だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#646 フニャチン野郎

L'Ours blanc de François Pompon

(いけなかったポンポンのクマ)

 

フニャチン野郎という言葉が出てきた。
ふにゃふにゃのおちんちん、硬くもなく萎縮してもあらず。
勃起したおちんちんがえらいのか、ふにゃちんがえらくないのか、とか、そういう問題ではない。
とにかくなんとなく今の気分がふにゃちんなのだ。
 
例えば インサートが可能だったとしても、そこで萎えることなく、
(EDの方の大半は、なんとか挿入まで至ってもすぐだめになっちゃって、それからが二度と無理なんですよねーと高確率で言われる)
ふにゃふにゃのままずっと興奮するわけでもなく、かといって抜けちゃってダメになるわけでもなく、
なんとなく
なんとなく
そんな状態が、今の気分なのかな。
 
コロナ下で医療崩壊の大都会に比べるとこの愛媛なんてまだ平和だし、それでも基幹病院では休みもクソもなく医療者は働き続けられているのだろう。世界はもとに戻らないし、このあたりのことを考察し始めると果てしなくなりそうだし、それで極北まで言ったからと言って結論が得られるわけでもない。
 
だから、やっぱりこの例えはかなり不謹慎かもしれませんけど、
やっぱりこの世界の片隅で、
あっちにもいけずこっちにもいけず、
フニャチン野郎になっている。
 
(ひさびさのblog更新なのになあ・・)
 

#645 朝の始まり、珈琲を入れ、万年筆のインクを充填する。

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今朝は久々に起きれなかった。
体が動かなかった。
こういう時間もでも必要なんだと思う。
朝起きてコーヒー豆を挽いて、 スペシャブレンドをドリッパーで入れる。
Ramyの万年筆に顔料インクを充填する。
そういった一見合理性を省いた無駄なような作業が時間に輪郭といろどりを与えてくれる。
仕事になると時間に追われはじめ、この時間までに終わらなければ次に行けないとか、そんなことばかり考えていたずらに疲弊してしまう。
今日は昼から コロナの集団接種なので、外来受付時間を普段より早めに設定している。
インシデントやらアクシデントはあってはならないことだけど、そんなものを内包しながらも、医療行為は絶対に進めてゆかねばならない。
それが終わるのを見越して、夕方は綱渡りのように久々の現地学会に参加し、その後は夜の街で撃沈する予定だ。
明日は久々のバンドの練習だ。
亡くなられた小林亜星さんにinspireされて、「どこまでも行こう」を自分なりにアレンジしていた。
できてみればシンプルだが、生まれで初めてベース譜も書いてみた。
でも、俯瞰から鳥のように眺めてみると、結局プランがあるようでノープランだ。
それでも止まっているよりはマシだろうし、そうしていかないと先には進めない。
いつのまにこんな事になってしまったんだろうと思っている自分を、鳥の視線で眺めて、その鳥が下降して、眠っている自分の中に入って、朝が始まった。

#644 あげないコロッケ。

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あげない芋コロッケだよ。
 
#じゃがいもを皮ごと茹でる
#玉ねぎをみじん切りにして フライパンで炒める

#ある程度炒まったらミンチを投入して塩コショウ ナツメグをふる

さましておく
#茹で上がったじゃがいもは 水分を捨てて、ベロベロになった皮を取る
#じゃがいもは潰して 炒めたミンチと混ぜて粗熱を取る
(ここでタイムとか、五香粉とかお好きなものを入れるのもあり。いれました。)
#グラタン皿に水を塗って 素材を入れて
(溶けるチーズはお好きに)
#ジャガイモのくぼみに生卵を入れて パン粉を振る
#オーブン240°20分(適当) にて完成
 
じゃがいもをたくさん頂いた。
やはり頭に浮かぶのはコロッケだけど、大量の油と衣を考えると、臆してしまう。
平野レミさんの、「あげないコロッケ」思い出したけど、
それとちょっと変えて、グラタン風にして作ってみた。
グラタンをより意識すると、ホワイトソースとか生クリームとかの投入になるけど、
あくまで「あげない」というファクター付きの「コロッケ」ですからね。
 
今回はブルドッグのごまたっぷりかつソースも新たに購入して、かけましたよ。
コロッケはおしゃれなトマトソースじゃなくって、やっぱりとんかつソースで行きたいよね。
 

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#643 ジェスチャードローイングはじめました。

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昼からコロナの集団摂取、
それまでに日常ルティーンを補完する。
 
