だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#670 ショコリキサーの思い出

昨日の夕方、GODIVAのチョコリキサーを満を辞して食べた。
あれはお腹のコンディションに非常に左右されるものなので、いつでも食べれると言うものじゃないからね。
歳をとってくるとさらにね。
娘と一緒に席に座って食べた。
店内で食べると10%プラスされるという事が書かれてたけどいまだに理解できないですね。
 
なぜショコリキサーなのかというと、
何故かショコリキサーの記憶は結構鮮明であり、今回ので4回目だと言うことなのだ。
 
1回目は、おそらく家族で倉敷に行った時に、三井アウトレットモールで食べて感動したのだった。
 
そして2回目は、ずっと昔、コロナの前にリアル学会に関西のほうに行った時に、きっと伊勢丹とが三越とか、そういうデパートで、1人でスーツ姿で食べたのだった。店員のお姉さんとしょうもない話をしたけど、内容までは覚えていない。
 
3回目は夏の思い出だ。
岡山駅前にできたイオンモールに、1人で?なんだろうな、高校の同窓会の翌日だろうか?岡山芳泉高校の同窓会が開かれて、その翌日にうちの弟のやる親父バンドのライブがあると言うので昼から出かけてって、そのイオンモールを探索して、1人でショコリキサーを頬張ったのだった。
そこから延々と炎天下の中を歩いて、西川をよぎって、さらに延々と歩いて会場に行ったのだった。
 
あの時は親父もまだ生きていた。
弟のバンドの演奏が終わり、会場の入り口で親父と何か話した記憶がある。
遠くに蝉の声が聞こえてきたような気もするが、あれは錯覚だったのかもしれない。
 
そして僕は岡山からJRで松山に帰ってきたのだった。
親父と駅で牛タンを食べ、親父は飲めない酒を頼んだ。
いわゆる仙台の銘酒3杯の飲み比べみたいなやつだ。いっぱい飲んでもう目線が彷徨い出して、残りは自分が飲んだ。そしてその店で別れたのだった。
 
人生が終わるときには、走馬灯のようにいろんな思い出が浮かんでは消えると言うではないか。
今の61歳の自分の、それまでの人生の走馬灯としては、毒にも薬にもならないまぁ無難な思い出なんじゃないかな。
ショコリキサーの思いではね。
でも、もう4回食べたので十二分かな。