だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#188 「ザ・パシフィック」という太平洋亜熱帯での日本軍との消耗戦のドラマについて。

【通常版】 THE PACIFIC / ザ・パシフィック コンプリート・ボックス [Blu-ray]

■2014・summerあたりの記録から。
最近見た映像はNHKの「ペルリュー島戦記」、お盆の頃はいろんな戦記モノやらドラマが放映される。
岩穴の要塞にこもった日本軍は米軍精鋭海兵隊を相手に壮絶な長期戦を戦い続けた。
米軍ははじめて遠距離殺戮兵器の火炎放射器を投入したのだという
それを家人のTVに録画させてもらって、ひとりでみたのだ。
 
■『ザ・パシフィック』、
トムハンクスとスピルバーグがタッグを組んで太平洋戦争の南方の島々でのアメリカとジャップの戦いをこれでもかこれでもかと描く。おそろしいドラマだ。
 
機関銃の銃座に腰掛けた日本兵。その額から上はない。
脳みそが飛び散ったのち、頭蓋底は池のようなお皿になっている。
それこそ蓮でも浮かべたらいいのかな、彼は涅槃に行ったのか。
休憩のアメリカ兵が、石のつぶてを彼の脳みそのあったくぼみに投げ込む。ちゃっぷんちゃっぷん、血液と雨の混じった池の水は音を立てる。
 
日本人は金持ちだから、みんな金歯をしてる。
オレにはそいつをもらう権利がある。
死にかけた日本兵の口をナイフでこじ開けて金歯を奪い取る米兵士たち。
 
そんなシーンが繰り返し描かれ、闇のなかでジャップが幽鬼のように襲ってくる。
 
松本零士の戦場漫画を思い出した。
機関銃の取っ手に両手が張り付いたままで、胴体はどこかに吹き飛んでない。
そして加熱した機関銃に雨が降り注ぎ、シューシューと女のすすり泣きのような音を立てるのだ。
村上龍の小説でひとりでホテルの部屋で吐いて頭をぶつけるシーンはあれはなんだったろう。
オレハヒツヨウナイ、オレハヒツヨウナイ。
やはり『テニスボーイの憂鬱』かな?
 
■取りつかれたように『ザ・パシフィック』第8話・硫黄島観る。
いよいよ次回は最初で最後の本土戦といわれている沖縄だ。
ユージン・スミスの書いた手記があるらしい。読みたいと思う。
彼も戦争の中で静かに狂気にさいなまれてゆく。
 
そういえば自分は小学校の時太平洋戦史のジュブナイルシリーズをとりつかれたように読んでいた。
サイパンラバウルアッツ島玉砕、ガダルカナル山本五十六人間魚雷『回天』、大和、ひめゆりの塔・・・
あれは同級生に戦争好きのN君という人がいたからだった。
彼は確か高校を中退して自衛隊に行ったんじゃなかったっけ。今やつはなにしてんだろうな。
その戦記にもペルリューは出てきていなかったような気がする・・
太平洋を転々として、米国海兵隊は恐ろしい敵ジャップと対峙してたんだなあ。
 

■『ザ・パシフィック』第9話”沖縄”観る。

雨とぬかるみの熱帯、なるほど、そこは日本という国ではなく、沖縄という熱帯の島だった。
ウチナンチューの女性の腹に爆薬巻きつけて、人間爆弾とする日本軍の作戦。
民間人を盾にその背後に跋扈する日本人兵士。
疲労と徒労と焦燥は兵士たちを狂気に誘う。
 
新型爆弾が広島に落ちた、それはひとつの都市を一発で破壊できるものだ、
そう上官が『原爆』について語るところで物語はぷつんと切れる。
 
沖縄。
沖縄は太平洋諸島の一部なんだ。
世界地図を見るとそのことがよくわかる。
そして戦時中は、大東和共栄圏(?)とアメリカの間の戦略的ベースラインの一つでしかなかった。
そのころの日本人が防衛線としての沖縄のことをどれくらい知ってただろうか?
 
1940年代、バンザイ突撃をして玉砕したジャップたちの末裔として、今オレもここにいる。
あの時代なら、オレは何を考え何をしてただろう。
でもいつも言うように、 ”if” なんてないのだ。
 
『いいか、日本兵はおまえらがおむつをつけてる時から戦場にいた、
ウジのわいたコメと雨水で1ヶ月も戦い続ける、それがジャップ兵士なんだ、
Do you understand?そんな兵士たちとお前らは互角に戦えるか?』
 
新兵を鍛えるジョン・バジロンが吠え立てるように言う。
その彼も硫黄島の砂と消えた。
 
■なぜおれが生還してやつは死んだ?
なぜそこに転がっている死体はあいつでおれじゃない?
それは誰もが考えることだ。
朝起きて、ベットから出る。顔を洗い、一日が始まる。
仕事に出かけ、やるべきことをやる。
その間は少なくとも忘れていられる。
そういうことだ。
 
■どこかの軍事工場の爆発で死んだ帝国軍人の方の勲章を縁あって遺族の方からいただいた。
自宅の机の引き出しに眠っているそれを久々に取り出して眺めてみる。
そいつは戦争の思い出、戦争の記憶。
戦で死んだら、二階級特進とかで勲章を授与されたりする。
その勲章に魂とかはこもっているんだろうか?
 
ブルース・スプリングスティーンの『Born in the U.S.A』という有名な歌がある。
 
オレはイエローマンを殺しに戦場に行った
おれはUSAで生まれた
オレは国のために働いた
オレは今行き場がないどこにもない・・なんて、超訳しちゃったらそんな歌だ。
 
頭のねじが飛びかけたユージーン(ドラマの中では砲撃手をしている)が、死にかけて何とか立ち上がった日本人兵士を、リボルバーで背後からとどめを刺し、上官に行き過ぎだと怒られる。
『オレはジャップを殺すためにここに来た、どんなやり方を使っても、たとえ素手でもおれはジャップを殺す』
ユージーンは吼え立てる。ユージーンの目には狂気が宿っている。
戦場で崩壊する自我と闘いながら、その行動しか、その言動しか、彼には存在理由がなかった。
その彼が、沖縄戦では、とどめをさせと、自らの額にカービン銃の銃口を持ってゆくウチナンチューの女性を撃てないし、塹壕から出てきた無防備の少年兵も撃つことができなくなってしまっている(彼はマンハンティングに喜びを覚えるアメリカ兵に撃たれて絶命するのだが・・)。
帰国した彼は、二度と軍服を着ないと友達に言い、二度と撃てないとピジョンハンティングに誘った父親の前で泣き崩れる。
 
そうやって僕の戦争も終わることなく続いている。そうだ、毎日は戦争で、ここな戦場なんだ、ある意味。だから一瞬足りとも気を抜いてはいけない。
テンションを保て、耳をすませ、神経を研ぎすませろ!
 
なぜ戦争に心を惹かれるのか、その理由を考えている。
『ザ・パシフィック』という、日本軍も絡んでいる南太平洋のドラマたちは、それにヒントを与えてくれる。
 
日常という戦争を生き延びることが、生きるということなら、それはこの人間存在自体が『負』からの旅立ちだったのだということなんだろうか。
 

 

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)