「パルミー」でWeb講座を勉強している。
1w前から、ジェスチャードローイングという手法を始めた。
1wの無料期間が過ぎたので、決意して有料講座に切り替える。
 
youtubeで勉強していたりもした。
一つを見ていると、そこから紹介されて、どんどんどんどんとリンク先に飛んでしまい、そこにまた見入ることになり収集がつかなくなって集中できなくなった。
youtubeは知識の宝庫だけど、自分には宝のそびえ立った山過ぎて崩すこともできないことに気づく。なので一冊の本で勉強するほうが有用だと思っていたが、これまた玉石混交でセレクトが困難だ。
 
で、最近、Web講座にたどり着いたわけだ。
 
PCの画面上とはいえ、動くモデルさんがポーズを撮ってくださるのはありがたい。まさにデッサンだ(ホントのデッサンしたこともないのに偉そうですんません)。
 
今朝は、「ジェスチャードローイング ヌード編」の4日目だ。
全部で30日。
モデルさんの固定ポーズ、1分が5回、2分が4回だ。
ひたすら描いて、あっという間に時間がすぎる。
その後で、下書き無しでできれば一枚絵を万年筆で描いてみるのが自分に課したルーチンだ。
 
講師の砂糖フクロウ先生の名言を、
 
「この世に線というものは実は存在しないんですよね
光と影の境でしかない
でもいいんですよね、
線を描くことによって、脳が補完してくれるんです(!)」
 
かくして人類補完計画のために、今朝も描くのでした。
 
 

#642 久々のマット・スカダー

石を放つとき (マット・スカダー・シリーズ)

 
さぁ、新しいiPadの方にもspeechという音声アプリを入れた。
これは制限時間なしで音声入力をしてくれるアプリで、いろいろ音声入力を試していてこれが1番良いと言うことに落ち着いたのだった。
 
今日は休みだった。
 
久々にカホンも叩いた。
サックスはほとんどいじってないのでしょぼい音だったけど、それなりに吹いた。
帰ってきて久々の紙の本のページを開いた。
ローレンスブロックのハードボイルド「石を放つ時」と言うハードカバーの本だ。
新作といっても、これは過去の短編+石を放つ時という中編のふたつが合わさって1冊の本になっていると言うものだ。
 
マットスカダーシリーズはなんのかんの言って大学時代ずっと側にあった、唯一残っているハードボイルドシリーズかもしれない。
本屋で筒井康隆氏の新しい文庫本を手に取り、Kindle版があったのでやっぱり家でダウンロードして読もうかなと思ったのだけど、アマゾンで買っていたこちらを先に読もうと思ってやっと開いたのだった。
 
感慨深く読み進めた。
 
実はデュカプリオ版のグレート・ギャツビーを映画で見て、
これもずっと前から買い込んでなかなか手がつけれない、村上春樹訳のグレートギャツビーを読もうと思ったんだけど、やっぱり何と言うのか1ページ目で眠ってしまうわけですよね、ベッドで本を読んだりiPadを見ていると。
ホントすぐに寝てしまうわけです。不思議なくらいにね。
 
歳をとると焦る気持ちだけは増えていって、でも自分にできることの限界も10分認知するわけで、まぁいいやとそれでもできることをするだけだと、自分に言い聞かせて生きているだけです。
何が言いたいのかわからないけど、久々に紙の本を手に取ったので書いてみました。
 
そういうわけでブログに何を書いたらいいのかもわからず、目の前のコロナとか目の前の患者さんに対応することがやっとのような日々を送っているわけで、それ以上でもそれ以下でもなく、自分という人間存在は、まぁほんとに日々を粛々と生きていくしかないのだなと思いながら、日々の仕事を粛々とこなし、コツコツと絵の勉強はしているくらいのことであります。
といっても、自分の描く絵はイラストの範疇に入るような絵で、本格的な水彩画でも油絵でもない。
今はWebでジェスチャードローイングのレクチャーを受けています。
ウェブに(それは来週になったら有料課金になってしまうし、多分自分は有料課金するだろうけど。Webにこんな素晴らしいものが眠っていたと言うのはびっくりです!紙の本の方が自分のペースのでできるんだけど、紙の本も今や玉石混合ですからね。Webはいろんなコンテンツがあって自分で取捨選択できるのがメリットではあります。取捨選択がまた余計に混乱の元でもあるんですけどね)
 
