#660 箱の中の彼
うまいものを食って酒に酔って、毎日自分なりに積み上げる些細なことだって探せばある。
それを満足と言っていいだろうけどまだまだ足りない。
「足りない足りない」と言い続けて、このまま命尽きたとしてもそれはそれでいいのだと思う。
成就なんてないんだからね。
仕事は自分が主体ではない。そういうものだ。
自分では、さあ今日は終わりだと思っても、患者さんはコロナになるわ熱発するわ(たとえですよ)、心電図モニターはつくわで(たとえですからねあくまで)心休まる暇はない。
自分だったら諦めてしまえるようなことも、その患者さんにとっては100%のことなんだからね。
仕事をしていての満足ってなんだろう?という問いは、
生きていての満足はという問いにもつながる。
でも、前述の旨いもん食って酔ってというシンプルネスが人間にはあるので救われているのだと思う。
カスミ食いながら半坐位のポーズで地球の行く末考えても仕方ないもんなあ。
焼き鳥食いてえ!
子供が小学校低学年のとき作ってくれた人形を、外来に立てかけていた。
もう10年以上、オレの分身はそこに居た。
先日、決心して、彼女にも許可を得て人形を捨てることにした。
箱の中の彼のことを今朝天啓のようにたた。
外来では立て掛けていたのだけど、家で、絨毯の上において写真を撮ったのだ。
これは墓に入っている男だと。
それが悲しいとかそんなわけではない。
どんなに苦しい死のあとでも、
死んだあとはみんな安らかな顔になるし、たとえそうでなくとも安らかな顔にプロがしてくれるだろう。