輪郭で書かれて拡がっている。
ササッと塗られた紅と緑の淡い感じがまたいい。
みなさんに、お見せしたいくらいだ。
 
ま、いいか^^
ちらみせしときます。
 
で、外来の、今は使われないシャーカステンに飾ってみた。
(シャーカステンってわかります?レントゲンフィルムをみるための光源ボックスなんですよ。)
時代は変わるよねえ。
パソコンでレントゲンみるなんて、20代の自分に教えてやりたいよ。ね。
 
こんな素敵な体験とともにね。

#604 だからおれは多分「死」はまだ選択しない。

岩井俊二監督のYouTubeのサイトで、「チャンオクの手紙」という2016年の韓国ショートムービーを見ることができた。
7日間限定の公開らしく、4本で多分1時間ちょい位だろうか、
あの是枝監督の空気人形の辺の主演の「ペ・ドゥナ」さんが主演だった。
やはり自分は彼女が好きなんだろう。
チャンオクの凧と手紙

チャンオクの凧と手紙

  • メディア: Prime Video
 

 

ーーーー
 
最近ときどき感じているこの感じは、なんとなく焦燥感と違うなぁと思う。
まあコロナに関しては焦燥しまくりではあるけどね。
 
酒を飲みながら、仕事をしながら、
周りの声をなんとなく聞きながら自分が浮遊した感じになる時、自分の中から湧き上がってくるこの感情のことだ。
自分はここに属しているかもしれない、でも昔ほど「緊密」ではない。
 
身がちぎれるような焦りと言うのでは無いなあ、日頃時折感じるこの感じは。
 
じゃあなんだろう?
 
「諦念」だろうか。
どうせ頑張っても先は決まってるんだから、ゆっくりあきらめたらいいのよ。
いやそんなペシミスティックでもないなあ。
 
この感じは、
もしかしたら、焦燥感ではなく、
ある程度達成したものの抱く「感慨」(あるいは「ため息」)のようなものなのかもしれない。
 
そういえば、
今までの人生でも、楽しいこともたくさんあったけど、辛いことだって嫌なことだって星の数ほどあった。
あんなこともそんなことがあったね。
 
その「悲劇」はまた、
「ヒトサマやオレサマが愚かしいゆえに繰り返されるかもしれない」だろう。
でも、今までなんとかクリアしてきたんだから、
今度おんなじことが起こっても、第一回目よりはちっとはマシに「対応できるんじゃないのかな?」という、
なんていいうのかなあ、
「オトナ」の気持ちなのかもしれないなあ。
 
フレッシュな青い果実ではなく、
ドロドロの腐る寸前の完熟を超えまくった果実でもなく、
まだ枝から自重でボチンと落ちて潰れてしまうよりはちょっと前の熟成度くらいのおっさん、
それが今の自分だろうか?
 
だからおれは多分「死」はまだ選択しない。
 
でも薄っぺらの「生」はまっぴらだ。
 
個人の自由があるから、なるべくヒトサマに意見はしないようにこれでも気をつけているつもりだけど、
パワハラだと思った皆さんにはsorryですけどね)
おれはもうペラペラに飛ぶことや、必要以上に誰かの顔色を見ながら生きてくのはもうしたくないんだよ。
 
ーーー
 
Baby。
 
あの世からでもいい、
この世にいたらなおさらいい、
会えなくっても幻でも、だから声を聴かせておくれよ。

#603 60歳。

https://www.instagram.com/p/CFquSoMD0E4/

相棒のバースデイ。家族で祝う。#ルトワルージュ

 

家人が先日誕生日を迎えた。
 
家族で「ルトワルージュ」で贅沢なフレンチ・コースとワインを頂きました。
いつもごちそうさまです。
 
次は自分の番だ。いよいよ六十歳になる。
六十歳といえば今の時代ではまだひよこと言ってもいいけど、やっぱり区切りは区切りだからね。
 
生まれて色々あって18で高校卒業したけどダメでやっと20歳で大学に滑り込んだ。
愛媛大学医学部。
なのにもう23歳で学生結婚して、それからも色々あって、初めはその気もなかったのに大学勤務のときに二転三転して、38歳で家人と開業した。
開業する前の数年ではあるけど、泌尿器科から腎臓内科になって日赤で働いた。これまたつらい日々だった。
 
開業すると、それはそれはお金というものに押しつぶされそうになりもうブルーで本当に、生きているのは嫌んなることも何度もあった。
でも自分で始めたことだからと、 どうにか頑張って53歳で借金を返済した。
それからを自分では勝手に「余生」と呼んでいる。
そのちょっと前、50歳の時には半世紀の男と言うことで、自分の中では非常に焦りがピークに達してたのにね。
だけど53歳で借金を返済したら、次からはさあ青春だという風にけろっと変わるのだから、人間なんて単純なものだ。
 