そういうわけで生きとります。

#641 つれづれ、しんすけsキッチン

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#2021/05/18
コロナワクチン個別接種初日。
おいらは、closeしてしまった公共施設のために、発表会がなくなり、
今日、島村楽器のピアノルームで独りで演奏する。
「朝日のようにさわやかに」、
pianoをめぐる冒険はまだ始まったばかりだ。もう何年も経つのに。

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#2021/05/17
 
いただいたそら豆と韓国唐辛子の粉で自家製豆板醤をネットで調べて作ってみる。
生麹を入れたので、もしかしてカビが生えたら嫌だなと、何日か経ってから冷蔵庫に入れる。
今のところは、熟成するまではいってないけど、カビも生えずに、待てずにちょいちょい料理に使っちゃっているけど、なんだかいい感じ。
その自家製豆板醤で、「かき」の辛味噌炒めを。牡蠣は片栗粉コーティングで予め炒めて取り出してまた最後に投入。
合わせ調味料は、味噌と醤油とみりんと醤油に砂糖も入れる。
でもベースには豆板醤で炒めてあるので、そちらの「辛味」も合わさって、
さらに冷蔵庫の中の柑橘系も入れてみたのでなんだかちょっと爽やかな味。
野菜はニラともやしとしめじだったかな。
これと焼きそばパンを合わせるという力業で行ってみました。
 

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#2021/05/16
 
雨がブルーなのではない。心がブルーなのだ。
 
エミフルの特設会場で、バナナのシェイクを買った。
商品にはすべて「恋バナなんちゃら」と入っているわけで、この爺が買うのは照れくさい。
「どれにされますか?」
「砂糖なしのがいいなあ」
「甘いのお嫌いですか」(甘いの嫌いならバナナジュースはのまんやろねー)
「いやいや、そりゃあダイエットに決まっとるでしょう!」
「あらー」
で、手に入れたbanabeeのバナナジュースは十分に甘く、
ネコネコパンのパンとともに、昼の胃袋を堪能させてくれたのでした。
 
ああ、だめだ、こんなん書きたいんか、ほんとに。
おれ?
だめだ。
 
#そうしているとあっという間に日は暮れてゆく。
ホットプレートを出して、いそいそと。
新玉ねぎのピザ風、塩麹4日ほど仕込んでいた豚ブロックを中心に、焼き野菜で攻める。
ワインと焼酎と、切ない気持ちと。
 

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加藤和彦さんのCDにこんなタイトルがあったな。
「優しい夜の過ごし方」、
彼の粋な歌は、どうしてこの世に彼をとどめておけなかったんだろうか?
 
 

#640 A Small,Good Thing. その2 Naomiさんの銅版画をやっと廊下にかけたよ。

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エキセントリックに生きている人は何人か知っている。
そういった人の中ではやっぱり女の方の占める割合が多いような気がする。
男女平等とか男尊女卑とか、まあいろんな言葉があるけど、やっぱり 「男社会」というのは、いい使い方で言うと男中心の社会だけど、逆に言うと男は社会から抜けきれない生き物なのかもしれないとも思う。
Naomiさんはスーパー主婦であり、芸術家であり、まさにエキセントリックな人だった。
「誰かにできるのなら私にできないわけがない」というのが心情だったと聞いた。うん、うん。そうでしょ。
自分より少し歳上の姉御。星新一の本も借りた。石川セリのCDもダビングしてくれた。自分の落書きをエッチングにもしてくれた。 一緒に料理した。とある論客と夜の街で激しい論争を繰り広げた。
彼女が亡くなられてもう何年にもなる。
亡くなられる前数年のことはよくわからないけど、多分自分で自分の色んなことを整理して逝かれたんだと思う。
彼女がエッチングをする偉大なアーティストだというのを知ったのは、付き合い始めてから何年か経った時で、その作品は彼女の感性そのままに鋭く 繊細なエッチングだった。見せてもらって、そのうちの2点を自分は所有させてもらっている。
この一点はずっと院長室に眠っていたもので 病院には似つかわしいなと思っていたのでなかなか表に出なかった。
だけどあらためてこうやってみると、これも決して不気味な存在ではない。
なので廊下にディスプレーさせてもらった。
これから、毎朝、そして 一日のうちに何度か通る廊下で、彼女の「作品」の存在を感じながら生きていくという日々が始まるのが、なんだか嬉しいようで悲しいようで、やっぱり嬉しいんだと思う。
Naomiさん。