だからオレは泌尿器科医でおしっことちんちんの医者なんだってば!(2)

生きる速さで書きなぐることができたらいいのだけど・・

#652 記憶と記録

朝から朝日新聞をじっくり眺める。もう少ししたらコロナの集団接種に出かける。
これから毎週のように、休日がそれに当たられている。
世界の先は読めない。でももう少し、自分でありたいと思いながらもがき続けることには変わりはない。そんな朝。
 
9・11から20年経ってアフガンから撤退したアメリカのこと、日本の総裁選のこと、コロナの第6波のこと、テニスのカナダの19歳の女の子(レイラ・フェルナンデス)のこと(最近彼女の新聞記事を見て絵を描いたのだ)。死んだご主人で作家である藤田宜永のことを1年間連載した小池真理子さんのエッセイのこと(自分も毎週なんとなく読んでいた。これが喪失と付きあう一つの方法だと思った)。
 
TVを見ないので、ニュースにも世界にも鈍感だ。
読み遅れた新聞やら、ネットの片言記事で脳みそを補填しているだけだ。
それでも十二分に脳みそは沸騰している。
 
コロナで2w自宅待機した不安を、タレントの小山慶一郎さんが書かれていた。
彼はこんなふうに書いた。
 
こんな体験は初めてでしたが、心がふさぎ、どんどんよくない方へ考えてしまって。書かずにいられなかった。(略)メモを書くことで救われました。
 メモは今も続けています。書くことですっきりする。でも読み返しません。その日の気持ちをはき出しているだけなので。
 もともとソロキャンプが好きですが、コロナが終息したらキャンプに行き、ノートをたき火で燃やそうと思います。それを見ながらお酒を飲んだらおいしいだろうな。
 
自分も、朝の通勤のホント僅かな時間に、iPhone音声認識アプリに、思いついたことを喋り続けている。喋っていると、自分の世界がいかに矮小化がよく分かる。こないだも一緒のこと考えてたよ、しんぽねえなとかね。そして、変換がだいぶ間違っていて、後で読み返してもよくわからん部分も多々あるだろうなというそれらをevernoteに転送して、それでほとんど終わりにしている。見返す時間はあまりない。見返すとかちゃんとした文章にする気もないだけか。だけど、それでもいいのかなと思う。前述の彼のように、いっそのこと燃やしてしまえれば「オトナ」なんだろうけど、小物の自分にはそれすらできない。