53歳になってやっと借金フリーになったので、色々今までできなかったことを始めた。
もちろん病院があるので旅行はできなかった。
ナベサダのコンサートのあとで盛り上がって、
サックスを皮切りにバイオリン、ドラム、
そして同じ医師会の先生の突然の死を目の当たりにして、リタイヤーしてからって思ったピアノも始めてしまった(うまくなる気がしませんけど^^;)。
 
やりすぎだと言われるけど、どれも止めることはできない。
 
59歳からは独学ではあるけど、再びギターに取り組み始めた。
lowコードだけ弾ける人間で終わりたくないなと思ったのだ。こちらも進歩はあるものの遅々としてである。
今は、基本的に、野郎4人のバンドで、楽しくギター弾いたり、時には歌う。
 
開業してすぐに母親が死んだ。
2年ほど前に現役医師を最後まで続けた父親も、急逝した。
どちらも死に目に会えなかった。
プラグマティックな彼らは、自分たちの墓を立てて、「無宗教」でその下に鎮座している。
儀式もなにもない。
自分もまぶたを閉じて墓の光景を思い出すくらいのことだ。それでenough。
 
死んだあとにはなにもない。
 
いろんな人が誘ってくださったおかげで、音楽を実際人前でプレイすることも僭越ながらできるようになった。
音楽を通しての人間関係も、やはり人間関係には違いないので紆余曲折ありますけど、
今までの医療関係の付き合いとは全く違って面白い。
医者と言えば同業者とか MR さんとの付き合いしかなかったからね。これはちょっと大げさかな?
でも、自分にとっては本当に視界がパノラマのように開ける瞬間だった。
 
そして 世の中の仕組みが変わってきて、医局制度があまりかつてほどの重要さを持たなくなり、フリーターの医者とかも出来たおかげで、うちの病院にもアルバイトの先生が来てくれたおかげで 一泊二日の家族旅行に行けるような贅沢な気分になれた。
これも素晴らしいことだった。
 
順不同だけど、思いつくままに総括してみました。
(昨今いろんな方がなくなられてますけど)死ぬ前には、こんな景色が走馬灯に流れるのかいな・・いや、そんなことはないな。絶対に。
 
だったら今やっとけよってことでしょうからね。
 
そして この冬で60歳になる。
60歳になった自分はそこからどんな風景を求めるんだろうか。

#602 セッションと飲み屋での演奏と彼女とキーボード。

 
iMacのキーボードの上に半分に割れた亀頭の模型が載っていた。
今日、診察の時 ED の方に説明するのに使って、それが何かの拍子でここまで流れ着いたのだろう。
ちょっと面白い光景だ。
そう思って写真に収めてみた。
 
それにしてもまったくまったきのコロナである。
コロナは人の意思をどんどん矮小にさせていくような気がする。
まあコロナだから自粛しよう、まあコロナだから気をつけよう、コロナだから、コロナだから。
 
何がコロナだ。
一番大事なのは 止まらないで前を向いて進もうとする意思なのだ。
それを奪われてしまっては 人間は生きている価値など ないのだと思う。
結果よりもむしろ今は「意思」を尊重したい。
 
昨日はセッションだった。
自作の「コロナのワルツ」という曲を、キーボードとウクレレをバックに演奏させていただいた。
何曲かウクレレの演奏にも勝手に加わった。
彼女が初めて持ってきた、超重たくでっかい88鍵のキーボードを担いで、いつもの「お多福」に行った。
二人で盛り上がった。
また二人でコラボしたくってウズウズしていたのだろう、そんな顔をしてたんだろう。
重たいキーボードを担いで出てゆこうとする我々に、入り口のお客さんが、「あれ、演奏しないんですか?」と言ってくれた。
そんなわけで、マスターも 演奏に許可を出してくれた。
自分はバイオリンを弾いて彼女はキーボードでピアノの音を出した。
バッハやら、上を向いて歩こうやら、やったかなあ。
次に行ったベトナム料理屋でも二人で演奏した。
まるで奇跡のような夜だった。
 
音楽をかなでることやら学ぶことにもかなり疲れていたけど、こうやって音を出すことだけで人はつながることができるんだというキセキに何度も何度も乾杯したい気分だった。
音楽にも最低限のルールがある、そのルールの中で最大限に遊べるような人間にもっとなりたい。
だからまだまだオレは学ぼう、前を向いて進もう。そう思った。
とにかく素敵な夜でした。
 
M先生ありがとうね。また遊んでね。