だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#259 ブラックジャックにはなれなかったけど・・

ブラック・ジャック 1

細々と再読し続けていた「ブラックジャック」全17冊を先ほど読了した。
 
読んでいくうちにいろんなことを思い出したりもした。
だからといって今更自分の人生が変わるとも思えない。
でも漫画の巨人・手塚治虫が残したものは、時々は振り返られる必要があるのではないかと思った。
 
以下が自分のメモ。
 
彼(ブラック・ジャック氏)は治療として法外な金額を要求するのですが、それは必ず患者を救うという信念のもとです。
でも彼が万能の能力を持って、たった一人の患者を救っても、
その患者は結局死刑で銃殺にされたり、その後のテロで殺されたりします。
おれに救えるのはたったの一握りだ、それくらい生というのはもろいものなのです。
だからこそ彼はどんな手段を使っても救おうとするのだと思います。
 
実際の臨床では救えるものなんてもっともっと限られています。
未だに癌は早期発見早期治療です。
助からないことが決して悪ではないとも思います。
でも助けられないことがどうしようもなく心にのしかかることもあります。
まさに諸行無常であります。
今でも、時々、死んだヒトと心のなかで対話することがあります。
60代前半ですい臓がんでたったの数ヶ月で死んだおふくろとも時々話すことがあります。
そんな時、こう思います。
自分が思い出している限りはその人は生きているのだと。
宗教よりも何よりも死者との対話が自分の死生観を作っているのだと思います。
 
また、ブラック・ジャックのアニメの方では、彼はこんな風に言います。
 
「人間が病気になって死ぬことはしかたない。助けることなんて誰にもできないのかも知れない。ただそれに手をこまねいているのは許せないんだ。最後の最後までいきようと努力する人間のそばでその生きようとする意志に手を貸してやることくらいしかできないのだから。」
 
医療という行為は、「生きよう」とする意思の手助けにしか過ぎません。
「なおらんの?」ってよく聞かれるんですけど、
「あんたねぇ、としとってくのに、カラダが若くなってくわけないでしょ。だから棺桶まで自分の五体が持ってけるように騙し騙し粘るんよ、粘ってもゴールまで自分の足でたどり着いたら勝ちでしょ?」
そんなふうにお話しております。
自分の足でゴールを踏めたらそりゃあ、まちがいなくOKだと思いますよ。
だってそれ以外の人生にどんな意味があるっていうのか?
だからこそ、医者対患者は、言い換えれば人間対人間のつきあいの部分が大事になってくるんだと思います。
 
自分はブラックジャック先生にはなれませんでしたけど、
それなりに充実した人生を送っております。
でもやはり最後は自分のための人生を選びたいなと考えています。個人として生きていきたいと思っています。
やっぱり赤ひげ先生にはなれそうもありません。
 
そういえば、突然ですが、昔、「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」って歌があったのを思い出しました。
もともとの出典は「卒業」って言う映画で、自分の大好きな女の子をダスティン・ホフマンが結婚式場からさらいだす話だったけど、その後の二人は果たしてハッピーになれたんでしょうかねえ?
夢から醒めても人生は続くんだからなあ。
 
おれも随分キタナクなりました、平気で嘘もつくし、秘密だってあります。
昨日突然、あることをきっかけに、自分の嫌な(正確には嫌じゃないと思ってる自分がいることが最も嫌だったわけですが)側面をありありと見てしまいました。
でもよくよく考えると、表面上取り繕ってるだけで、自分はあの頃となんら変わっちゃいないんですよね。
だから、引き金一つで堕ちることだってないとは決していえないんでしょう。
何書いてるかわからんでしょうけど、それがわかって、本人はけっこうショックでした。
だからこそ、今まで以上に心のタガを緩めずに生きていくんですけどね。
それってもしかしたらサビしい人生なのかもしれませんけどね。
 
ブラックジャック先生のように孤高にはやっぱり生きてけませんでした。
これまでも、これからも。
でもどこかであったら、鉤引き(術野を保つために、ヘラなので切開創を広げること)くらいはやらせてもらいますよ。
 
なんかまとまりがない文章になってしまいましたけど。